第2話

 川魚を一緒に食べた日は、測量に費やし――その翌日。

 洞窟で雑魚寝し、早朝に目を覚ましたカイトは、ぐっと背伸びをする。

(まあ……野宿だけど、屋根があるだけ、マシか)

 固い地面に寝ていたせいで、身体が痛むが――慣れたものだ。ゆっくりと身をほぐしていると、隣で丸まるように寝ていたフィアも目を覚ました。

 くしくし、と手の甲で目を擦り、その場で手足を踏ん張って背伸びをする。

 まるで、猫のような伸びをしてから――ゆるんだ声で頭を下げた。

「おはよう、ございます……カイト様」

「ん、おはよう。今日は忙しくなるぞ」

 カイトは笑いかけながら立ち上がり、視線を洞窟の外に向ける。

 外はまだ薄暗い。だが、ポイントがない以上、一刻の猶予も惜しい。

(幸運にも、水場が近くにあったが、食料はわずかしか見つかっていないからな)

 川魚は、乱獲し過ぎればいなくなってしまう。他の食べられるものを探すべきだ。

 それと――同時並行で、ダンジョンの整備もどんどんと進めなければならない。

「悪いけど、フィアにも容赦なく手伝ってもらうからな」

「もちろんです。なんでも言ってください」

 すっかり目が覚めたのか、ぐっと拳を握り、目を輝かせるフィア。それを頼もしく思いながら、まずは、とカイトはにっこり笑って言う。

「簡単な、トイレを作らないとな」


 コマンドの『創作』を試してみると、鉄のスコップが100ポイントで作れることが分かった。それを確認すると、カイトは迷うことなく残り少ないポイントを突っ込んだ。

 フィアが召喚されたと同じときのように、光と共に目の前に現れた、大きめの鉄のスコップ。それを片手に洞窟の外に出ると、目をつけていた場所に向かう。

「よし――ここがいいな」

 そこは、屋外の一角。頭上で岩が突き出て、屋根のようになっている。

 これなら、雨風も当たらない。快適なトイレが作れるはずだ。

 一つ頷き、カイトは少しにスコップを突き立てると、フィアはその傍で首を傾げた。

「えっと、お外をトイレにするのですか?」

「まあ、匂いとか考えるとね。フィアは女の子だし、囲いは作る予定だけど」

「でも、トイレよりも食料を調達した方が……?」

「そっちは最悪、魚にすればいい。昨日みたいに、フィアなら一瞬で漁獲できるし」

 カイトは地面を掘り進めながら、あと一つ、と指を立てて言う。

「僕たちの糞尿も、ある意味、貴重な財産になるんだ。ここで肥料を作れば、ある程度、農作の目途が立ってくる」

 糞尿は、優秀な肥料だ。草葉は分解が遅く、短期で地面に浸み込まないが、糞尿は容易く土に浸み込み、栄養となってくれる。

 フィアはなるほど、と頷いたが、少しだけ腑に落ちない顔だ。

「魚や森の食料があるならば、農作する意味はありますか?」

「まあ、短期的なサバイバルなら必要ないと思う。だけど、僕たちはここで定住することになる。そうなれば、定期的に食料を確保できないといけない」

 ジャングルには確かに豊富な食料があった。

 軽く歩いただけで、パンノキやヤシの木など、食料の宝庫だ。その上、川魚もいる。しばらくは栄養失調とは無縁に暮らせるはずだ。

 だが、二人、場合によってはそれ以上がここで暮らすとなると、いずれそれは枯渇する。

「森から食料がなくなる前に、まずは食料が手に入るうちに、農地を作らないといけない。だからこその、この肥料だよ」

「……なる、ほど……考えが、及びませんでした」

 フィアは感心したように振り返り、広がるジャングルを見つめる。

「では、このあたりに農地を?」

「そうだね。森の中の土は、少し泥っぽいし」

 このあたりの土も意外と粘土質であり、調整は必要だが――。

(ま、土壌改良は少し齧っているからな)

