第60話 『堕落』
サクリは、小盛りの五種類のリゾットを少しずつ味あわせてもらった。
キノコのリゾット、トマトのリゾット、あさりのリゾット、野菜のリゾット。どれも美味しかったが、一番驚いたのは、チーズリゾットだった。
チーズの香りを嗅いだときには、クドいのではないかと危惧したが、一口食べてみると深いチーズの旨味とコクは感じるのに、クドさはまるで感じなかった。
サクリはそのチーズリゾットは完食する事ができた。そして、他のものも僅かに残しただけ。
もしも食べられるのであれば、残さず食べたかった。そう思うほど、どのリゾットも絶品だった。
「すみません、少し残してしまいました。ですが、その、とても美味しかったです」
ちょうどデザートまで運んできてくれた料理人のバルネアに、サクリはお礼を言う。
本当は笑顔でお礼を言いたかったが、今の自分がそんな事をしても気味を悪く思われてしまうだけだと思い、それは自重する。
「良かったわ。サクリちゃんに気に入ってもらえたみたいで。今すぐには食べられないでしょうけれど、まだ時間はあるわよね? 口直しのゼリーも、食べられそうなら食べてみてね」
満面の笑みを浮かべるバルネアを見て、本当に感じの良い人だとサクリは思う。
名声を得た人というのは、得てして自尊心が高くなるものだが、この人からはそういった感じを受けない。
あまりにも受けなさすぎて、本当にこの人がこの料理を作った高名な料理人なのかと疑いたくなってしまうほどだ。
それに、三十代の料理人だと聞いていたが、あまりにもこの人は若く見える。
そんな事を考えながらも、サクリは休憩をはさんでデザートも美味しく頂いた。
「すまないが、少し話を聞いて貰ってもいいだろうか?」
黒髪の少年――ジェノが、サクリに話しかけてくる。
「はっ、はい」
サクリは答え、フードを被り直す。
食事中はずっとフードを外していたので、今更であることは分かっている。だが、こんな凛々しい顔立ちの同年代の異性の前で、いつまでも醜い自分の顔を晒すことをサクリは嫌った。
「これからの行程を簡単にだが説明しておきたい。もちろん、これは決定ではないので、なにか要望があれば出来得る限りの配慮はするつもりだ。まず、これから何のトラブルがなくても、十日間は船の上での生活になる。そこで……」
ジェノはサクリがフードを被ったことには何も言わず、これからの旅についての説明をしてくれた。
簡単に話をまとめると、カーフィア神殿で予約していた部屋を変更し、簡易な浴場とトイレのついた部屋を、向かい合う形で二部屋取っているらしい。そして、その一室にサクリはイルリアと一緒に寝泊まりすることになるのだそうだ。
食事は食堂に行って食べるのが一般的らしいが、その辺りはすでに交渉済みで、部屋まで毎回ジェノ達が運んでくれるのだと言う。
「……あとは、定期的に、一日三回、朝昼夜の食事の前か後にリットが魔法を掛けに行く。それで病状は安定するだろう。ここまでで質問はあるだろうか?」
非常に丁寧かつ端的で分かりやすい説明を、ジェノはしてくれた。
そして、その細やかな内容に、サクリは驚く。
「いいえ。お話はよくわかりました。後のことは、皆さんにお任せ致します。ですが、よろしいのですか? そこまでして頂いて……」
サクリは話を聞いていて、申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。
「貴女を無事に送り届けるまでが、俺達の仕事だ。何も気にすることはない。それでは、あと十五分ほどしたら船に向かう」
ジェノは端的にそう言い、静かに立ち上がった。
「リット、イルリア。持ち物の再確認を忘れずにしておいてくれ」
ジェノは仲間たちに告げると、奥の部屋に行ってしまった。
「はいはい。了解、了解」
リットは軽い口調で答えて、一人取り残される形になったサクリに、顔を向けて苦笑する。
「すみません、無愛想な奴で」
イルリアが申し訳無さそうに声をかけてくれた。
「あっ、いいえ……」
そう口ではいいながらも、サクリは、どこか事務的な口調で喋るジェノのことを少し怖いと感じた。
リットとイルリアが友好的に接してくれる分、ジェノの態度は冷たく思えてしまうのだ。
「ですが、あの神官様よりは、ずっと……」
そう考えたサクリは、そこで自分が堕落してしまっていることにようやく気づいた。
私は、これから死ぬのだ。
そして、その瞬間までは懸命に生きようとしなければいけない。
そうしないと、カルラとレーリアに再会することが出来ないのだから。
だから、他人の優しさに甘えて、堕落をしてはいけない。
何故なら、私は罪人だから。
私のせいで、二人は死んでしまったのだから。
その上、私は、また罪を重ねようとしている。
私は、大切な友人二人にさえ、本当のことを言えずにいた。
そして、こんな私に優しくしてくれようとしている、この人達にも……。
リットとイルリアが、別のテーブルで荷物の確認をし始めたので、サクリはその間に、懸命に腕を動かして祈りの姿勢を取り、目をつぶって祈る。
「ああっ、カーフィア様。どれほど苦しんで死ねば、私はカルラとレーリアに会えるのですか? どうか、私に罰をお与え下さい。それで、私の罪が許されるのであれば、私は喜んでそれを受け入れます」
そうだ。今の自分は、気落ちしていたところで人の優しさに触れたものだから、勘違いをしてしまったのだ。
もう、この世界には、自分は何も期待していない。
いや、それどころか、こんな悲しみに溢れた世界を憎んでいる。
私が苦しむのも、大切なものを奪われるのも、全てはこの不完全な世界のせいだ。
そう、こんな世界なんて大嫌いだ……。
「サクリちゃん」
「はっ、はい」
祈りが終わると、不意にバルネアがサクリに話しかけてきた。
「体が治ったら、また食べに来てね。まだまだ食べてもらいたい料理が、たくさんあるんだから」
バルネアは微笑み、フードの上から優しくサクリの頭を撫でてくれた。
本当に、ただ真っ直ぐに自分に向けられたその優しい言葉に、サクリはどうしていいのか分からない。
ただ、涙が溢れてきてしまった。
駄目なのに、自分は苦しんで死なないといけないのに……。
サクリは何も言えずに泣き続けた。
そんな彼女を、バルネアは優しく抱きしめ続けてくれたのだった。
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