第190話 『優しさと寂しさ』

 一通りの話をし、今後の方針を決めたものの、あれこれと話しをしているうちに、随分時間がかかってしまった。


 エリンシアの魔法屋から二人で家路に就くメルエーナは、先を歩くジェノに「すみません、我儘をいってしまいまして」と謝罪を口にする。


「何も謝ることはないだろう。お前がそう決めたのならば、それでいい」

 ジェノは振り返らずに、淡々と言う。

 

 それが突き放されたような気がしてしまい、メルエーナは歩きながら顔を少し俯ける。


 やはりジェノさんは怒っているのだろう。

 ジェノさんは自分のことを心配してくれて、エリンシアさんのお店まで同行してくれたのに、こんな我儘な事をしてしまって……。


 エリンシアさんとリリィさんもきっと怒っているだろう。

 格安で、安眠を妨害する妖精がもう現れないようにしてあげると提案してくださったのに、そのご厚意に後ろ足で砂をかけるようなことをして、無茶な頼みをしてしまったのだから。


(でも、私はあの妖精さんが……。レイルン君が私に悪戯をするために毎晩現れているとは思えないんです。だって、あの子はいつも必死に私にお願いをするだけで……)


 レイルンはいつも、以前出会ったレミィという小さな女の子の願いを叶えるために、『魔法の鏡』というものをレセリア湖の近くの洞窟に運んで欲しいと頼んできていた。その様子はすごく切羽詰まっていて、懸命に思えた。あれが悪戯だとはどうしても考えられない。


「メルエーナ……」

「はっ、はい!」

 考え事をしていた所で不意に名を呼ばれ、慌てて返事をするメルエーナ。そんな彼女に、ジェノは振り返り、


「お前は、本当に優しいな」

 そう言って苦笑した。


「えっ? その……」

 突然の言葉に二の句が続かないメルエーナは、どうしたものかとあたふたする。

 それを見て、ジェノは僅かに口角を上げた。


「だが、それは美点ではあるが、お人好しとも取れる。世の中、悪い輩も多い。何か行動をする前に誰か信用できる人間に相談することも覚えたほうがいいぞ」

 ジェノの嗜めるような言葉。しかしどうしてか、メルエーナはその言葉に、暖かさと少しの寂しさを感じた。


「……ジェノさん……」

 メルエーナが名前を呼ぶと、ジェノは彼女に背を向けて静かに歩きだしてしまう。メルエーナはそれに静かに付いて歩く。


 しばらく無言で歩いていると、あっという間に<パニヨン>に帰ってきてしまった。


 ジェノは裏口に回ろうとしたところで、メルエーナは意を決して口を開く。


「あの、ジェノさん」

「どうした?」

 振り返ったジェノに、メルエーナはニッコリと笑みを向けた。


「私は、やっぱりまだまだ都会で生活する上での心配りが分かっていないようです。ですから、困ったことがあったら、また相談させてもらってもいいですか?」

 メルエーナは体が震えそうになるのを堪えて尋ねる。


「……信用できる人間に、と言ったはずだ」

「はい。ですから、ジェノさんに相談させて頂きたいんです」

 ジェノの言葉に、一瞬の間も置かずにメルエーナは答える。


「……やはり、お前を一人にしておくと心配だな。夕方からの準備にも立ち会わせて貰ってもいいか?」

「はい。ジェノさんも居てくださったほうが心強いです」

 メルエーナは本当に嬉しそうに微笑む。


「それなら、まずはバルネアさんに説明だな」

「はい!」

 自分の満面の笑顔に、呆れたような顔をしていたジェノが、また僅かに口角を上げたように思えたのは、メルエーナの気の所為ではなかったのだろう。きっと……。






 

