第59話 『その店は……』

 船の出港は朝の十時。

 港までそう距離が離れていないこともあり、待ち合わせは九時でも問題はないのではとサクリは思う。だが、あの冒険者見習いのジェノという男性が指定してきた時間は、七時半。

 いくらなんでも早すぎるのではないだろうか?


 もっとも、サクリは船に乗ったことがないので、船に乗るための手続きにどれほど時間がかかるのかを知らない。

 

「サクリ。貴女に、カーフィア様のご加護がありますように」

 同じ馬車に同乗し、昨日の料理店前に到着すると、神官ロウリアは、満面の笑みでサクリに祈りの言葉を掛けてくれた。


 ああ、そうだろう。笑顔にもなるはずだ。

 これで、私が旅の途中で死んでも、責任を負わずにすむのだから。


 サクリは内心ではそう思いながらも、「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べる。


 その言葉に笑みを返しながらも、ロウリアは、席に座ったまま立ち上がろうとしない。向こう側にも出入り口があるのに。

 

 ただ、サクリが馬車から降りる手助けをするようにと、同伴してきた神官見習いの少女に命令するだけだ。


 この国の首都にある神殿で神官として働いているから? それとも魔法を使う事ができるから? 

 理由はわからないが、何処をどうすればこれほど心無い行いを平然とできるのだろう。


 あのおせっかいな自警団の団長さん……ガイウスさんだったろうか?

 あの方がどうしてこの街の神殿に私の身柄を預けるのを止めて、自分の知り合いの冒険者に私の護衛を任せようとしたのかを、この人はまったく分かっていない。


 そう、分かっていない。

 私を預かることを渋り、のらりくらりと話を逸らしてガイウスさんを激怒させたというのに、彼が冒険者に任せると言った途端、「そうして頂けると助かりますわ」と笑顔で言ったのだ、この人は。


「あっ、あの、失礼します……」

 フードを被っているとはいっても、サクリの容姿はもう知られてしまっている。だから、神官見習いの少女は明らかに嫌そうな顔で、サクリの背中に回って両脇に腕を入れて彼女を馬車から下ろす。


 こんな扱いをされても、自分で馬車から降りることさえ出来ない事に、サクリは歯噛みする。

 いつも感謝はしていたが、カルラとレーリアがどれほど自分のために良くしてくれていたのかを再認識し、サクリは顔を俯けた。


「あっ!」


 きっと、一瞬でも早く腕を離したかったのだろう。神官見習いの少女は、サクリがきちんと地面に足をついて体重を足に移す前に腕を離してしまった。

 そのため、サクリはバランスを崩して顔から地面に倒れていく。


 地面にぶつかる。そうサクリは覚悟して目を閉じたが、いつまで経っても衝撃はなかった。

 不思議に思い、サクリが目を開けると、自分の体が空中に浮いていることに気づく。


「危ないなぁ。俺がいなかったら、大事故確定だったぜ」

 淡い茶色の髪と青い目の少年が、そう言って口の端を上げる。

 

「もっとも、本来君はエスコートをされる側だからな。それも仕方ないか。まぁ、後は俺に任せておきなよ」

 その少年は、神官見習いの少女に満面の笑みを向ける。

 すると、宙に浮いていたサクリの体が勝手に体制を変え、足から綺麗に地面に着地する。


「イルリアちゃん、後は頼むぜ」

「言われるまでもないわよ」

 いつの間にか、店の前に出てきていた赤髪の少女、イルリアがサクリの体を支えてくれた。すると、今までまったく感じなかった自重が戻ってきて、サクリはイルリアに抱き支えられる。


「今のは、魔法? でも、こんな魔法なんてまったく知らない……」

 今はもう使えないが、サクリも健康だったときには魔法の才能を周囲から認められ、期待されていた。

 だから、かなり魔法には精通しているつもりだったが、空中で対象を止めて、意のままに動かす魔法などというのは聞いたこともない。


「あっ、あの、荷物は……」

 神官見習いの少女は、目の前で置きたことに驚きながらも、はたと自分の仕事を思い出したのだろう。サクリの荷物を両手で抱え、それをどうするべきかサクリ本人に尋ねてくる。

