第218話 『譲れないもの』
『君が忘れてしまっていても、きっとアレを見れば思い出してくれるはずだって信じているよ。だから、お願い、レミィ。今日だけは起きていて!』
レイルンは今朝、レミリアにそう告げた。
そして、夫がそれを許してくれたので、夕食後に眠くなってしまった愛娘を寝かせたレミリアは、居間のテーブルに腰をおろして外を見るとはなしに見ていた。
もっとも、昼とはことなり、明かりがないその方向を眺めても闇以外は何も見えないのだが。
夫が寝室にこもっていてくれているので、本当に良かったと思う。
罪悪感に押しつぶされそうな今の自分は、きっとひどい顔をしている。
覚えている。
幼かった自分が指輪をレイルンに強請ったことを。エメラルドではなく、他の輝く石を願ったことを。
それは、幼く無知であったがために出たとんでもないお願い。
けれど、私が大好きになった妖精は、レイルンは、その願いを叶えるためにずっと頑張り続けてくれていたのだ。
でも、あれは幼い頃の、物を知らなかった無知な自分が願った無茶なお願い。
いくら妖精のレイルンでも、叶えられるはずがない。
「裏切られたと思っていた。けれど違った。私がレイルンを裏切ったんだ……」
幼き時の約束を守り続けることが出来なかった自分。そして、その後ろめたさから、レイルンが訪ねて来てくれたときにも、過去を忘れてしまったフリをしてしまった自分。
それなのに、それなのに……。
レイルンは一生懸命、こんな私のお願いを叶えようとしてくれている。
「……レミリア」
涙を流しているタイミングで、夫のキレースがランプを片手に寝室から出てきた。レミリアは慌てて涙を拭う。
「あなた……」
口から自然に出た、もうすっかり馴染んだ呼称にさえ、レミリアは不安になる。
人間と妖精の共存を心から願っているこの人を、無垢な妖精を傷つけた、自分のような狡くて不義理な女が、そう呼ぶ資格があるのかと。
そんなふうに考えると二の句が続けられなくて、顔を俯けてしまう。
「…………」
キレースは何も言わずに、静かにこちらに歩み寄ってくると、ランプをテーブルの上に置いた。
「レミリア、そんな顔をしないでくれないかな。……君が悪いわけではないよ。もちろん、レイルンが悪いわけでもない。ただ、君達はすれ違ってしまっただけなんだ」
「……でも、私は……」
レミリアの言葉を遮るように、キレースは俯いたままのレミリアを優しく抱きしめた。
「フレリアの前では話すことを躊躇われたから言っていなかったんだけれど、今日の洞窟探索の際に、僕はレイルンと口論をしたんだ。その内容は、僕とレイルンのどちらが君のことを大切に思っているかについてだった」
「……えっ?」
レミリアは顔を静かに上げて、夫の顔を見上げる。
ランプの明かりでもわかるくらい、キレースは耳まで真っ赤にしていた。
「結果は、僕の勝ちだった。僕がどれほど君のことを大切に思っているのかを、愛しているのかを伝えて、今の君が幸せだと伝えたら、レイルンは分かってくれたよ」
「……ごめんなさい。貴方に酷いことを任せてしまって。本当は私が言わなければいけないことなのに」
レミリアの瞳から、再び涙がこぼれ落ちる。
狡いと思う。卑怯だと思う。不義理をしていると思う。
けれど、あの時と変わらない真っ直ぐな目をした一途なレイルンに、レミリアは向かい合うことが出来なかった。
あまりにも残酷なことをした罪悪感に押しつぶされてしまいそうで……。
「それは違うよ、レミィ。僕と二人で口論をしたから、レイルンは君を諦めてくれようとしているんだ。もしも直接君から拒絶されたら、あの子はもっと深い傷を負うことになっていたはずだからね」
「……でも、私は……妖精を、レイルンを裏切って……。貴方は、ずっと人間と妖精のために……」
端的で、要領を得ない言葉しか言えなかったが、レミリアの気持ちを、夫はきちんと理解する。
「うん。僕は人間と妖精の関係を改善したいと思っている。だけど、それは対等なものでなければいけないんだ。もちろん譲歩しなければいけないことはある。けれど、どうしても譲れないものだって互いにあるはずだ」
キレースはそう言って、微笑んだ。
「僕にとっては、君とフレリアがそうだよ。たとえ初恋の相手だって、君を譲ることは出来ない。レミィ、僕は君を心から愛している……」
「あなた……」
そこまでが限界だった。レミリアが声を押し殺して泣いていられたのは。
レミリアは幼子のように声を上げて泣いた。
ずっとずっと胸にためていたものを、吐き出すかのように。
そして、レミリアがようやく気持ちを落ち着かせた頃だった。
「なっ!」
「えっ?!」
真っ暗なはずの外から、光が差し込み始めたのは。
時間的には、これから闇が深まることこそあれ、明るくなるのはもっともっと先のはずなのに。
「もしかして、これは、レイルンが……」
レミリアの言葉に、キレースは頷く。
「お父さん、お母さん! お外がすっごく明るいよ!」
「フレリア……」
隣の部屋から、幼い我が子が飛び出してきた。
しかし、光で目が覚めたにしてはタイミングが早すぎる。
きっと自分が大声で泣いてしまったから起こしてしまったのだろうとレミリアは後悔するが、今はそれよりも優先しなければいけないことがある。
「レミィ、フレリアを一人で家においておく訳にはいかないよ。外に出かける準備をして。僕もすぐに支度をするから!」
「……はっ、はい!」
夫の指示に従い、レミリアは娘を急いで着替えさせる。
この光はきっとレイルンが何かをしたからに違いない。
それならば、事の当事者である自分が彼のもとに行かなければならない。
そんなことで罪滅ぼしにはならないことは分かっているが、せめてそれだけはしないといけないのだ。
レミリアはそう思いながら、娘の着替えが終わると、自分も服を着替え始めたのだった。
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