「いやぁ~。お店以外で、バルネアさんの料理を食べられるなんて、役得だわぁ」

「こらっ、端ないことを言うんじゃあないよ。まるで私が普段ろくなものを食べさせていないように聞こえるでしょうが」

「だって、夕食を誰かに作ってもらえるのなんて久しぶりだったんですよぉ」

 リリィとエリンシアのやり取りを、メルエーナ達は微笑ましげに見ている。


 何故、リリィ達がバルネアの店――もとい、家の方に来ているのかと言うと、メルエーナが依頼をしたためだった。


 先にエリンシアが提案してくれた方法では、妖精のレイルンがこの世界に来れなくなってしまう事を理解したメルエーナは、どうにかして彼のお願いを叶えてあげたいと、自らの気持ちを打ち明けた。


 ただ、今のままではメルエーナが睡眠不足で倒れてしまうので、エリンシアが彼女の部屋に泊まり、レイルンを説得しようか? と提案してくれたのだ。


 そして、メルエーナはそれを依頼したのである。


 一晩拘束することから、本来は別途その分の料金がかかるらしいのだが、バルネアさんの料理を弟子と一緒に食べさせてもらえるのならばいらないと、エリンシアは言ってくれた。

 

 そのことをバルネアに話したところ、彼女も喜んでお願いを聞いてくれたので、こうしていつもよりも大人数で夕食を食べることになったのである。


「エリンシアさん。その妖精さんを説得するというのは難しくはないのですか?」

 デザートを切り分けながら、バルネアがエリンシアに尋ねる。


「まぁ、それは私におまかせだよ。ただ、妖精は基本的に人の目に触れたがらないんだ。メル嬢ちゃんの部屋には、私とこのバカ弟子だけで待機させてもらうよ。私達は妖精に気づかれない方法があるからね」

 エリンシアはそう言い、切り分けられた美味しそうなレモンパイを見て目を細める。


「坊や。心配なのは分かるけれど、決して坊やは部屋から出てきてはだめだよ。坊やが近づくと、妖精が現れない可能性が高いからね」

「はい、分かっています。どうかメルエーナのことをよろしくお願い致します」

 バルネアの切り分けたレモンパイを皆の前に給仕し終えたジェノが、そう言って頭を下げる。


「まったく、そんな殊勝な態度ができるんだったら、メル嬢ちゃんにもう少しアプローチしてやりなよ」

 エリンシアは呆れたような口調でいい、メルエーナが淹れてくれた紅茶を一口くちにする。


「いいかい? 本来、妖精は微力でも魔法の力を持つ者の前に現れるんだ。けれど例外として、魔力を持たない若い乙女の前に現れることもある。これは、成長とともに子供を産む準備をしている乙女は、命を宿すために強いエネルギーを溜め込み続けているためなんだよ。

 つまりだ。坊やがメル嬢ちゃんを本当の意味で『女』にしていれば、今回のようなことは起こらなかったんだよ、まったく」

 エリンシアは文句を言いながら、レモンパイにフォークを伸ばす。


「……えっ? それって、その……」

 リリィが頬を赤らめながらも、ニヨニヨとした視線をメルエーナに向けてくる。


「いっ、今はそんな話ではなくて、今晩のことを話しましょう!」

 一瞬、エリンシアが何を言っているのか分からなかったが、彼女が何を言っているかに気づき、メルエーナは顔を真っ赤にしながら大慌てで話に割り込む。


「やれやれ。奥手ばかりでつまらないねぇ。誰か一人でも既成事実を作れば、すぐに他の嬢ちゃん達も続きそうなんだがねぇ」

 エリンシアはやれやれと言った様子で、レモンパイを口に運ぶ。


「ああっ、美味しいねぇ。バルネア、うちのバカ弟子にも、今度パイの焼き方を教えてやってくれないかい?」

「ええ。お安い御用ですよ」

 バルネアは終始笑顔で、楽しそうだ。


「ジェノ坊や。食事が終わったら少し話したいことがあるから、自分の部屋で待っているんだよ」

「話ですか? はい、分かりました」

 怪訝な顔をしながらも、ジェノは了承する。


 いったいどんな話をするのか気になるが、今晩の事に集中したほうがいいと思い、メルエーナは気持ちを新たにするのだった。

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