第3話

「到着――っと!」

 その掛け声と共に、足が地面につく感触。ローラは翼をはためかせ、ゆっくりと下ろしてくれると、カイトは彼女の胴に回していた腕を解き、吐息をつく。

 その前に、軽やかにローラは着地し、片目を閉じる。

「どうだったかな? カイト兄さま」

「まあ……貴重な体験だったな」

 まさか、女の子の胸に顔を押しつけたまま、長時間飛行する、なんて体験はこれまでなかった。気まずくて視線を逸らすと、ローラはくすっと笑みをこぼす。

「お姉さまには内緒にしてあげる」

「それは――助かる。フィアは拗ねると、後が長いから」

「あ、分かる? 兄さま。姉さまって自己評価低いところがあるから」

「短い付き合いでも、それくらいはな。さて――」

 カイトは腰に手を当て、登り切った岩壁から真下を眺める。案の定、岩山の壁は断崖絶壁だった。眼下に広がるのは、広い森――その端まで見渡せるくらい、岩山は高かった。

「ローラ、ここまでダンジョンコアの支配は及んでいるのか?」

「ん――この岩山全体には及んでいるみたい」

「少し、歩いてみよう。範囲を調べたい」

「了解っ!」

 ローラはにこにこと笑ってそう言うと、カイトの手を取り、自然に隣に並ぶ。フィアと比べると小さな手だが、しっとりと温かいのは同じだ。

 カイトはその手を握り返すと、ローラは嬉しそうに目を細める。

「お姉さまには秘密のデートだね」

「別に秘密にしなくてもいいけど……」

「でも、拗ねちゃうよ?」

「フィアは、そんなに器の小さい子ではないさ」

「お兄さまはよくお姉さまを理解しているねえ……」

 他愛もない会話をしながら、岩場を歩いていく。頂上はある程度、拓けていて歩きやすい。とはいえ、ごつごつとした岩場だ。足元には気をつけないといけない。

 時折、生えている低木の種類を確かめ、足元の岩を確かめていると、ローラはその傍に膝を揃えてしゃがみ、カイトの顔を覗き込む。

「触っているだけで、何か分かるの?」

「ん? まあな。これは、溶岩系の岩石だな」

 岩石を触って確かめ、軽く頷く。溶岩系の石は見分けやすい。見た目からして、安山岩に近い岩だろうか。

「溶岩、ってことは、火山?」

「そういうことだ。となると、下の土はどちらかというと、火山灰土系の粘土だったんだな。いわゆるローム」

 それが川の運んできた土と交ざって、沼のような土壌になっているらしい。

 指先で土を摘まんで確認しながら、ローラを見やって笑う。

「土に触れるだけでも、その土地のことはよく分かるんだ」

「へえぇ、すごいね。お兄さま」

「いろいろ旅をしていたからな。それの知恵の賜物だよ」

 そう言いながら立ち上がり、近くの低木に歩み寄る。それに触れて、ローラを振り返った。

「ローラ、少し飛んでこの木の枝を上から見てくれるか?」

「え、いいけど……何か探し物?」

「ああ、こういう木には、大体、鳥の巣があるんだ」

 離島の岩山の木には、渡り鳥がよく巣を作る風習がある――それを、マレーシアの人から教わっていた。となれば、あれもあるはずだ。

 ローラは羽ばたいて空を舞う――そして、木の枝を上から眺めると、ぱっと顔を輝かせた。

「あ――なるほど! 分かったよ、お兄さま」

 葉の覆われた枝に手を突っ込む。やがて、彼女が掴みだしたそれを見やり、カイトは笑って頷いた。

「ああ、それだよ。さすが、ローラ」

「えへへ」

 照れ臭そうに笑いながら、ローラは羽ばたいて着地する。その手の中に握られていたのは、真っ白な卵だ。いくつか持ってきたそれをカイトに手渡し、周りを振り返る。

「このいくつかに、まだ卵があるんだね」

「ん、そういうことだ」

 魚は狭い川に依存し、取り過ぎれば量が減る。果物や作物もまた然りであり、バランスを絶えず考えなければならない。

 だが、渡り鳥はどこからともなくやってきてくれる。

 この場所を荒らしさえしなければ、定期的にやってきて、卵を産んでいってくれるのだ。

「また食料源ができたな。ありがたいな」

「しばらくは、お腹空かせずに済むね」

「ん、それにまた料理のバリエーションが増える。ありがたいことこの上ないよ」

 再び、二人は岩山を散策していく。だんだんと足場にも慣れ、二人は手を取り合い、慎重に進んでいく。そして、岩山の外周を回っていくと――その音に気付いた。

 何かが流れ落ちていくような、静かな音。雨にも似ているが、これは――。

「あ、これって――」

