第123話 『裏通りにて』

 ジェノは走り、走り続けた。

 だが、ようやく元の遊び場に戻ってきた時には、やはりマリア達の姿はなかった。


「ただ待っている訳にはいかない。まずは、先生を探して……」

 ジェノは呼吸を整えると、リニアを追っていったマリア達を追いかけることにする。


 先生に言われていた、『危なそうなところには近づかないこと』を破ってしまうことに胸が痛んだが、今はマリア達のことが心配だ。


 初めて路地裏の通りにジェノは足を伸ばした。

 特段、表通りとの違いはないようだが、初めて歩く道でどこに繋がっているのか分からないことがジェノを不安にさせる。

 けれど、足を止めるわけには行かない。


「ちょっと、そこの坊や!」

 不意に、ペントくらいの歳の女の人に声をかけられた。洗濯物でいっぱいのカゴを持っていることから、きっとこの近くに住んでいる人だろう。


「はい。僕のことですよね?」

 ジェノは足を止め、その女性の方を向く。


「ああ、そうさね。その格好は、表通りの貴族街の坊っちゃんだろう? 悪いことは言わないから、早く貴族街に戻りな。この辺りは酒場もあるし、子供が一人で来る所じゃあないよ」

 ジェノの服装はいつもの代わり映えのないものなのだが、目の前の女性が身に着けている継ぎ接ぎだらけの服に比べればよっぽど上等だった。


「その、心配してくれてありがとうございます。でも、僕は人を探しているんです。体の大きな男の子と、小さな男の子。それと金色の髪の女の子を見かけませんでしたか?」

 警戒を解いたわけではないが、目の前の女性に害意はなさそうなので、ロディとカールとマリアの特徴を口にし、ジェノは彼らの居場所を尋ねる。


「んっ? ああ、それなら少し前に、この道をまっすぐコソコソと三人で歩いていったよ。

 顔は見えなかったけれど、なんか紫髪の女の人を追っていたみたいだったね。

 まったく、あたしは、その子達にも危ないから戻るように言ったのに、言うことを聞きやしないんだ」

 女性は腹立たしそうに言う。


「この道を真っ直ぐですね。すみません、ありがとうございました」

「あっ、ちょっと! 駄目だったら、この先は本当に危ないんだよ!」

 女性の静止の声が聞こえたが、ジェノは構わず道を奥に向かって走る。


「やっぱりこの辺りは危険なんだ。それなら、すぐにでも三人を連れ戻さないと」

 ジェノは息が切れない程度に走る。前に人が居ても、小さな体を活かして隙間をくぐり抜けた。足腰が鍛えられているため、そのようなことをして走っても、ジェノのバランスは崩れないのだ。


