第一章 二人きりの開拓
第1話
二人がまず始めたことは、ダンジョンの領域の測量だった。
ダンジョンコアの影響力が、どこまで及んでいるのか――それを確かめれば、最大限に敷地を活かすことができるらしい。
二人は洞窟の中を歩いていくと、それは真っ直ぐな一本道で――。
「――すぐに、出てしまったな」
「そうですね。カイト様」
洞窟の外に出て、二人は思わずぐるりと見渡す。
そこは、草木の生い茂った森林地帯だった。下草も生い茂り、誰の手も入っていないような場所だ。洞窟の前を覆い隠すように茂みが広がり、分かりにくくなっている。
「――確かに、物を隠すにはもってこいだが……洞窟内は狭いな」
「大丈夫です。この辺一帯まで、ダンジョンコアの影響力は及んでいます。ここも、ダンジョンの一角と言えそうです」
「そうか。なら、範囲がどこまでか確かめてみよう」
カイトがそう言うと、はにかみながらフィアは、はい、と元気よく頷いた。
「では、カイト様、私の後ろに。斬り払いながら、進んでいきます」
「できるのか?」
「はい――これでも、火竜ですから」
彼女はそう言うと、集中するように目を閉じて腕を伸ばす――不意に、その腕が炎に包まれた。思わず目を見開いている間に、炎は収まっていく。
その炎の下から現れた腕は、鱗に包まれ、その手には鉤爪が生えている。
「身体の一部を、魔獣化できます。長くはもちませんが」
「けど、便利だな」
「はい、道を斬り拓くのは、お任せを」
彼女はそう言いながら腕を一閃させる。それだけで、目の前の木がばきばきっ、と轟音を立てて薙ぎ倒された。それを見つめ、カイトは笑って頷く。
「うん、頼もしいよ。じゃあ、一回りして行こうか」
「はい、行きましょう」
フィアが先導して下草を払いながら進んでいく。その歩きやすい道を進みながら、カイトは薙ぎ払われていく木々を見やる。
ほとんどが、丈夫そうな木々だ。それを、彼女は難なく切り払っていく。
(これは――意外に、作業がはかどるかもしれないな)
内心で、カイトはほくそ笑みながら、足早に彼女の後ろをついていった。
「――ここ、までですね」
しばらく森を進むと、ある一点で彼女はぴたりと止まった。
カイトも足を止め、辺りを見渡す。フィアの頭の向こう側にも森は広がっているが、徐々にその緑は少なくなっている。
つまり、ダンジョンコアの影響力が少なくなっているせいなのだろう。
カイトは頷くと、目印代わりに拾った木の枝をそこに突き刺す。
「つまり、ここがダンジョンの入り口になるわけだ」
「そうですね。分かりにくくて、発見しづらいダンジョンだと思います」
「周りも散策してみるか」
「はいです」
そのまま、カイトとフィアはダンジョンコアの支配領域を確かめるように進んでいく。確かめていくと、どうやら、コアを中心に一定の範囲なら、影響下にあるらしい。
「コアのレベルがあがれば、領域もだんだん増えていきますよ。地下も使えるようになります」
「そうか、できれば地下は作りたいな」
「ですね。広さも倍以上になりますし」
フィアが鉤爪で薙ぎ払う道を、カイトは辺りを見渡しながら進んでいく。
辺りは鬱蒼と茂った森。見た目の雰囲気だと、地球の植生と変わりはない気がする。熱帯や温帯が入り交じったような植生ではあるが、内陸では見ない植物もちらほら見かける。そこは異世界ならではだろうか。
「ツルナやヤシの木……これは、パンノキかな」
「お詳しいのですね。そういう経験が?」
ちらり、とフィアは少し興味がそそられたように訊ねてくる。カイトは軽く頷きながら、その木々に触れて確かめる。
「世界中を旅していたんだ。そこでいろいろ経験を積んで。バックパッカーといえばいいかな」
「……なんだか、意外です。聞くところによると、マスターとして引き抜かれてきたものの多くは、ゲーム? とかを生業にしているとかで」
「ああ、コンピュータゲームか。日本にいたときに、少しだけ経験があるけど」
木を確かめながら、ふと考える。
ポイントで何かを購入、配置できるやり方は、そういう日本のゲームに似ている気がする。そういう意味では、このダンジョン経営はゲーマー向けかもしれない。
(だとすると、なんで僕がマスターにさせられたんだ?)
