第171話 予告編④ 『夏のとある日』②

 長い船旅から開放されたジェノは、久しぶりの陸での生活を楽しむでもなく、一時とはいえ拠点となる現在居候させてもらっている家の周りを散策し、これからの生活の基盤を確立しようとしていた。


 この街の冒険者ギルドにも立ち寄り、挨拶をしてきたのもその一環だった。


 だが、その帰り道で、ジェノはさっそくトラブルに巻き込まれることとなる。


「たっ、助けてくれ!」

 大通りを歩いていた自分に、狭いわき道から駆け寄ってくるなり、跪いて懇願してくる二十代くらいの男の姿に、ジェノは呆れる。

 いや、これが見も知らずの人間ならばそんなことは思わないのだが、その男の顔はジェノの見知った顔だったのだ。


 つい昨日、このエルマイラム王国の首都ナイムにやってきたジェノには、バルネアの他には見知った顔はほとんどいない。けれど、この男の顔は数少ない例外の一人だった。


「何故、俺がお前の頼みを聞かなければいけないんだ?」

 ジェノは昨日、バルネアにちょっかいを出そうとしていた三人組の男の一人に冷たく問いかける。


「あっ! お前は!」

 今頃になって、この男も自分が誰であるかを理解したようで、忌々しげな顔をする。

 大方、帯剣している姿だけを確認して、すがりよってきたのだろう。


 だが、男はすぐに泣き出しそうな顔に変わると、地面に頭を擦りつけて、「済まなかった。もうあの女にちょっかいを掛けたりしないから、助けてくれ」と再度懇願してくる。


「おい! 仲間を置いて逃げるなよ」

 わき道から、白い衣服を身に着けた金色の髪を短く切った少年が現れ、恐怖に震える男に殺気を向ける。


 年は自分と同じくらいだろうか、とジェノはその少年を見る。その歩き方をだけでも、武術の覚えがあることが分かる。


「ひっ、ひぃぃぃぃっっ……」

 男は金髪の少年の姿に腰を抜かしながらも何とか逃げようとするが、すぐに少年に後ろ襟を掴まれてしまう。


「待て」

「んっ? ああ、協力に感謝する。こいつらは、逆恨みから狼藉を働こうとしていた連中なんだ。逃さないでいてくれて助かった。だが、ここからは俺たち自警団の管轄だ」

 ジェノの静止の声に、金髪の少年は簡単な説明をし、そのまま男を連れて行こうとする。


「待てと言っているのが聞こえないのか? この男たちが逆恨みをしている相手というのは、おそらく俺だ」

「何? お前が? ……すると、お前がバルネアさんの家に転がり込んだとかいう奴か」

「そうだ」

 ジェノはそこまで言うと、金髪の少年を睨みつける。


「随分と手荒いんだな、この街の自警団の仕事は」

「……何が言いたい?」

「血の臭いがする。そして、お前の服に付いているのは返り血だ。もう戦意がない人間をこれ以上痛めつけるのは止めろ。それは、ただの私刑だ」


 ジェノの指摘に、金髪の少年の顔つきが険しいものになる。


「俺は的はずれなことを言っているか? それならば、この道の奥でお前が何をしたのか見せてもらえるか?」

「取調べ中だ。部外者は引っ込んでいろ」

 金髪の少年の声に怒気がこもる。図星のようだ。


「俺はこいつらを助けてやる理由はない。だが、お前にいたぶられるのを見過ごすつもりもない」

「もう一度言うぞ。取調べ中だ。一般人は引っ込んでいろ」

 金髪の少年のその態度に、ジェノは不快感を顕にする。


「どこにでもいるんだな。権力を笠に着る奴というのは」

「何だと……」

 ジェノの言葉に、金髪の少年の声が危険なほど低くなる。一触即発の雰囲気だ。

 