 伊達に、ぶらぶらと世界中を歩き回っていたわけではない。

 その土着民族を手伝っているうちに、いろんな知識を身に着けている。

「フィアは、少し下草を刈ってもらえるか? で、その草が欲しい」

「わ、分かりました。それも肥料に?」

「いや、肥料じゃないけど、必要になる」

「と、とにかく、すぐに持ってきます」

 カイトの要望に少しだけ疑問符を示したが、フィアはすぐに頷いて駆けていく。それを見送りながら、カイトは軽く汗を拭って見やる。

 このサイズの穴を、もう一つ作らないといけない。

 そこで肥料を作るわけではない。だが、農作以外にも、今のうちに備えとして作っておきたいものがあったのだ。

「何しろ、防衛戦だからな……あって損はないだろうし」

 小さくつぶやきながら、吐息をこぼしてスコップに力を込め直した。


「カイト様、下草、これだけあれば十分ですか?」

「ああ、ありがとう」

 フィアはすぐに戻ってきた。そのときには、カイトは二つ目の穴を掘っていた。一つ目の穴は、背丈ほどの深さまで掘っている。

 カイトが手を休めると、フィアは目を見張って言う。

「すごいですね。こんなに手早く掘れるなんて……」

「どうも、スコップが軽くてな。土も軽く感じられる」

 おかげで、凄まじい勢いで掘り進めることができた。カイトは穴から出ると、一つ目の穴の中に、下草を放り込んだ。その上に土をかぶせ、また下草。

 交互に層を作ってから、目印の木の杭を打ち込む。

「――じゃあ、今日からここにトイレの、小さい方をしてくれ」

「え、小さい方、だけですか?」

「ん。こっちに、大きい方をしてもらう」

 少し離れた場所にある、二つ目の穴を示すと、彼女は目をぱちくりさせた。

「なんで、分ける必要があるのですか?」

「ある民族に伝わる儀式でな。トイレの上で火を焚くと、紫の炎を出すことができる――その素を作るためなんだ」

「ふぇ……?」

 理解しがたい話だったのだろう。フィアは真紅の瞳を大きく見開く。

 カイトは少しだけ苦笑いを浮かべ、肩を竦めた。

「僕のいうことにちゃんと従ってくれればいい、ってこと。頼むよ」

「は、はい……えっと、お花摘みのときは、ここで……ですね」

 少しだけ頬を染めながらも、しっかりと頷いてくれるフィア。よし、と頷いて手についた土を払うと、スコップを担いで笑いかける。

「よし、じゃあ休まずにどんどんやっていくぞ」


「――ふぅい」

 夜、フィアは川辺で一息ついていた。

 服を脱ぎ、木に吊るして一糸まとわぬ姿のまま、水浴びをして汗を流していく。

(……さすがに、カイト様の傍で汗臭いまま、寝るわけにはいかないからね……)

 洗った服を見上げる。月明かりに照らされたシャツは、今日一日でどろどろになっていた。布の服だから、惜しくはないものの、今はこれ一着しかない。

 大事に使うためにも、しっかり洗濯して干していた。

 カイトは、今、洞窟で寝ている――もちろん、彼も汗を流し、フィアも汗を流した。

 だけど、少し、まだ匂いが気になってしまったのだ。

「――カイト様の匂いは、いい匂いだから気にならないけど……」

 でも、自分の汗の匂いが臭い、そう思われたらさすがに凹んでしまう。

(折角、私を受け入れてくれたマスターなんだから……)

 その彼の笑顔を思い出すだけで、胸の奥がこそばゆい。

 少しだけ苦笑いを浮かべながら、しっかりと髪を水で流していく。汗の一滴すら、逃さないように、せっせと洗い流しながら、今日をふと思い返す。

(――すごかったな、カイト様)

 今日だけで、カイトのいろんな知識を垣間見た気がした。

 彼のやったことは、最初は訳が分からなかった。水際で生えている下草を刈ったかと思えば、それを水につけて石で叩いて茎を潰していったり。

 あるいは、流木を集めて焚火をするかと思えば、完全に燃やさず、いぶすように焚いたり。

 何をやっているか、さっぱり分からなかったけど。

「下草で、草鞋を編んで――流木で、木炭づくり、か……」

 そうやって作れることを、フィアは知らなかった。今日一日だけで、彼にいろいろと驚かされた。

 それだけじゃなくて、木々の間から芋やツルを見つけたり、下草で漁獲の罠を作ったり。あるものだけで、カイトはいろいろなものを作り出した。

 おかげで、今日は美味しい川魚の香草焼きを食べることができたのだ。

「カイト様の、包み焼き……美味しかったな……」

 見たこともない料理だった。川魚の内臓を取り、代わりにツルや刻んだ芋を入れられていたのだ。美味しいのか、疑問だったが――口に入れて、びっくりした。

 川魚の、独特の臭みがなくなり、その代わり、さっぱりとした味わいが広がる。

 その上で、中の野菜は、川魚の油を吸い込み、旨味が増していたのだ。

 思わず、三匹もおかわりしてしまったけど――カイトは、嬉しそうに目を細めて、もっと食べるか? と聞いてくるくらいだった。

 恥ずかしくて思わず我慢したけど――もう二匹くらいは、食べたかった。

(ううう、私、食いしん坊って思われていないかな……)

 今思い出すだけでも、顔が火照ってくる。

 思わず、勢いよく水面に顔を突っ込み、ぶくぶくと息を吐き出し――やがて、仰向けで川面に浮かぶ。ふわり、と水面に金髪が流れるように広がった。

「……楽しいな……」

 カイトと一緒に作業する時間が楽しくて。

 明日は、どんな作業をするのかな、とうきうきしてしまう。

 その一方で――ふと、心のどこかは素直に喜びきれない。

(ローラ……あの子は、元気かな……)

 召喚されるまで一緒だった、火竜の少女。悪戯っぽくてそそっかしい妹。

 同じ、はずれボスだった。いつも、二人は選ばれては、送り返されて――そのたびに、二人で悲しみを分かち合っていた。

 こうして、フィアは選ばれてしまい、今は離れ離れ。

 願わくば、いつか、カイトみたいな人に出会ってくれればいい。

(だけど、多分、今日も寂しそうに一人で空を見上げているのかな……)

 仰向けのまま、空を見上げ――ふぅ、とフィアはため息をこぼす。

 彼女は、そのまましばらくの間、川面で揺蕩っていた。

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