第6話
「よし――無力化完了だ」
手際よく男たちを縛り転がしたカイトはほっと一息ついた。フィアも縄目をしっかりと確かめてから、カイトを振り返る。
その目には、新鮮な驚きに満ち溢れていた。
「カイト様――まさか、これを全て読み切って?」
「ああ、それで鬼火を連発させた」
最初は様子見のつもりだったが、意外に魔術師の力が強く、しっかりと地面が水を含んでいたのである。さらに幸運だったのは、戦士たちが多かったことだ。
重装備中心の四人は水を撒き散らしながら、中枢へと突き進み――。
そして、その洞窟の寸前。丁度いいタイミングで引き返した。
あとは、ずぶずぶと埋まっていく泥濘に体力を奪われるだけである。フィアですら転びかけた、特製の泥道だ。止めは、60ポイントで追加購入した、麻痺毒ホーネットだろう。
それら四匹で、完全に全員を無力化に成功した。
もし、軽装備の仲間がいたのなら。
あるいは、無理を承知で前へ前へと進まれていたら。
恐らく、ダンジョンは陥落の危機に瀕していただろう。
(まあ、一応、まだいくつ手は残っていたけど)
ちら、と背後の洞窟の入り口近くを見やる。そこには、一つ罠が仕掛けられており、洞窟の入り口を封鎖できるようになっているのだ。
それをすれば、時間稼ぎにはなる。最低限の陥落は、防げたはずだ。
「何はともあれ防げたんだから、よしとするか……。な? 何とかなっただろう?」
カイトは軽く笑いかけると、フィアはおずおずと頷き――やがて、へにゃりと笑みを浮かべた。その頬は淡く染まり、憧れるように熱っぽい視線を向ける。
「――本当、カイト様はなんとかする名人ですね」
「いずれにせよ、フィアもお疲れ様」
ぽん、とその頭に手を載せ、その小さな頭を撫でると、彼女は心から安心したように笑みを滲ませ、甘えるようにそっとカイトの胸に身を寄せた。
『――全く、カイト。キミはつくづく予想を裏切ってくれるね』
コモドがウィンドウ越しに呆れたように言う。だが、その画面の端では、尻尾がぶんぶんと振られていて、どことなしに嬉しそうだ。
「それはどうも……で、これはどうするんだ?」
『僕が引き取りに行くよ。もちろん、有料だよ。はい、レート表』
そう言ったコモドは、画面を移し替えてそのレート表を見せてくれる。
「――人間は、一人1000ポイントか」
『うん、状態で左右するけど。ひとまず見て確かめに行くよ。鮮度も大事だから、急がないといけないね。少し待っていて』
コモドはそう言うより早く、ウィンドウから消え去ってしまう。
それを見届け、カイトは手を振って全てのウィンドウを消し去ると、フィアの身体をそっと抱きしめ、ねぎらうようにその背中を叩いた。
「――本当にお疲れ。一番の功労者は、フィアだよ」
その言葉を否定するように。
あるいは、自分の匂いを擦りつけるように、フィアはぐしぐしとカイトの胸に顔を擦りつける。その仕草が愛らしくて、カイトは頬を緩めながらその頭を撫で続けた。
翌日――フィアは目を覚ますと、ぐぐっと伸びをした。
寝床で手足を突っ張るようにして伸び。そのまま目を擦りながら身を起こす。それに気づいたのか、横で寝ていたカイトも目を覚まし、表情を緩ませる。
「ああ、おはよ、フィア――少し寝坊したか」
「いえ、カイト様、定刻通りですし……もう少し、お休みになられたら? 昨日は疲れたでしょう?」
(――侵入者撃退だけじゃなくて、荒らされた場所の整備もされていたし……)
少しだけ、働き過ぎじゃないかな、と心配になるくらいだった。
だが、カイトは笑みを浮かべて首を振ると、身を起こして背伸びをする。
「疲れてもないし――うん、すこぶる快調だ。じゃあ、フィアは日課をやっていてくれ。僕は少しダンジョンコアの調整をしてから、様子を見に行くよ」
「かしこまりました――では」
カイトのいつも通りの優しい笑顔に、少し胸が温かくなるのを感じながら、フィアは一礼して立ち上がった。
フィアの朝の日課は、トイレの管理と、罠を確認しに行くことだ。
トイレは毎朝、腐葉土を加えた上で、しっかりと攪拌させる必要があるのだ。フィアはいつものトイレに向かうと、カイト手作りの木の扉を開く。
途端に、むわっと押し寄せてくる、独特の臭気。だけど、フィアは眉一つ変えない。
(悲しいかな、慣れてきちゃったんだよね……)
ため息を一つこぼすと、フィアは溜めておいた腐葉土を流し入れ、その上で木の棒を突っ込む。ぐりぐりとしっかりと混ぜてから、よし、と一つ頷く。
最初はカイトが全部やっていたが、フィアもそれを手伝うようにしている。
誰か分からない、トイレの管理はさすがに嫌だが、カイトとフィアの使っているものなら、別段、抵抗もない。毎朝、手早く行っていた。
(それに、これが大事な肥料になるんだからね……)
ただ、カイトのことだから、それ以外の利用方法も考えていそうだけど。