 だがそこで、不意に第三者から声がかかった。


「何をやっている、レイ!」

 そんな声を上げたのは、二十代後半くらいの精悍な顔つきの深い茶色の髪の男だった。その男は、金髪の少年と同じ白い制服を身に着けている。

 そしてその後ろには、目の細い二十代前半くらいの青年の姿も見える。

 どうやら金髪の少年――レイの仲間なのだろう。


「団長……副団長まで……」

 レイは罰が悪そうな表情を浮かべる。


「君。うちの自警団の者が失礼をしたようだな」

 団長と呼ばれた男は、ジェノにそう謝罪をする。


「俺は何もされていない。されたのは、いまそのレイとかいう奴が首根っこを掴んでいる男の仲間だろう」

 ジェノがそこまで言うと、団長の後ろに居た糸目の男が路地裏の道に足を運ぶ。


 そして、そこから出てくるなり、その目の細い男は、レイの頬に拳を叩き込んだ。


「レイ! 何をしたんだ、君は。我々の仕事はこの街の治安を守ることだ。必要以上の罰を科すことではない!」

「……はい。すみません……」

 レイは渋々といった感じで、糸目の男に謝罪をする。


「君、済まなかったね。彼はうちの新人なんだが、少々先走るところがあってね。特に今回は、懇意にしている人に害が及んだと聞き……」

「そんな説明はどうでもいい。これが、あんた達自警団のやり方なのか? 必要以上に相手をいたぶり、権力を傘にそれを隠蔽しようとするのが」

 ジェノは糸目の男の言葉を遮り、彼と団長と呼ばれた男に尋ねる。


「ふっ。まるで、そうであれば許さんといった感じだな。止めておけ。もしもその剣を抜くのであれば、俺も抜かないわけにはいかなくなる。

 それなりに剣を扱えるようだ。相手の実力が分からないわけではないだろう?」

 団長という男の言葉にも、ジェノは怯まない。それが、事実だと分かっていても。


「俺がお前に敵わないことと、俺が剣を抜く事に、なんの関係があるんだ?」

 ジェノのその言葉に、団長はニッコリと微笑んだ。


「いやぁ、今どき、その歳でここまで肝の座った奴がいるとは驚きだ。うん、一般人にしておくのはもったいないくらいだな」

 団長の憎めない笑顔に、ジェノはすっかり毒気を抜かれてしまう。


「大丈夫だ。お前が思っているような腐敗した組織ではない。俺たちはな。俺の名前はガイウス。この自警団の団長だ。この俺の誇りにかけて、彼らを不当には扱わないことを誓う。傷の手当もすぐにさせる。安心してくれ」

「そんなこと、口ではなんとでも……」

「ああ、そうだな。だから、心配ならお前もついてこい。うちは万年人不足でな。有望な新人に飢えているんだ。お前のように腕が立つ上に、義憤を覚えられるような男は大歓迎だ」


 ジェノは戸惑いながらも、レイに首根っこを掴まれていた男の懇願もあって、自警団についていくことになった。


 これが、ジェノが初めて自警団の面々と顔を合わせることとなったきっかけだった。





 ジェノが一通りのことを話すと、メルエーナは不機嫌そうに頬を膨らます。


「その頃から、レイさんは無茶苦茶なことをしていたんですね」

 先の猿に似た化け物がこの街に現れた事件以降、メルエーナはどうもレイを嫌っているようだ。

 誰に対しても人当たりがいい彼女にしては珍しいとジェノは思う。


「そう言うな。あいつはあいつなりに一生懸命なだけだ。特に、バルネアさんに深い恩義を感じている。だから、バルネアさんにちょっかいを出そうとしていたと聞き、そしてその連中が良からぬ企てをしているのを知って、過激な行動に出てしまっただけだ」

「ですが……」

「あの頃の俺なら分からなかったが、今の俺なら、あいつの気持ちは分かる。もしも今、バルネアさんに誰かが害を加えようとしていたら、俺も冷静で居られる自信はないからな」

 ジェノは苦笑交じりに言う。


「少し休もうか?」

 海岸付近に置かれたベンチに足を運び、そこにメルエーナを座らせる。


「ああっ、風が本当に気持ちいいですね」

「そうだな」

 ジェノはメルエーナの後ろに立ち、日陰を作って彼女を日光から守る。


「そういえば、ジェノさん。どうして先程の話の中で、レイさんは三人が悪巧みをしていることが分かったんですか?」

 メルエーナの問に、ジェノは苦笑する。


「その前に俺とひと悶着あった際に、この港を取り仕切るデリアムという男が、あいつらがまた良からぬことを企てそうだと思い、見張りを付けていたんだそうだ。そして、その見張りから情報が自警団に流されたらしい」

「なるほど。ふふっ。やっぱりバルネアさんは、皆さんに慕われているんですね」

「ああ。素晴らしい人だ、本当に」

 ジェノは誇らしげに微笑む。


「そして、あの三人の男の人は、すぐに改心したんですか?」

「ああ。レイにボコボコにされたことが功を奏して、すっかりおとなしくなった。ただ、俺が自警団の様子を確認して帰ろうとすると、あいつらが俺を止めるんだ。俺の目がなくなると、またひどい目に合わされるかもと言ってな」

 ジェノが苦笑交じりに言うと、メルエーナはクスクスと笑う。


「そして、紆余曲折があり、ろくな職業に就いていなかったあいつらは、デリアムさんのところで性根を叩き直してもらうことになった。だが、それまでの引け目からか、俺に対する態度はあのとおりなんだ。まったく、困ったものだ」

 ジェノはそこまで話、少し自分に戸惑う。


 自分はいつの間に、こんなにも何気ない話を人に聞かせるようになっていたのだろうと。


「あっ、あの、ジェノさん……」

「なんだ?」

 メルエーナは頬を少し朱に染めて、何かを話そうとする。

 熱にやられていなければいいがとジェノは不安になる。


「そっ、その、さきほど、バルネアさんに誰かが害を加えようとしていたら冷静では居られないと言っていましたけれど、その、もしも、私に……」

「んっ? お前に害を加えようとする者が居た場合も同じだ。当たり前だろう」

 同じ家に住む家族のような存在なのだ。そんなことは訊かれるまでもない。


「そっ、そうですか。あっ、当たり前なんですね……」

 メルエーナはいよいよ顔を真っ赤にして、顔を両手で覆う。

 帽子を被ってこなかった事が悔やまれる。一旦、家に戻ったほうが良さそうだ。


「そっ、それじゃあ、行きましょうか、ジェノさん」

 しかし、そんなジェノの心配をよそに、メルエーナは静かにベンチから立ち上がる。


「大丈夫か、メルエーナ。顔が真っ赤だぞ」

「だっ、大丈夫です。むしろ、このまま座っていた方が危ないというか、なんというか……」

「んっ? まぁ、体に異常がないのならばいい。ただ、なにかあれば、すぐに言ってくれ」

 ジェノは心底心配して言ったのだが、メルエーナはやはり真っ赤な顔で「大丈夫です」と言い、何故か嬉しそうに微笑むのだった。

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