第172話 予告編④ 『夏のとある日』③
海岸沿いを、ジェノはメルエーナと連れだって歩く。
「皆さん、楽しそうですね」
立ち止まり、浜辺でビーチボールで遊ぶ若い男女を見て、メルエーナは微笑む。
「……そうだな」
ジェノもメルエーナと同じものを見て、微笑む。
けれど……。
「ジェノさん……」
「どうした?」
メルエーナが物悲しそうな瞳を向けてくることに、ジェノは内心で戸惑うが、普段と変わらぬ無表情で対応する。
自分でも嫌になる時があるが、幼い頃からの癖は抜けない。
この無表情で気持ちを悟らせないというのは、幼い頃から周りにあふれていた、騙そうとする人間や取り入ろうとする下心に溢れた人間から自分を守るための、ジェノなりの処世術なのだ。
「いえ、その……。どうして、そんな悲しそうな顔をしているのか分からなくて……」
メルエーナの言葉に、ジェノは驚いた。
「……そんな顔をしていたつもりはないんだが」
「あっ、すみません。でも、どうしてか私にはそう見えてしまったんです」
メルエーナは申し訳無さそうに謝罪する。
「謝る必要はない。そう見えたのなら、きっとそうなんだろう」
ジェノは意識して微笑む。
「ジェノさん……」
「飲み物が売っているな。丁度いい」
道の先で露天が出ていた。飲み物の他にアイスクリームまであるようだ。
ジェノ達はそこまでのんびりと歩いていく。
「メルエーナ。何が良い?」
「えっ? あっ、ありがとうございます。そうですね。飲み物もいいですが、容器が邪魔になってしまいそうですので、アイスにしませんか?」
「そうか」
売り子の年配の女性に、ジェノはアイスクリームを一つだけ注文する。
「あの、ジェノさんの分は?」
「俺は必要ない」
端的に言いたいことを言い、ジェノは店の人からアイスを受け取ると、それをメルエーナに手渡す。
「あら、お嬢さん。私ったら、うっかりしていたよ。はい、これも」
年配の女性が、メルエーナに紙製の折って作るスプーンを手渡す。
その際に、なにか目配せらしき事をしていたように見えたが、もしかするとメルエーナの知り合いなのかもしれない。
「行こうか、メルエーナ」
コーンに乗ったアイスクリームならば、歩きながらでも食べられるだろう。ジェノはそう思ったのだが、メルエーナはその場を動こうとしない。
「あっ、あの、ジェノさん!」
「どうした? また顔が赤いぞ。大丈夫か?」
「はっ、はい! 大丈夫です! ですから、その、ジェノさんも一口食べませんか?」
メルエーナは顔を真っ赤にしながら、アイスクリームを手渡されたスプーンで一口すくい、ジェノに向かって差し出してくる。
「いや、俺は……」
「こらこら、彼氏さん。こんな可愛らしい彼女がこう言ってくれているんだよ。一口ぐらい食べてみなよ。うちのアイスクリームは美味しいんだから」
店の店員の女性まで、何故かメルエーナの行動を後押しする。まぁ、彼女も商売をしているのだ。顧客の確保は重要なのだろうとジェノは判断する。
(そもそも、彼氏でも彼女でもないんだがな)
そう言いたかったが、それを口に出しても面倒なことにしかならないのは分かっているので、先程の三人組にデートだと勘ぐられたときと同じ様に黙っていることにする。
「分かった。すまないが、スプーンをもう一本もらえないか?」
「あら、生憎と在庫が切れちまったみたいだね」
店の営業をしている人間にあるまじき管理のずさんさだとジェノは思ったが、人の店のことだ。部外者が文句を言うのは筋違いだろう。
「ほら、溶ける前に早く食べなよ」
何故か、店員は少し怒ったような口調で言う。
こんな接客態度で良いのだろうかと、本気で心配になってくる。
「分かった。メルエーナ、スプーンを……」
「どうぞ、ジェノさん」
メルエーナは真っ赤な顔で、スプーンに乗ったアイスの方を差し出してくる。どうやらスプーンは今後も使いたいようだ。すると、必然的にスプーンに口を付けないでアイスだけを食べることが求められる。
「メルエーナ。スプーンを使い回すのは不衛生……」
「どうぞ!」
メルエーナは真っ赤な顔で、アイスの乗ったスプーンを押し付けてくる。
怒ったような顔をしているが、彼女の体はわずかに震えている。
まずい。また熱で体に異常が出ているのかもしれない。
「分かった。食べる。だから、お前もすぐに口に入れろ」
ジェノはそう言って差し出されたスプーンからアイスを口に運んだ。
口の中に、バニラの香りとアイスの甘さが口いっぱいに広がる。なるほど、たしかに美味しい。
だが、今はそんなことよりもメルエーナが心配だ。
「わっ、私も頂きます!」
メルエーナはジェノに使ったスプーンで素早くアイスをもう一口分取ると、それを自分の口に運んだ。
「メルエーナ。そういう意味じゃない……」
確かに、すぐに口に入れろと言ったが、それはスプーンを使わずにかじりつけばいいと思ったから言ったのだ。
「いいんだよ、こういう意味で。まったく、お嬢ちゃんも苦労するね」
店員の年配の女性が、こちらを睨んだかと思うと、メルエーナには同情するような視線を向ける。
どういうことだ? まったく意味が分からない。
「おっ、美味しいですね、こっ、この、あっ、アイス……」
メルエーナは顔から湯気が出るのではと思えるほど顔を真っ赤にして、アイスの味を評する。
ただ、しどろもどろで、本当に味がわかっているのか不安に思えるのは何故だろう?
「じぇっ、ジェノさん、そっ、それでは、いっ、行きましょう! わっ、私は、その、あっ、アイスを食べながら、いっ、行きますので……」
「あっ、ああ。しかし、大丈夫か本当に?」
メルエーナの顔から湯気が出ている気がしてならない。熱射病でもこんな酷い症状は出ないのではないだろうか?
「だっ、大丈夫です! わっ、私は、大丈夫です!」
「そうか……」
一抹の不安は消えないものの、ジェノはメルエーナを連れ立って歩く。
その際に、アイスを売っていた年配の女性が、「お幸せに~」と背中に声を掛けて来た。
本当によく分からない露天の店員だ。
ただ、隣を歩くメルエーナが、顔をうつむけながらもスプーンでアイスを食べていたので、とりあえず体温は少しは下がるだろう。
ジェノはそう考えることにし、普段よりも更に遅くなってしまったメルエーナの歩く速さに合わせて、目的の店に向かうことにするのだった。
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