「水の音、だな」

 二人は頷き合うと、その音が聞こえる場所へと足を向けていく。

 水気があるせいか、そこだけは茂みが生えている。それをかき分けて進むと――目に入ったのは、小さな泉だった。

「ここが小川の水源か……随分と、水が澄んでいるな」

「そうだね……わぁ、お魚がたくさん……!」

 ローラは目を輝かせて、水辺のほとりにしゃがみ込む。それを見つめながら、カイトは切り株に腰を下ろし、一息つく。

「よし、じゃあここで一息休憩だ――大体、測量も終わったし」

「確かに、そんなに広くはなかったね」

 岩山はダンジョンコアの支配域の中に、すっぽりと収まっていた。この頂上も含めて、一応、ダンジョンコアの支配力は及んでいる。

 恐らく、これだけ緑化されているのも、ダンジョンコアのおかげでもあるのだろう。

「いずれは、ここも利用できるようにしたいけど、基本的には卵を取りに来る場所になってくるかな。で、それがローラの仕事」

「任せてっ! お姉さまのためにも、どんどん取ってくるよ!」

「取り過ぎない程度にな。さすがに、渡り鳥に申し訳なくなってくる」

 そう言いながら、カイトは泉のほとりの水場の土を掘る。そこに軽く水を入れていくと、ローラは首を傾げた。

「何やっているの? カイト兄さま」

「ん、これで小さな鍋代わりにして――これを、煮立ててくれるか?」

「え、あ、うん、分かった」

 不思議そうにするローラは言われるがまま、炎を小さく吐き出し、水たまりを煮立てていく。その中に、カイトは卵を二つ落とした。

「ん、そのまましばらく煮立てられる?」

「お安い御用だけど……なんで、卵をゆでているの? そのまま、食べるんじゃなくて?」

「こっちの方が美味しくなるんだ。まあ、見ていて」

 しばらく茹でられていく卵を見守り、七分くらい様子を見て煮る。

「――よし、そろそろいいだろう」

 カイトは声を掛け、木の枝でその卵を摘まみ出す。湯気が立っているそれを、泉の冷水に移し、それを水の中で手早く向いていく。

 つるつるのゆで卵をローラに手渡すと、彼女は手の中でそれを眺めた。

「うわ、つるつる……卵をゆでると、こうなるんだね」

「正確には茹でて、殻を剥くとこうなるかな。そのまま食べられるよ」

「ん、じゃあ……いただきます」

 おずおず、と口を開き、半分くらい齧り――目を見開いた。

「ん――! すごい! とろとろの黄味があふれて出てきて! ぷりぷりなのに、中がとろとろで美味しい!」

「お好みで岩塩を掛けて食べてな」

「うんっ……! わっ、塩がすごく合う!」

 卵は生でしか食べる風習がなかったのだろう。ぺろりとローラは食べてしまう。苦笑い交じりにカイトは自分の分の卵も差し出した。

「ほら、ローラ。これも」

「え――でも、兄さまの分が……」

「また取ってきてくれればいいよ。さ、食べて」

「う、うん……じゃあ」

 ローラはそれを受け取ると、指先だけ鉤爪状に変化させる。その爪ですっと卵の表面に走らせ――ぱか、とそれは見事に二つに分かれた。黄味が垂れないように、一方をローラは返してくれる。

「半分こしよ……ね?」

「……ああ、そうだな」

 小さな手から、ゆで卵を受け取る。それを口にすると、ふんわりと半熟卵の旨味が広がっていく。鶏の卵よりも濃厚な黄味に思わず目を細める。

「美味しいね。兄さま」

「ん、もっと上手いものを食わせてやる。楽しみにしていてな」

 二人でゆで卵を食べながら笑顔を交わし合った。


 その後、確認を済ませてから、またローラに運んでもらう。

 今度は少し慣れて、飛行中、周りを見る余裕があった。

 岩山の上から水が流れ出て、滝のように落ちているのを見ながら、ふとカイトは思う。

(そういえば――あの泉の水源は、どこなのだろう?)

 見た感じだと、溶岩が冷え固まってできた山である。湧き水が出てくるとは考えにくい。なのに、あそこでは滾々と水が湧いて出て来ていた。

 それは一体どうして――。

「兄さま、考え込むのはいいけど、姉さまの機嫌を取ることも考えてね」

 ふと、頭上から降ってくる声に、少しだけカイトは苦笑いをこぼした。


 妹の懸念は当たっており――洞窟に戻ると、フィアは凄まじくふてくされていた。

 それをなだめるのに、また少し時間が掛かったのは、別の話だ。

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