第121話 『心の余裕』

 リニアから自分用の木剣を貰った翌日。

 ジェノは今朝も自宅の庭で修行を頑張っていた。


「よぉーし、そこまで。次は新しい体勢を教えるから、それも安定してできるようになりましょう。ただし、できるようになってきたからといって安心して、今までのものをおろそかにしては駄目よ。この三種類の立ち方を、偏りなく練習し続けること。もちろん毎日ね」

「はい、先生!」

 この立ち続ける修行の意味が分かったことで、ジェノの剣術への熱意は、より一層高まっていた。

 

「それじゃあ、一休みしましょう。次はいよいよ素手で相手を攻撃する技を教えていくからね」

「えっ? 剣での技ではないんですか?」

「ええ。まずは素手での技を覚えていきましょう。剣を持とうと持っていなかろうと、体の使い方はそう変わるものではないの。あくまでも手の延長上に剣があるというだけだからね」

 リニアはそう説明してくれたが、ジェノにはよく分からない。

 けれど、ジェノはリニアの言うことを信じると決めているので、「分かりました」と頷いた。


「心配しなくても大丈夫よ。素手の技に軽く触れたら、剣の正しい握り方と素振りの仕方も教えてあげるから。嫌って言うほど素振りもさせてあげる」

「はい! 頑張ります!」

 ジェノはすぐにでも始めたい気持ちだったが、リニアに「こらこら、休むのも修行のうちよ」と窘められ、芝生の上に座ることにした。


 ジェノが座ると、リニアも同じように座り、嬉しそうに微笑む。


「ジェノ。今日はいつも以上に気合が入っているわね。やっぱり、自分の剣を持つことが出来て嬉しかったのかしら?」

「はい。すごく嬉しかったです」

 ジェノは素直に自分の気持ちを伝える。


「うんうん。そこまで喜んでくれると先生も嬉しいわ。それじゃあ、この休憩中に、戦いにおける奥義――まぁ、つまりは最強の技を教えてあげるから、絶対に忘れては駄目よ」

「えっ? あっ、はい!」

 まさかそんなすごい技をいきなり教えてもらえるとは思わなかったジェノは、居住まいを正して、リニアの言葉を真剣に聞こうとする。


「うん。よろしい。それでは、教えるわね」

「はい!」

 ジェノは一言も聞き逃さないように集中する。


「まずはこれ。『危なそうなところには近づかないこと』よ」

「……えっ?」

 ジェノは予想外の言葉に驚き、がっかりしてしまった。


「せっ、先生。そういうことは、ペントや兄さんから何度も言われて知っています」

 ジェノは残念そうに言う。だが、リニアは、うんうんと頷く。


「そうね。きっと何度も言われていることよね。でも、君は本当にそれを理解しているかしら?」

「どういうことですか?」

 ジェノには、リニアの言わんとしていることが分からない。


「ジェノ。これから私が教える技はいくつもあるけれど、それは最後の手段なの。敵と戦いになってしまって、もうどうしようもない時に使うものよ。

 でも、そもそも敵に出会うことがなければ、そんな技を使う必要もないし、危険な目にも合わないで済む。ねっ、最強でしょう?」

「……なんだか、納得が行かないです……」

 ジェノは正直な感想を口にし、不満そうに口を尖らせた。


 しかし、リニアはそんなジェノを尻目に、話を続ける。


「次は、『危険な事に出くわしたら逃げること』よ。これも効果は同じね。相手につかまる前であれば、大声で叫んで助けを求めるのも効果的よ」

「……はい」

 ジェノは不承不承頷く。


「次もすごく大事よ。『できるだけ皆と仲良くすること』よ。君の周りが仲良しの人間ばかりになれば、争いは起こらない。これも最強よ!」

「……ううっ……はい……」

 ジェノは何とか頷く。


「そして、最後に『困った時は、自警団や大人を頼ること』よ。この街でも自警団の人達が日夜頑張ってくれているのだから、困ったら相談すること。一人で何かを解決しようなんて思い上がっては駄目よ」

「……はい。でも……」

 ジェノはどうしても納得がいかない。


 自分は、皆を守れるようになりたくて、強くなりたくて剣術を学んでいるのに、どうして自分の力で物事を解決しようと思ってはいけないのだろうか?