内心で首を傾げながら、地面に屈みこんで落ちている木の実を確かめる。鳥にかじられたのか、ぼろぼろになった木の実に蟻が集っている。
その傍の土を軽く手で掘り、握ってみる。どこかべったりと肌に張り付くような不快な感覚だ。ねばねばした土を確かめ、軽く頷く。
「――泥、か」
「ですね。足を取られて、嫌になります」
水はけが悪い足元を、鬱陶しそうにフィアは足踏みする。思わず苦笑い交じりに顔を上げ――ふと、葉の擦れる音に交じり、ある音が耳に入る。
「――カイト様? 如何されましたか?」
「ん、水の音がしている」
「……ああ、確かに。こちらです」
フィアは進路を変え、横にある木を無造作に切り払う。その切り株を乗り越え、二人は進んでいく。次第に、水の音が大きくなってくる。
目の前の茂みをフィアは払いのけると、煌めく水面が見えてきた。
「沢みたいだな。こんなところに――」
方角から見ると、洞窟の方から流れ出ているらしい。澄んだ水の小川に近づいていく。フィアも物珍しげにそれを見て、あっ、と小さく声を上げる。
「カイト様、魚もいます。川魚です」
「お、本当だ――獲れるかな」
「お任せを! カイト様」」
フィアは張り切ってそう告げると、物怖じすることなく、ざぶざぶと川に入っていく。そして膝まで入ると、不意に鉤爪を振り上げて地面に叩きつける。
がちんっ、と岩が割れるような轟音――やがて、ぷか、と魚が水面に浮かんだ。
よし、と満足げに頷き、フィアはその魚を何匹か掴み上げて振り返った。
「カイト様! 獲れましたよ!」
「お、おう……ワイルドだな、フィアは」
「……そう、ですか?」
「まあ、そうだと思うよ」
いきなり腕を竜化させて木々を薙ぎ払ったり、石打漁法で乱獲したりと、なかなかに根性のあるやり方だ。思わず引きつり笑いを浮かべていると、フィアはへにゃり、と眉尻を下げた。
「――すみません、カイト様、何か間違えてしまったでしょうか」
「いいや、気にしていないよ。それより、新鮮な魚をありがとう」
「いえっ、そんな、お気になさらないでください。えっと、焼きますか?」
「そうだね。薪を集めようか」
幸い、近くにたくさん流木がある。よく乾いた木々を集めていくと、フィアは枯れ木の山に顔を近づけ、ふぅ、と息を吹きかける。
その形のいい唇から、小さな炎がふわりと飛び出し、枯れ木に落ちた。瞬く間に日が燃え移り、焚火ができあがる。
「――今のは、火の息?」
「えっと、そんな大層なものじゃないですよ。せいぜい、鬼火レベルです」
そう言う彼女は、軽く息を吸い込むと、腹からふっと息を吐き出す。
唇から次々とこぼれ出る、小さな鬼火。それは、宙を舞う間に野球ボールぐらいに大きくなっていく。彼女はそれを三つ作り、宙に浮かべる。
それに目を見開いて見つめていると、彼女は楽しそうに指先を振る。
その指がタクトのように動き、その動きに応じて鬼火が躍る。
「……これは、すごいな」
「ふふ、それほどでもないです……だって、これしかできませんから」
そう笑いながら言う彼女の瞳は、少しだけ寂しげだ。火が少しずつ広がるのを見ながら、その真紅の瞳をわずかに揺らしてつぶやく。
「――火の息を吐けるようになれば、カイト様のお役に立てるのに」
「鬼火でも十分、役に立つさ。ほら、焚火もできたし」
いざとなれば、木の摩擦か、火打石でも探そうと思ったが、その手間が省けた。
「食料も取れるし、火も焚ける。当座は、これで十分だよ」
「でも――私は、カイト様のダンジョンを守るボスなのに……」