 店の中まで自分で運ぶつもりはないようだ。


「俺が預かる」

 ジェノが少女から荷物を受け取り、馬車の中から動かないロウリア神官を睨みつける。


「引き継ぎはこれで終了だ。後は、仕事が完了したら報告に行く。これ以上、何か確認しておくことがあるか?」


 ジェノの怒りのこもった声にも、ロウリアは、


「ええ、それで結構です。確かにお渡ししましたよ」


 と笑顔で答える。


 そして、彼女は神官見習いの少女と御者に命じ、とっとと神殿に戻って行った。


「まずは、店に入って下さい。朝食は摂りましたか?」

 馬車を睨みつけていたイルリアが、表情を一変させて、笑顔でサクリに尋ねてくる。


「あっ、いえ、食欲がなかったものですから……」

 サクリは正直に答える。

 ただ、それよりも、いつまでも彼女に支えられていることが申し訳なくて仕方がない。


「ジェノ。やっぱり朝食は食べてないって」

 しかし、イルリアはサクリを抱き支えているというのに、嫌悪の表情をまるで浮かべていない。


「分かった。バルネアさんに言っておく。リット、まずは手はずどおりに、彼女に癒やしの魔法を」

「はいはい。了解、ジェノちゃん」

 ジェノ、そしてリットと呼ばれた少年は、サクリが何かを言う前にテキパキと自分の仕事をこなすべく店の中に入っていく。


「さぁ、ゆっくりでいいですからね。ああっ、自分の足で歩くのが辛ければ言って下さい。力が有り余っている男連中に、お姫様抱っこで運ばせますから」

「えっ?」

 驚いてサクリがイルリアの顔を見ると、彼女は笑っていた。

 そのことで、サクリは冗談を言われたのだと気づく。


 こんな姿になってしまってから、カルラとレーリア以外の人に微笑みかけられたのは初めてだ。


 イルリアの肩を借りて、サクリは足を動かし、店の入口近くの席に足を進める。すると、先に待っていたリットが椅子を引いてくれた。


「失礼。ここからは俺がエスコートさせて貰うぜ」

 また先程の魔法を使ってくれたようで、イルリアの手からサクリの体は離れて少し浮き上がり、静かに椅子に腰を降ろすこととなった。


「さて、サクリさん……。いや、歳は近いみたいだから、サクリちゃん、って呼ばせてもらってもいいかな?」

「さっ、サクリちゃん?」

 サクリはあまりの事に驚くしかない。


「馴れ馴れしいわよ、リット。そんな事はいいから、さっさと魔法を使いなさいよ」

 イルリアの文句を受けて、リットは「へいへい」と肩をすくめて、サクリの頭の上に右手をかざす。

 すると、次の瞬間、イルリアの体が温かな光に包まれる。

 

 すぅーっと胸の苦しさが軽くなっていく。完全に苦しさが無くなったわけではないが、今までとは雲泥の差だ。


「すっ、凄い。胸が軽くなりました。こんな癒やしの魔法を使えるなんて、貴方はいったい?」

 旅の間はずっとレーリアが癒やしの魔法を定期的に掛けてくれていたが、それよりも遥かに高位の癒やしの魔法のようだ。

 しかも、それをこともなげに使ってみせるなんて……。


 サクリが驚いてリットを見る。すると、彼は微笑み、


「失礼、自己紹介が遅くなってしまったね。俺はリット。自他ともに認める天才魔法使いなんだ。目的の『聖女の村』に着くまでの間、サクリちゃんの健康管理は俺に任せてよ」


 そう言って片目をつぶってみせる。


「ああっ、こいつのことは気にしなくていいですから。ただの女ったらしです」

 イルリアはそう言って、外れそうになっていたフードをかぶり直させてくれる。


「改めまして、私の名前はイルリア。歳は十六歳。まぁ、こいつもジェノも、みんな同い年なんですけどね。

 船旅の間は、サクリさんと同室で過ごさせてもらおうと思っていますので、どうかよろしくお願いします」

 イルリアはにこやかに微笑む。


 サクリは困惑する。


 何故だろう?

 リットさんはともかく、自分の醜い容姿を知っているはずのイルリアさんが、笑みを向けてくる理由が分からない。


「は~い。お待たせ。今日はリゾットにしてみたわ。これから長い旅をするのだから、無理をしない範囲で、しっかり食べてね」

 店の主らしき女性――バルネアが、笑顔でトレイを片手にサクリの座る席にやって来る。


 そこで、改めて彼女の名前を思い出すと、サクリは何処かで聞いたことのある名前だと思った。


「あっ、そう言えば……」

 今回の旅の経路を打ち合わせしていた時に、レーリアが是非行きたいと言っていた料理店があった。

 たしか、<パニヨン>という名前のお店で、その料理人の名前がバルネアだったはずだ。


 そうだ、だから久しぶりに美味しい料理だと思って、いつもより食が進んだんだ。

 だって、この人は、料理上手なレーリアが憧れ続けていた凄腕の料理人なのだから。


 昨日はそんな事を思い出す余裕もなかったが、この店こそが……。

 サクリは涙がこみ上げてきそうになる。

 できることならば、カルラとレーリアの三人でこの店を訪れたかった。


「さぁ、ゆっくりでいいから食べてみて。美味しく出来ていると思うから」

 バルネアは、顔を俯けたサクリの頭を優しく撫でて、食事を勧めてくれる。


「飲み物を置いておく。足りなければ言ってくれ」

 ジェノがそう言って、柑橘系の香りのする飲み物の入ったコップを配膳してくれた。


 この街のカーフィア神殿とは異なる温かな対応に感極まって、サクリは思わず落涙してしまうのだった。

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