「先生、その……」

 ジェノは思い切ってその事をリニアに尋ねてみた。

 するとリニアは、困ったように笑う。


「うんうん。ジェノ。君のその疑問はもっともだと先生も思うわ。武術を学んでいるのに、それを使うのは最後の手段にしてしまったら、武術を学んでいない人と何も変わらないと思うのでしょう?」

「はい。せっかく学んでも、使うことがほとんどないのなら……」

 リニアの言うとおりなら、武術を学ぶ意味がほとんど無くなってしまうとジェノは思う。


「でもね、ジェノ。戦う手段を持っていることと持っていないことはまるで違うの。いざという時に自分の力で状況を変えられるということは、それだけ心の余裕が持てると言うことだからね」

「心の余裕?」

 リニアの言っていることは難しくて、ジェノにはよく分からない。


「ええ、そうよ。先生は、武術を学ぶか学ばないは、その人の自由だと思うわ。けれど、強くなるための努力というものは、みんながするべきだと思っている」

「強くなるための努力?」

「ええ。それは、戦う力という意味ではなくて、『心』を強くするための努力よ。それをしないと、心が弱いままだと、余裕がなくなってしまうの。それは、すごく危険なことなの」

 リニアはそこまで言うと、小さく息を吐く。


「先生は昔、旅の途中に剣の腕を買われて、とある商人の護衛の仕事をしたことがあるの。それで、その商人さんは友好的な人だったんだけれど、その奥さんが困った人でね。

 その奥さんは、武術を学ぶこと自体が、争う方法を身につける事が野蛮で恥ずべきことだと言う考えの持ち主だった。そんなものを学ぶ下卑た人間がいるから、争いが無くならないのだと。散々私に言っていたわ」


「……そんなの、おかしいよ……」

 ジェノはそう思い、つい言葉を挟んでしまった。


 争いごとというのは、武術を学ぶか学ばないかに関係なく起こる。

 自分の家がまさにそうだ。


 ペントはとても優しくて、武術なんて身につけていない。でも、ペントを苛めようとする父や侍女長のキュリアのような人間もいるのだ。

 武術を学ぶかどうかなんて関係ない。


 リニアはそんなジェノに優しく微笑み、話を続ける。


「護衛の途中で盗賊が現れた。人数が多かったので、何人かは取り逃がしてしまったけれど、私は他の護衛の人達と協力して賊を無力化して捉えたわ。

 その中にはまだ成人前の子どもも二人いたから、私達は、街の自警団に彼らを突き出すべきだと言ったの。

 でもね、賊が襲撃の際に放った矢が一本、幌馬車の中にいた商人さんの奥さんの近くに刺さっていたものだから、奥さんは顔を真っ赤にして怒って、その賊達を全員この場で殺しなさいと言ってきたの」

「…………」

 ジェノはなんと言えばいいのかわからない。


「勘違いしないでね。年若い人間がいるからとはいえ、賊達を斬ることが悪いというわけではないの。何らかの罰を与えないと、また別の人が襲われることになるのだから。

 でもね、人のことを野蛮だのと言っていたその人が、他人を、まして子どもを殺すことを私達に強要するのはおかしいと思うの」

 リニアはそう言うと、静かに立ち上がった。


「その奥さんは、心が弱かったと私は思う。だから、偏った考え方しかできないし、自分とは違う考えがあるということも受け入れない。そして、いざ自分に危機が迫ったら、考えなしに命を奪おうとする」

「…………」

 ジェノは何も言えず、リニアの言葉を待つ。


「ジェノ。心が弱いというのは、余裕がないということは、危険なの。それは、時として『罪』になることもあるわ。そのせいで、多くの人が不幸になってしまうこともあるのだから」

 リニアはそう言って悲しく微笑み、何も言えずにいるジェノの頭をポンポンと優しく触れる。


「ごめんなさい。変な話を聞かせてしまったわね」

「……いいえ。その、僕には難しくてよく分からない話だったけれど、でも、きっと聞いてよかったんだと思います」

 ジェノは立ち上がり、そう言ってリニアに「話してくれて、ありがとうございました」と頭を下げる。


 リニアは驚いた顔をしながらも、すぐにニッコリ微笑んだ。


「よし、それじゃあ休憩終わり! 修行の続きを始めるわよ!」

「はい!」

 ジェノも微笑み、元気に応えるのだった。

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