第8話 『制裁』

「あらっ、レイちゃん。おかえりなさい。セインちゃんも奥で待ってい……」

「ジェノは何処ですか?」

 バルネアの店に戻ってきたレイは、笑顔で出迎えてくれたバルネアに端的に用件を告げる。


 幸いなことに客は居ない。普段の営業時間ではないのだから当然だ。自警団のメンバーのためだけに、バルネアさんは店を開けてくれているのだから。


「どうしたの、レイちゃん?」

「…………」

 バルネアの問にも、レイは答えない。返事をする余裕もなかったのだ。今は怒りを押し殺すだけで精一杯だった。


 そして、

「俺ならここにいる」

 店の奥からジェノが出てきた。自警団の制服を脱いだ、簡素な私服姿で。


「……面を貸せ」

「分かった。裏口から少し歩いたところに空き地がある。そこでいいか?」

「ああ」

 レイが頷くと、ジェノは踵を返して店の裏口に向かう。


 ジェノの後頭部を殴りたい気持ちを押し殺して、レイはそれについて行く。そして、すぐに目的の場所にたどり着いた。


「それで、何のようだ?」

 振り返りざまに呟かれたその言葉を聞いた瞬間、レイの中でプツンと何かが切れ、気がつくと全力でジェノの頬を殴り飛ばしていた。


 ジェノは倒れこそしなかったが、口の中を切ったのか、唇の端から血を流す。だが、レイの怒りはそんなもので治まりはしない。


 相変わらず無表情な顔にもう一度全力で拳を叩き込む。今度は踏ん張ることができず、ジェノは地面に倒れた。


「お前は、自分が何をしたのか分かっていないのか!」

 怒りに拳を震わせながらレイは叫ぶ。だが、ジェノは全く気にした様子はなく、静かに立ち上がった。


「俺がギルドから請け負った依頼は、たしかに自警団に協力することだ。だが、非番の時までお前たちに付き合う義理はない」

「そんな詭弁が通るとでも思っているのか! お前は俺達からあの化け物の情報だけを盗み、仲間と結託して俺達をはめた! 手柄を独り占めにするためにな!」


 ジェノがしたのは間違いなく裏切りだ。そのことを許すわけにはいかない。こんな、こんな非道な行いが許されていいはずがないのだ。


 だが、ジェノは静かに手で口元を拭い、

「手柄? そんなものに興味はない。俺は別の依頼を遂行しただけだ」

 そんな事を口にする。


「どういうことだ? 何を言っているんだ、お前は!」

「俺は冒険者見習いだが、それを提示した上で依頼されれば、正規の冒険者と同じように依頼を受けることができる。そして、二つ以上の仕事を請け負った場合、期限を破らなければ、どちらを優先するかは俺の判断で決めることができるんだ」


 ジェノが何を言わんとしているか分からない。レイは冒険者のルールなど知らないのだから。だが、ジェノが自警団への協力依頼の他に、別の依頼を受けていたことだけは理解できた。


「依頼の内容は、お前たち自警団に先んじてあの化け物を殺す事だ。報酬は大銀貨十枚と少し。割の良い仕事だったので、そちらを優先した。それだけだ」

 ジェノは悪びれた様子もなく、そんなふざけたことを当たり前のように言う。


「……そうか。つまりお前は、金のために俺達を裏切ったということか!」


 大銀貨十枚。たしかに大金だ。レイの月給の五ヶ月分以上だ。だが、そんな理由で簡単に依頼主を裏切る奴など、最低のクズだ。


「ああ。だが、俺はルールに沿った行動をしただけだ。これ以上文句があるのであれば、冒険者ギルドに苦情を入れるんだな」


「貴様!」

 レイは完全に頭に血が上り、ジェノを殴りつける。だが、その一撃は空を切った。


「これ以上、殴られてやる理由もない。まだ続けるのなら、俺もただでは置かない」

 そう言って、ジェノは拳を構える。


「上等だ。その仏頂面を泣き顔に変えてやる!」


 そこからレイとジェノの殴り合いが始まりそうになったが、


「止めてください! 二人共!」


 そんな女の声が二人を止めた。


 声を上げたのは、いつの間にかやって来ていたメルエーナだった。そして、彼女の隣には、ひどく悲しそうな顔で今にも泣き出しそうなバルネアもいる。


「ジェノちゃんもレイちゃんも、どうして喧嘩なんてしているの?」

 そう言って涙をこぼすバルネアの姿に、レイは怒りを懸命に飲み込んだ。


「バルネアさん……。くそっ!」

 殴り足りない。だが、バルネアさんをこれ以上悲しませたくない。


 レイは握っていた拳を下ろす。


「……ジェノ。今日はここまでだ。だが、俺はお前を許さん」

「そうか」

 ジェノもそう言って拳を下ろした。


「レイちゃん……」

 泣き止まないバルネアに、レイは「すみません」とだけ言って彼女の横を通り過ぎる。


 とりあえず、セインを連れて帰らなければならない。

 レイはモヤモヤする気持ちを押し殺して、セインを連れて帰ろうとバルネアの店に向かう。だが、そんな彼の背中に女の怒声が響く。


「どうして、どうして貴方はこんなひどいことをするんですか!」

 振り返ると、キッとした表情でこちらを睨んでくる少女の、メルエーナの姿があった。


「何も知らねぇのに、余計な口を挟むな! こいつは殴られて当然のことをしたんだ!」

 レイの怒りの声にも、メルエーナは怯まない。


「何も知らないのはどっちですか! 貴方がジェノさんの何を知って……」

「メルエーナ!」

 ジェノは大声でメルエーナの言葉を遮る。


「……すみません。ですが……」

 まだメルエーナはなにか言いたげだったが、ジェノに睨まれて言葉を噤んだ。


「…………」

 レイは何も言わずにその場を後にする。


 どうしてバルネアとメルエーナがこんな最低の男の身を案じるのか、レイには理解できなかった。

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