特別編

第179話 特別編⑤ 『仮装と乙女心』(前編)

 風がすっかり冷たくなってきた。

 秋は食べ物が特に美味しい季節だが、これから冬が始まるのかと思うと、少々気が滅入る。


 メルエーナの故郷であるリムロ村では、ぶどうの収穫が終わり、ワインを作っている頃だろう。

 去年も里帰りをしていないから、もう随分昔のことに思える。


「ほら、メルもどっちがいいか選びなさいよ! 貴女の事を話し合っているんだから⁉」

「そうよね。メル。どちらを選んでも文句を言わないから安心していいよぉ。でも、私の案を採用してくれるって、お姉さん、信じているからね」


 現実逃避するように、生まれ故郷のことをぼんやり考えていたメルエーナは、しかし、イルリアとパメラの声に現実に無理やり引き戻されることになった。


(……お父さん、助けて下さい……)

 事の元凶である母親に助けは求められないので、メルエーナは遠い故郷の父に、心の中で助けを求めたが、いかんせん物理的な距離は縮まってくれないのだ。





 ハロウィンという行事をメルエーナが知ったのは、このナイムの街にやってきてからだ。

 とはいっても、あまり詳しい語源や意味は曖昧だ。


 ただ、この異国の文化があふれるナイムの町の人間は、雑多に他所の国の祭りを模すのが大好きらしく、十年程前から浸透し始めた、比較的新しいお祭りらしい。


 この日は、かぼちゃの幽霊のようなものが祀られ、飾られ、仮装した人間が街を練り歩く。

 料理もかぼちゃを使った物が多く提供され、仮装した子ども達が、『トリック・オア・トリート』と口にし、お菓子をねだってくるので、大人たちは常にお菓子を持ち歩かなければいけないので意外と大変なのだ。


 今年、めでたく成人したメルエーナは、大人として子どもたちにお菓子を配らなければと思い、クッキー作りに精を出す予定である。


 新しいものも敏感に取り入れるバルネアの店であるパニヨンも、当然ハロウィンの際にはカボチャ料理を提供するし、なんと仮装も行うのだ。


 去年はバルネアと二人で、かぼちゃをイメージしたスカートと黒を基調にした衣装で、魔女の格好をした。 

 ただ、ジェノが仕事でいなかったため寂しい思いをしたメルエーナだったが、今年は一緒にお店を手伝うことになっているので、一層気合が入る。


 それに、バルネアが昨日、「ジェノちゃんには、絶対これが似合うと思うの」と言って、外が黒で内が真紅のマントと、同じく黒と真紅が基調の服を渡し、吸血鬼の格好をさせた。

 これが本当に似合っていて、メルエーナは伝承の化け物がすると言われる<魅了>の魔法に掛かったかのように魅入られてしまい、ドキドキして昨日はあまり眠れなかったほどだ。


 そう。

 いよいよ来週に迫ったハロウィンを、メルエーナはお菓子を心待ちにする子供のように楽しみにしていた。


 だがここで、あの困った母から荷物が届いたことから悲劇が始まったのだ。





 いつものようにあっという間に仕込んでいた料理が底をついてしまい、午後から休業になってしまったパニヨンで、メルエーナは今月末のハロウィンの料理とクッキーをどんなものにしようか、バルネアと相談していた。


 客席には、少し遅れて昼食を取る、神官のパメラの姿もあった。


 そんな中、メルエーナの実家から荷物が届いたのである。 


「おっ、実家からの贈り物?」

 食事を食べ終えたパメラが、配達員から荷物を受け取って嬉しそうに微笑むメルエーナに声を掛けてくる。


「はい! きっとジャムか何かだと思いますので、パメラさんも少し持っていかれませんか?」

「わっ! いいの? 去年貰ったぶどうジャムが美味しかったから、お姉さん、すごく嬉しいなぁ」

 パメラは本当に嬉しそうに微笑んでくれる。


「ふふっ。リアラ先輩の作るジャムは絶品だものね」

 バルネアも笑顔でキッチンから出てきて、メルエーナが荷物を置いたテーブルに皆が集まる。


 バルネアが持ってきてくれたハサミを使い、梱包の紐を切り、底の深い、少し重量のある木箱の蓋を開けると、予想通り、いくつもの瓶にジャムが小分けにされて入っていた。


 そう、ジャムは入っていた。

 それはいい。封筒にいつものように手紙が入っていたのも嬉しい。だが、そのジャムの小瓶の横に、布に包まれた長方形の何かが入っていた。


「これは?」

 メルエーナはそれを手に取り、不思議に思ってその布を結んでいた紐を解き、布を取る。するとその拍子に、するっと何かが床に落ちた。

 メルエーナの手の中には、型くずれしないようにと入れられていたと思われる厚紙しかない。


「メル、なんか落ちたわよ」

「あっ、すみません、パメラさん」

 パメラが床に落ちてしまった何かを拾ってくれた。

 それは、黒い布切れのようで……。


「……えっ……。これって……」

「どうしたんです、パメラさ……」

 パメラの手にしている黒い布切れを見て、メルエーナの思考は停止する。


「まぁ、すごいわね」

 のんびりとしたバルネアの感想に、パメラも、


「いやぁ、大胆だね、メル。お姉さん驚きだぁ」


 とその布切れを伸ばして、頬を赤らめながらそれを見ている。


 パメラが手にしているものは、まさに布切れだった。布の面積が殆どない、その大部分が紐だけの……下着だった。しかも、下の方の……。


 それを理解した瞬間、メルエーナは悲鳴を上げ、大慌てでパメラの手からそれを奪い取り、先程の布にそれを乱暴に畳んでいれ、木の箱の中に戻し、蓋をした。


 だが、そんな事をしても今更遅い。遅すぎる。


「……メル。そうよね。マリアというライバルが現れた以上、うかうかしていられないものね」

 うんうんと、何もかも分かっているからと言わんばかりの微笑みを浮かべ、パメラがメルエーナの肩に手を置く。


「メルちゃん、その時が決まったら教えてね。私も、外に用事を作って外泊してくるわ」

 バルネアものほほんと微笑み、パメラとは反対の方の肩に手を置く。


「違います! 誤解なんです! 今のは何かの間違いで……」

 メルエーナは必死に誤解であることを訴えるのだが、二人の耳には届かない。


「ふふっ。いいのよ、メル。私と貴女の仲じゃあないの。でも、急いては事を仕損じるわ。明日はお店が休みでしょう? 三人よれば文殊の知恵。イルリアとリリィも交えて、いつもの喫茶店で相談しましょう」

「あら、それはいいわね。詳細が決まったら、私にも教えてね」

 パメラとバルネアは、二人で勝手に明日以降の予定を決めてしまう。


「ですから、私の話を……」

 メルエーナは懸命に声を上げたのだが、パメラは、


「大丈夫! 明日はなんとしても休みを取るわ! 可愛い妹分の未来のためだもの! バルネアさん、ごちそうさまでした!」

 

 そう言い残し、昼食代をテーブルに置いて店を猛烈な勢いで出ていってしまった。


「あっ、ああああっ……」

 もはや追いつくことなど不可能なことを悟り、メルエーナはがっくりと項垂れる。


「ふふっ。若いっていいわね」

 バルネアののんきな言葉が、気落ちするメルエーナの心にとどめを刺すのだった。

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