第142話 『背伸びをやめて』

 少しの沈黙の後、リニアは口を開いた。


「ジェノ。どうして、そう思うの?」

「……やっぱり、そうなんだ」

 否定しないことを肯定と受け取り、ジェノは小さく嘆息する。


「僕なりに考えてみたんです。誰が、僕を攫おうとしているのか。そして、僕を攫って兄さんを困らせることで、誰が一番得をするのかって」

 ジェノはそっとリニアの腕から離れ、元の席に座り直した。


「それに先生は、ペントと話をして、なんとか今回の誕生会を断れないかマリアの家に聞いていたと言ってましたよね? それでも断ることが出来なかったって」

「ええ。そうね」

「でもね、心配性のペントが、そんな危険だと分かっている場所に僕が参加するのを認めるわけがないんだ。たとえ、貴族からの招待であっても、ペントは僕を守ろうと、なんとしても参加しない理由を作ってくれたはずだと考えたんです」

 ジェノはそう言いながら、ペントの優しい笑顔を思い出し、早く彼女に会いたいと思ってしまう。


「きっと僕が熱を出したとかいう理由をつけて、断ったと思う。でも、その場合、せめて誰か一人くらいは参加しないと駄目ですよね? すると先生だけが誕生会に参加することになる。

 それが、普通なら一番安全な方法だと思います。けれど、こんな僕でも分かることを、ペントと先生が考えつかないはずがない……」

 ジェノはそこまで言うと、悲しく微笑んだ。


「それでもマリアの誕生会に参加することを、ペントが認めた理由は一つ。『たとえ家であっても、先生がいなければ、僕が危険だから』」

 ジェノがそこまで言うと、リニアは小さく頷いた。


「なるほど。話の筋は通っているわ。まったく、子どもって、私達が思っている以上に成長が速いのね。

 でも、どうしてそれが、君のお父さんが、君を攫おうとしているっていう話に結びつくの? 他の誰かが家に押しかけてくるというのも考えられないかしら?」

 とぼける様子もなく、リニアは確認するかのような口調で、ジェノに尋ねてくる。


「誰が一番、僕を攫って得をするのかを考えたんです。僕の兄さんはすごく頑張ってくれているみたいだけれど、まだ一つのお店を任されるくらいで、別に商会の代表なわけではないですよね?

 うちの商会のライバル店が、そんな兄さんを困らせるためだけに、なんども僕を攫おうとするのかなぁっていうのが引っかかったんです。まして、今回みたいに魔法……じゃなくて、魔術とかいうすごい力を使える人を使って、貴族まで敵に回すようなことをして……」

「うん。そうね。おかしいわね」

 リニアは静かに頷く。


「それに、以前、僕たちの家が広くなった時に、侍女長のキュリアが、僕と先生が部屋を掃除していた時に嫌がらせを言いに来ていた事を思い出したんです。

 今まで、そんなことはなかったのに、わざわざ嫌味を言うためだけに僕たちが出てくるのを廊下で待っていた。あの時は意味がわからなかったけれど、あれって、きっと……」

「うん。君の予想は大当たりよ。そこまで分かっているのならば、先生もお話してあげよう」

 リニアはそれから、今の家の現状を話してくれた。


「今、君の家の商会の大部分が、君のお兄さんの味方になっているの。なんとか君のお父さん、ヒルデさんもそれを止めようとしているけれど、もう流れは止められなくなってしまっている。

 これは君のお兄さんのすごいところね。何年も掛けて、気付かれないように少しずつ味方を増やして行っていたのだから」

「さすが、デルク兄さんだ」

 ジェノは兄の偉業が誇らしかった。


「だから、ヒルデさんと彼の権力を笠に着ていた人達は大慌て。あのキュリアって侍女長も、このままでは間違いなく自分の地位が脅かされると思い、その腹いせにあんな事をしたんだと思う。

 そんな暇があるのなら、少しは自分の行いを顧みて、反省すればいいのにね」

 リニアは「やれやれ」といった感じで嘆息する。だが、すぐに表情を引き締める。


「ごめんなさい。できることならば、貴方を危険に巻き込みたくなかった。何も知らずに子供らしい生活を送ってほしかった。だから、陰ながらに君を攫おうとする連中と戦っていたんだけれど、それももう叶わなくなってしまった」

「そんな事を、言わないで下さい。僕は、今までずっと先生に守られ続けていた事も知らなかった。ありがとうございます、先生。僕を守ってく……」

 ジェノの言葉は最後まで続かない。

 それは、再びリニアがジェノを胸元に引き寄せて、抱きしめたからだった。


「ジェノ。そんな、背伸びをするのはやめなさい。辛い時は、辛いと言いなさい。泣きたい時は、素直に泣きなさい。

 誰でも、子どもの時は一度しかないの。その貴重な時間を子どもとして過ごせないなんて、そんな不幸はないわ」

「……先生……」

「大丈夫。先生が一緒だから。それに、君のお兄さんなら、今回の件も上手く使って更に優位に立つと思うわ。だから、もう少しだけの辛抱よ」

 リニアは優しくジェノの頭を撫でる。


「……でも、僕は、ロウに誓ったんだ。もう、泣かないって……。強くなるって……」

「泣いてばかりいることは確かに強いことではないかもしれない。けれど、本当に辛い時に、素直に泣けることもすごく大事なことだって先生は思うわ」


 優しい声と柔らかなぬくもりに包まれながら、ジェノは懸命に涙を堪えていた。けれど、リニアが「大丈夫。君は、泣いてもいいの」と言って背中を撫でると、懸命にこらえていた涙腺が決壊した。


「……うっ、うううっ、あああああっ……」

 ジェノは嗚咽を漏らしながら涙を流す。

 リニアは、黙って優しくジェノの頭を撫でる。


「悔しいよ。僕は……僕はいつまでも弱いまんまで……。今日もなんの役にも立てなくて……。その上、先生やペントに、兄さんに迷惑を掛けてばかりの悪い子で……。だから、きっとお父さんも、僕のことを嫌いなんだ……」

「そんなことはない。そんなことはないよ。君ほど優しくて、いい子を先生はみたことないよ。私は、君の先生でいられることを誇りに思うわ」

 泣きじゃくり弱音を吐くジェノを、リニアは優しく受け止めて、彼を慰めてくれた。


 久しぶりに、ジェノは心の底から弱音を吐けた。

 そのおかげで、ジェノはセインラースの街に戻るときには、いつもの笑顔を取り戻すことが出来たのであった。

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