暗い顔で彼女は膝を抱え、焚火の傍に腰を下ろす。カイトは目を細めながらゆっくりと言葉を返す。
「そうかもしれないね……だけど、それを気にしなくてもいいと思うよ。フィア。このダンジョンを守るのは、あくまで僕の仕事だ。フィアは、それを手伝うくらいの気持ちでいればいいと思う」
「――カイト様は、本当に気楽に言ってくれますね」
少し拗ねたような口調で、フィアは横目でカイトを見てくる。カイトは頷きながら、手元の魚を焼いていく。
口から木の枝を差し込み、それを焚火の周りに刺すようにして焼いていく。
遠火でじっくり。そうしながら、カイトはフィアを見やって微笑んだ。
「身構えても、仕方がないんだよ。フィア。生きている間、なるようにしかならない」
「……カイト様は、達観されているというか」
「ん、まあ、いろんなところを旅してきたからね。なるようになった結果」
そう言いながら肩を竦めると、フィアは少しだけ興味がそそられたようにカイトを見やる。だが、彼はそれ以上、自分のことに触れず、話題を変える。
「それより――フィアは、火竜って言ったね。火竜のこと、教えてくれる? 見た目、フィアは人間のように見えるけど……」
「基本的に、魔竜族は人間の姿も取れるのです。そういう変化の力も持っていますから」
そう言いながら、彼女は鱗に包まれた腕を持ち上げ、軽く振って見せる。また炎に包まれていき――火が消えると、その腕は人間のものに戻っている。
「あとは、こういう炎を操る力です。完全変化しない限りは、人間と同じです。多少、力が強くて、体温が高い。それ以外は、生態も骨格も同じ」
そういえば、彼女の手を握ったとき、ほかほかに温かかったことを思い出す。
カイトはその手を見やりながら、焼き魚の串を差し出しつつ訊ねる。
「じゃあ、魚も食べられる?」
「はい、必要とする栄養素も、人間と同じです。いただきます」
「うん、どうぞ、召し上がれ」
おずおずと、フィアは焼き魚を齧っていく。カイトも一本取り、かぶりついていく。
川魚の割に、しっかりと油ののった美味しい魚だ。口の中で、魚の身から油があふれだして美味しい。フィアも目尻を緩めて、食べ進めていく。
「あと――食事中で、汚い話で悪いのだけど」
「別に構いませんよ? 何でしょうか」
「その、用も足すよな?」
「……それは、まあ。生き物ですから」
少し視線を逸らしつつ、フィアは頬を染めて肯定する。念のため、重ねて訊ねる。
「小さい方も、大きい方も」
「そう、ですけど……まさか、カイト様、そういうお趣味が……?」
「どういう誤解をしているか知らないけど、そういう意味じゃなくて」
少し引いた様子のフィアに、カイトは半眼になりながら告げる。
「何一つ無駄にできない現状だから、堆肥の利用も考えていてね」
「たいひ?」
「あとで説明するよ。今は腹ごしらえ。ダンジョンの区画はざっくり分かったから、あとはこの環境をどう活かしていくか――二人で、相談しながらやっていこう」
「分かりました――あ、あの、もう一匹いただいてもいいですか?」
「ああ、もちろん。何匹でも食べて」
カイトは目を細めながら、魚を食べるフィアを見守る。
(――彼女の笑顔のためにも、しっかりこのダンジョンを守らないとな……)
美味しそうに頬を緩める彼女を見つめながら、カイトも川魚を食べていく。
味付けは何もない魚だったが、それでも久々の二人での食事は美味しく感じられた。
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