短い付き合いだけど、だんだん、フィアは主のことを理解しつつあった。
木の棒を置き、扉を閉めてフィアは川辺の方へと歩いていく。
小川には、罠が一つ仕掛けられている。藁で編み上げた、一度入ると出られないような筒型の罠である。前までは三つ仕掛けていたが、乱獲しないように量を控えているのだ。
いつもの川辺に仕掛けた罠を自ら上げ、さかさまに振ってみる。中から、五匹くらい形のいい魚がぽろぽろと出てきた。
二人では十分な量。だけど、少しフィアは不満げに藁筒を振る。
(――いつも、カイト様、一匹しか食べないからな……)
しっかり食べてもらうためにも、もう少し掛かっていないかな、と思ってしまう。
ちなみに、彼女は大体、毎日三匹食べる。これでも、遠慮している方なのだ。
だが、振って出てくるものではない。あきらめて罠を仕掛け直すと、魚を集めて川辺に置いてある藁籠に詰め込む。それを持って、洞窟へと戻る。
今日は、風が吹き抜けて涼しい天気だ。思わず目を細め――ちょっと肌寒い太ももを擦り合わせる。
(……さすがに、もうボロボロかな……)
昨日、ついに下着も擦り切れてしまい、身にまとえなくなった。
さすがに、下着のことはカイトにも相談できず、今は葉っぱを下着代わりにしている。そのせいか、今朝からすうすうしてなんだか落ち着かない。
(あ――でも、なんとなく通気性がよくて、気持ちいいかも)
風が吹き抜けたことで、なんだか心地よく感じる。
なんだか、知っちゃいけない感覚を知ってしまった気分だ。
少しイケない気分になりながらも、フィアは魚をしっかりと抱えて洞窟に戻り――。
ふと、人の気配を感じた。
(あれ、カイト様だけじゃない……誰か、いる)
そういえば、昨日、撃退した人を引き取ってもらえて、それとポイントを交換したのだ。もしかしたら、下級の魔族を召喚したのかもしれない。
(――私、一人じゃなくなってしまうのかな……)
そう思った瞬間、何故か、少しだけ寂しく思ってしまう。
カイトと二人きりの生活は、それなりに楽しい生活だったから――。
そう思いつつ、ゆっくりと洞窟の奥に進み、フィアは声を掛ける。
「ただいまです。カイト様……」
「ああ、おかえり。フィア」
いつもの笑顔でカイトは振り返る――その笑顔がなんだかいつもより眩しい気がする。思わずどきっとしながら、それを押し殺して訊ねる。
「えっと、なんだか機嫌が良さそうですね。カイト様」
「はは……分かったか。新しい仲間が増えたんだ。フィア」
「――左様、ですか」
やっぱり、少しだけ寂しい。だけど、笑顔を浮かべて首を傾げる。
「どんな子でしょうか?」
「うん、それはね……フィアが、よく知っている子だよ」
おいで、と彼は振り返って奥に手招きする。その奥からふわりと金の髪が翻る。
そして、目に入ってきたのは――懐かしい、少女の姿。
思わずフィアは目を見開き――震える声で訊ねる。
「もしかして……ローラ、ですか?」
「あは……うんっ、久しぶりっ、フィアルマ姉さまっ!」
その無邪気な声と共に、ぱっと駆け寄ってきた少女が、フィアに抱きついてくる。未だに信じられず、その身体に片手を回し――確かめる。
金髪のツインテール。くりくりとしたつぶらな瞳。そして、自分の胸にはない――確かな、ふくよかな膨らみ。
「ああ、召喚したのは火竜のローラ。召喚して、たった今、契約を済ませたところだ」
カイトはそう言いながら、フィアの手から魚の籠を取り上げる。フィアは目をぱちくりさせながら、その両手をローラに回し――そして、わずかに瞳を揺らす。
胸の奥から、じわじわと温もりが込み上げてくる。感情があふれそうになるのをぐっとこらえて――ゆっくりとローラを抱きしめた。
「よかったです……ローラ……ローラ……」
「うんっ……! 姉さま、これからずっと一緒だよ……っ!」
感極まったローラが、ぎゅっと力強くフィアを抱きしめる――。
そのとき、フィアは久しぶりで忘れていた。
火竜は力が強い。お互いに抱きしめ合ったとき、間に人が挟まっていればつぶれてしまうぐらいには、力が強いのだ。
その状態でお互いに抱きしめられた結果――ボロボロだった服が、悲鳴を上げた。
びり、とローラの手元で致命的な音が響き渡る。
え、とローラが驚いて身体を離した瞬間――服が、限界を迎えた。
はらはらと舞い散る、服の残骸。残ったのは肩に引っ掛かったわずかな布――辛うじて、肝心なところは葉っぱで隠されている。
だが、そのせいで逆に色っぽく見えてしまい――。
「――あ……すまん、フィア」
カイトが赤面しながら視線を逸らす。瞬間、フィアは我に返り――。
「いやあああああああああああ!」
彼女の、凄まじい悲鳴がダンジョンの中に響き渡った。
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