「あっ! そんな……」

 ジェノは眼前に十字路が見えたので、その手前で足を止めた。


 どの方向にマリア達が行ったのかまるで分からない。

 ジェノはそれぞれの道の先を確認したが、どの道もその終わりが見えないので判斷がつかないのだ。


「うん。とりあえずこっちに行こう」

 少し考えたジェノは、人通りの多い道に進む事を決める。

 まだ昼間だ。それなら人が多いところの方が安全だと考えた。


 だがそこで、


「わっ、ああああああっ!」

「まっ、待ってよ、ロディ!」

 ジェノが進もうと思っていた道とは逆の方向の横の小道から、ロディとカールの二人が泣き叫びながら飛び出してきた。


 だが、マリアの姿はない。


「ロディ! カール!」

 声をかけたが、二人はジェノの姿に気づかないほど錯乱し、彼の横を走り抜けていく。

 彼らを追いかけようと思ったが、ジェノは足を止める。


 あの二人の慌て方は普通じゃあなかった。きっとかなり怖い目に会ったのだろう。そして、マリアが居ない。これがどういうことなのかを考えた。


 怖くないと言えば嘘になる。でも、マリアに、友達に危険が迫っているのだとしたら、怖いのなんて理由にならない。


 ジェノは音を立てないように気をつけながらも、早足でロディ達が出てきた横道に近づく。

 そして、そこを覗き込むと、数人の大人の男たちに囲まれているマリアの姿を見つけた。

 マリアは体を震わせながら後ずさりをしている。これは、ただ事ではない。


 ジェノはもう構うことなく全力でマリアに向かって走っていく。

 幸い、男達はみんなマリアの方を向いていたので、ジェノが駆け寄ってくる事に気づくのが遅れた。


「マリア!」

 ジェノは叫ぶのと同時に、一番近くの男の脇腹に、全力の助走をつけた飛び肘打ちを叩き込む。

 子供の軽い体重でも、助走によって威力が増した肘打ちは、男を悶絶させた。


「ジェノ! 助けて!」

「こっちに来るんだ、マリア!」


 突然のことに驚いて呆然としている男たちの隙きを突き、ジェノは駆け寄ってマリアの手を掴み、その場から脱出を図る。

 だが、男達もすぐに我に返り、ジェノ達を捕まえようとしてくる。


「どいて!」

 ジェノはいったんマリアの手を離し、目の前に迫る一人の男に向けて右の拳を放つ。

 先生に教わった技を、先程と同じように躊躇なく繰り出した。


 幼いジェノの拳は、今度は助走による威力の増加がない。だから男の大きな手で簡単に防がれて、受け止められてしまう。

 後はそのまま拳を握られてしまっては、もう逃げることも出来ない。


 だが、ジェノが教わっていた技は、実戦を想定した技だった。


「があっ……」

 ジェノの拳を受け止めた男は、奇妙な声を上げて痛みに苦しみ始める。


 それは、ジェノが右の拳と一緒に繰り出した右足の下から上へのキックが、男の脛を正確に捉えていたためだった。

 非力な子供のキックだが、それでもジェノは足腰を鍛えている。それにキックを打つ前に一度地面に靴の、足の裏をこすらせることでタメを作って放つ一撃は、十分な威力があった。


 ジェノは再びマリアの手を掴むと、悶絶する男の横を駆け抜ける。

 そして、ジェノは踵を返して、マリアを背中の方向に逃がすと、彼女を守る壁として、男たちの前に一人で立ちはだかる。


「マリア! このまま逃げて! 早く!」

「でも、ジェノが!」

「いいから早くして!」

 ジェノはマリアにそう言うと、拳を構えて大きく息を吸う。

 そして、マリアが自分の側を離れたことを確認すると、


「このガキ!」

 自分を殴ろうと、捕まえようとする男達に向かって、


「誰か! 助けて!」


 大声で叫んだ。


 耳を劈く大声を受けて、男達は耳を抑える。


 ここまでは、ジェノの行動は全て運良く成功した。

 だが、彼には、もうこれ以上の手はなかった。


「このガキ!」

 男の一人が放った拳が、ジェノの顔面を捉えた。

 幼いジェノの体は、後方にふっ飛ばされて、宙を舞ったかと思うと、横道から飛び出して地面に激突する。


「ぐあっ……」

 背中を痛打したことで、呼吸ができなくなる。

 そして、それと同時に殴られた左の頬が焼けるように痛い。

 涙が出そうになる。


 だが、それでもジェノは涙をこらえ、体に力を込めて、何とか立ち上がろうとする。


 マリアの声が聞こえない。

 どうやら彼女はきちんと逃げてくれたみたいだ。

 それなら、後は時間を稼ぐだけでいい。誰かが、助けてくれるまでの時間を。


 しかし、ジェノの目論見は外れてしまう。騒ぎに気がついて人が集まってきていたが、男たちがひと睨みすると、彼らは怯えて次々と去っていってしまったのだ。


 絶望に打ちひしがれながらも、ジェノは少しでもマリアが逃げられるようにと、時間を稼ごうと考える。


「負ける……もんか……」

 ジェノは気合を入れて立ち上がったが、次の瞬間、男の一人に髪を掴まれると、そのまま上に持ち上げられ、顔面を地面に叩きつけられた。


「このクソガキ!」

 ジェノの肘打ちを受けた男が、逆上してもう一度ジェノの顔を叩きつけようとしたが、男の一人がそれを止めた。


 だがそれは、当然ジェノの体を気遣っての言葉ではない。

 その証拠に、無造作に手が離されただけで、ジェノはまた顔面から地面に激突する。


「このガキの身なりをよく見ろ、馬鹿が。このガキも貴族街のガキに違いない。殺すよりも、生かしておいたほうが金になる」

「だけどよ、このガキ、俺……腹を……」

「うるせえ。俺の言うことが……聞け……か」


 男達が何かを喋っているようだが、顔面を地面に叩きつけられたショックで、ジェノの意識は朦朧とし始めた。

 だが、ジェノは何とか顔を動かして前を見る。


 マリアが無事に逃げられたのか、それだけが気がかりだったのだ。


「だっ、駄目だ…よ、逃げて……」

 けれど、そんなジェノの視界に、一人の女の子の姿が見えた。


 マリアだ。マリアがまだ近くにいる。

 遠巻きに自分たちを見る人の輪の中に、彼女がいるのだ。


 ジェノはその事に気づき、自分の体に力を入れる。

 途切れてしまいそうな意識を懸命に繋ぎ止める。

 けれど、それが限界。ジェノは自分がもう立ち上がれないことを悟った。


 悔しかった。

 また、何も守れないことが。

 一生懸命頑張っても、まだまだ自分は何も出来ない弱虫だ。

 弱いままだ。

 

