第217話 『別れのとき』
「大丈夫か、メルエーナ?」
「はい。夕食前に少し休んだので平気です!」
レイルンは準備があるらしく姿を消しているので、薄暗い道を二人で手をつないで歩くメルエーナとジェノ。
またあの左右の瞳の色が違う男の人達が現れるのではないかという恐怖も少しはあるが、ジェノとこうして連れ立って夜道を歩けるのは思わぬ役得だとメルエーナは思う。
レイルンが鏡を設置した後は、何事もなく無事に洞窟を脱出することができ、メルエーナ達は、キレースさんの家を訪ねていたバルネアと一緒に宿に帰ってきた。
けれど、レイルンがこっそり自分に話してくれた内容を信じるのならば、これからこそが重要らしい。
ただ、レイルンがあまり多くの人にこれから行う儀式を見せたくはないと言うので、疲れているだろう他の皆には宿で休んでいてもらい、メルエーナは一番自分が信頼できて、側にいて欲しい人に同行を求めたのだ。
「俺にはよく分からんが、レイルンに力を分け与えているのだろう? 辛くなったらすぐに言ってくれ」
「はい。でも大丈夫です。まだまだエリンシアさんの力が残っていますので」
メルエーナはレイルンと繋がっているが、力を奪われるような感覚はまったくない。
「……そうか」
ジェノは短くそう言い、視線をメルエーナから逸して前を警戒する。
それは自分のことを気遣ってくれているからこその行動だとメルエーナも理解している。けれど、ジェノの顔に憂いのようなものが見えた気がしたので不思議に思う。
それから、ジェノは一言も言葉を発せずに歩き続ける。
メルエーナは声を掛けようかと思ったが、ジェノがそれを嫌がっている気がして、結局何も言えず、星空が輝き始めた空の下をランプの明かりを頼りに二人で目的の場所まで無言で足を進めたのだった。
◇
たどり着いた。
目的地に。レセリア湖に。
すると音もなくレイルンが姿を現した。
そして、彼は静かに地面から足を離して湖水の上に浮かんだかと思うと、くるっと振り返り、メルエーナの方を向いた。
「お姉さん、ありがとう。僕のワガママをここまで叶えてくれて……」
レイルンはそう言って微笑んだ。無邪気な少年のような、それでいて寂しげな表情で。
「これから僕は大きな魔法を使う。レミィとの約束を果たすために。でも、その魔法を使ったら、僕はきっとこの世界で存在を保てなくなると思うんだ」
「……そんな……。だって、まだレミィさんと……」
メルエーナは突然の事態に驚く。
「ううん。いいんだ、もう。レミィには、もう僕以上に大切な人がいるみたいだから。僕がこの世界に残っても、きっとレミィを悲しませるだけだもん……」
レイルンは微笑んだまま、大粒の涙をポロポロとこぼす。
「……レイルン君」
なにか言葉を掛けようと思ったが、メルエーナは言葉が見つからない。
「ただ、僕はお姉さんに最後も迷惑をかけてしまうのを許して欲しいんだ。僕もなるべく自分の力と、あのエリンシアというお婆さんがくれた力だけで魔法を完成させるつもりだけれど、もしかすると少し足りないかもしれない。すると、お姉さんの魔法力も使わせて貰うことになってしまうんだ」
レイルンは申し訳無さそうにメルエーナに告げる。
魔法力というものがどのようなものかは分からない。けれど、メルエーナはレイルンのためにどんな協力も惜しむつもりはなかった。だから、その事を口にしようとしたのだが、それまで黙っていたジェノがそれを遮るように前に出た。
「レイルン。メルエーナの代わりに、俺から力を奪うことは出来ないか?」
「ジェノさん、何を!」
メルエーナが驚きとともにジェノを見るが、彼はただレイルンを見つめて問うのみだった。
「……ごめん。それはできないんだ。お兄さんはまったく魔法力を持っていないから……。お兄さんの中の良くないものは魔法力を持っているかもしれないけれど、あれは負の力だから、魔法が汚れてしまうし……」
「……やはりそうか。すまなかった。忘れてくれ。ただ、メルエーナへの負担は……」
「うん。必ず最小限にするよ。それだけは、絶対に……」
レイルンの言葉に、メルエーナの心はかき乱される。
以前にもレイルンは言っていた。ジェノには良くないものに取り憑かれてしまっている、と。
そしてジェノはその事を知っているようだ。
それなのに、どうして当たり前のように、それが何事でもないかのようにしているのか分からない。自身のことよりも、私の事を何故心配してくれるのかわからない。
「どういうことですか、ジェノさん?!」
メルエーナはそう問い詰めようとしたが、ジェノは顔を逸し、「別の機会に話す。今は、お前の体が心配だ」と言って口を噤んでしまう。
「ごめんね。僕のわがままでお姉さんを苦しめて……」
レイルンが申し訳無さそうに言うので、メルエーナもそれ以上ジェノに追求することが出来なかった。
「でもね、約束は忘れていないよ。お礼をするから、楽しみに待っていてね」
レイルンは笑顔でそう言うと、
「ありがとう、優しいお姉さん。それじゃあ、さようなら」
そう言い残し、レイルンは湖面よりも少しだけ高く浮き上がったまま、スピードを上げて湖の奥に進んでいってしまう。
「レイルン君!」
メルエーナは名を叫んだが、レイルンが振り返ることはなかった。
そして、僅かの間を置いて、星々と月を映しだしていた鏡のような湖面が、不意にまばゆい光を放ち始めたのだった。
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