 ごめんね、ロウ。

 僕はやっぱり、強くなれないみたいだ……。


 ジェノが悔しさに涙をこぼしそうになったときだった。

 なにかの大きな影が近づいてきたかと思うと、不意にジェノの体が温もりに包まれた。


「まったく、無理をし過ぎよ、君は」

 そんな温かな声とともに、ジェノの体は優しく抱き起こされた。


 その声を忘れるはずがない。その顔を見間違えるはずがない。

 自分を抱き起こしてくれたのは、リニアだった。


「マリアちゃん。ジェノの事をお願いね」

 リニアはジェノをお尻からゆっくりと地面に座らせ、マリアにそんな指示を出す。


「ジェノ! ジェノ!」

 マリアは涙で顔を濡らしながら、座るジェノを抱きしめた。


 何が何だか分からない。

 でも、先生が来てくれた。


 それに、マリアも怪我はしていないみたいだ。

 ジェノはその事を確認して、ほっと胸を撫で下ろす。


「おいおい、随分と勇気のある嬢ちゃんだな」

 男たちのリーダー格らしき男が、リニアを睨みつけて凄みをきかせる。

 そして、男が手を挙げると、他の男達は、リニアとジェノ達を円状に包囲する。


「このガキ共は、嬢ちゃんの関係者か? それなら、嬢ちゃんには、このガキが暴れた落とし前をつけてもらわないとな」

 男たちはそんな事を言い、リニアの体をなめるように見つめ、下卑た笑みを浮かべる。


「それは、私のセリフよ」

 リニアは今までジェノが聞いたことがないほど低い声で言うと、素早く腰の剣の柄を握った。


「おっと、止めておけよ。その剣を抜いたら、俺達も剣を抜かざるを得ないぜ」

 男の一人がそう言って腰に帯びた剣を握ろうとした。だが、そこでようやく異変に気づく。


 ジェノの耳に、重いものが地面に落ちる音がいくつも聞こえる。そして、周りを見てみると、男たちが腰につけていた剣が鞘ごと地面に落ちていた。


「何を寝ぼけたことを。私が何回剣を抜いたのかさえ分からないの?」

 リニアの言葉とともに、男たちは思いもしなかった事態に唖然とする。


「覚悟はいいでしょうね? 私の生徒に手を上げた落とし前、きっちりとつけてもらうわ」

 リニアの迫力に、男たちは後ずさる。だが、そこでまた何かが地面に落ちた。


「痛てっ! なっ、何で!」

「なんだ、これは!」

「俺の、なんで……」

 後ずさっていた男たちは全員尻餅をついて倒れる。

 それは、音もせずに落ちたズボンに足をとられ、バランスを失ったためだった。


「随分余裕ね。呆けている暇があるなんて」

 リニアは剣から手を離し、手近の男の顔面を殴り飛ばす。

 女の膂力とは思えないほどの勢いで殴られた男は、宙を舞い、地面に激突すると、白目を剥いて力なく倒れた。

 他の男達は、その信じられない光景に言葉を失う。


「覚悟しなさい。一人一人、恐怖を植え付けてあげるわ。二度と私の生徒に手を出そうなんて思えなくなるくらいに」

 リニアはまた別の男の頭を掴むと、無理やり立ち上がらせる。そして、男の腹めがけて、全身のバネを使った肘打ちを叩き込む。


 リニアのその一撃は深々と男の腹に突き刺さった。

 今度の男の体は吹っ飛ぶことはなかったが、口から血を吐いて地面に倒れると、痛みにのたうち回る。


「なっ、なんだ、この女は!」

 リーダー格の男も明らかに異常なリニアの強さに恐怖し、仲間を置いて逃げようとしたが、他の男達と同じように、いつの間にか腰のベルトを切断されてズボンが足に絡まり、頭から地面に激突する。


「今度逃げようとしたら、躊躇なく首を飛ばす……」


 その声は凍えつくようで、ジェノとマリアは体を震わせた。

 だが、その言葉を告げられた男はそれ以上に体をガクガクと振るわせる。


「よし。それじゃあ、ジェノ、マリアちゃん。ちょっとこっちの端に移動しましょうか。そして、先生が良いって言うまで、二人共仲良く下を向いていてね」

 普段の明るいリニアの声に戻っていたが、ジェノとマリアは互いに体を震わせながら、指示に従い、男達から離れる。


「それじゃあ、下を向いていてね。先生は……」

 リニアの口調が明るかったのはそこまでだった。


「もう少し、この人達を懲らしめるから」

 また低い声でそう言い残し、リニアは男たちの方に足を進めていく。

 

 リニアがどんな技を使うのかが気になったが、ジェノの体はもう限界だった。


 怖さに震えるマリアに、「大丈夫だよ」と一言呟き、ジェノは意識を失った。

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