第6話 『違和感と困惑』
十分に睡眠をとったレイは、身支度を整えて自警団の制服に袖を通す。
今晩こそ、この事件を終わらせるという決意とともに。
「お待たせ、兄さん」
「おう。それじゃあ、少し早いが行くとしようぜ」
学校から帰って来たセインと一緒に、レイはバルネアの店<パニヨン>に向かう。
「バルネアさんの料理だから、きっと何でも美味しいと思うけれど、一体何を食べさせてくれるんだろうね、兄さん」
「さぁな。だが、期待していいと思うぞ。俺達自警団のための夕食も、毎回メニューを変えてくれているが、どれも絶品だったからな」
そんな他愛のない会話をしながら弟と連れだって歩いていたレイだったが、ふとすれ違った相手に驚き、慌てて視線をそちらに向ける。
「……ジェノ? なんで非番のはずのあいつが自警団の制服を着ているんだ?」
向こうはこちらに気づいていないようだが、あの顔を間違えるはずがない。帯剣までしていたが、自警団の詰所とはこちらは正反対の方向だ。自分のように休みを返上して仕事に出るつもりではないのだろう。
「どうしたの、兄さん?」
「いや、何でもない」
あいつに関わっても苛つくだけだ。レイはそう考え直して足を進める。
まだ少し早い時間だったので、他のメンバーは来ていなかったが、店にやってきたレイ達をバルネアは歓迎してくれた。そして彼女の厚意に甘え、いつもの客席でセインと一緒に夕食を御馳走になった。
予想通り、その夕食も絶品で、レイ達は心から楽しい時間を満喫することができていた。
……その音が聞こえるまでは。
不意に、レイの耳に笛の音が届いた。自警団の団員が持つ、特徴的で大きな笛の音が。
それを理解した瞬間、レイの顔がこの街を守る男の顔に変わる。
「バルネアさん、すみませんが、セインを頼みます!」
レイは一方的にそう頼むと、バルネアの店を飛び出して、何度も繰り返し鳴り響く笛の音の元に駆け出す。
いつも事件が起こるのは日が落ちる頃になってからだったが、どうやら今回は違うようだ。
「何があった! 例の化け物か?」
「おお、レイ。そうだ。あの化け物が現れた。西区の住宅街の屋根を渡って逃げている。今、副団長達が追っている。お前も……」
同僚の言葉を最後まで聞かずに、レイは西区に向かって走った。行き交う人々に退けるように大声で指示をしながら。
「今度こそ、今度こそ片を付ける。俺達の手で……」
走り続けるレイは、やがて視界に件の巨大な化け物の姿を捉えた。間違いない。昨日の晩に見かけた奴だ。
化け物は家の屋根を巧みに跳んで逃亡を図っているが、レイは化け物が逃げていく方向を理解して、ほくそ笑む。
「さすが副団長達だ。いい方向に誘導している」
あの方向に追い込んでいけば、居住区から化け物を追い出せる。そして、居住区を超えた先は、すでに廃棄された旧住宅区だ。あそこには高い建物は殆どない。
仲間たちの作戦を瞬時に理解したレイは、道を代えて旧住宅区に向かう。
今更追い立てる役が一人増えても意味がない。おそらく旧市街にも仲間たちが迎撃のために控えているはずだ。そちらに合流してともに戦う方が望ましい。
「よし、予想通りだ」
武器を手に化け物を待ち構える仲間たちの姿を確認し、レイは彼らに駆け寄り、自分も剣を抜く。
「レイ。よく来てくれた」
精悍な顔つきの壮年の男が労いの声を掛けてきた。団長のガイウスだ。
「はい。しかし、五人、俺を加えても六人ですか……」
レイは乱れた呼吸を整えながら、少しずつこちらに誘導されてくる化け物を睨みつける。
「もう少し数がほしいところだが、呼笛を使うわけにはいかない。レイ、なんとか俺達でくい止めるぞ」
「はい!」
レイは気合の入った声で応え、化け物が追い立てられて逃げて来るのを待つ。
決して逃したりしない。この街の平和を脅かすものは俺達が許さない。
レイは自身の不安や恐怖する心の弱い部分を、その信念で上書きしていく。
皆の予想通り、隅の建物に追い詰められた化け物は、屋根の上から飛び降りて、こちらに向かって突進してくる。
「散開! 初撃は俺がやる!」
ガイウス団長の腕は自警団一だ。決して化け物に遅れを取りはしない。そう信じるレイ達は、彼のサポートに回る。
団長の一撃に怯んだ隙きに、残ったメンバーで周りを囲む。そして、勢子の役割をしてくれた副団長達の部隊と合流した後に仕留める。
それは、現状において最良の作戦だった。
――そう、『だった』のだ。
事が順調に進めば、間違いなく化け物を包囲殲滅できるはずのその作戦は、結果として失敗した。
それは、レイ達自警団のメンバーが、最初の一手を間違えてしまっていることに気づけなかったためだ。
「……なっ……」
レイは思わず驚愕の声を上げる。
迫りくる化け物に対して繰り出されたガイウス団長の一撃は、飛びかかってきた化け物の顔を捉えたかに見えた。
だが、その鋭利で正確な一撃は、化け物の体を素通りしてしまった。何の抵抗もなく、団長の剣は空を切って振り下ろされたのだ。
そして、その瞬間に、化け物の姿が消えて無くなった。始めから、そのようなものなど存在しなかったように。
「……馬鹿な。これはいったい、何だ? まるで蜃気楼のように消えて無くなったぞ」
信じられなかった。
たしかにあの化け物は今しがたまでたしかにここに居たはずだ。あの威圧感、重量感、存在感。どれをとっても幻などとは思えなかった。
だが、辺りに視線をやっても、やはり化け物の姿はない。
「気を抜くな! 注意を怠らず、周りを確認しろ」
団長の声に、レイ達は注意深く辺りを探ったが、徒労に終わった。
やがて副団長達の部隊が合流したが、彼らも突然の事態に戸惑うばかりだ。
そして、念の為に、皆で辺りの捜索も行ったが、やはり化け物の姿は影も形もない。
「幻だった……。そう考えるしかないですね」
副団長の言葉に、ガイウス団長は苦々しく頷く。
「そうだな。信じられん話だが、そう考えざるを得ない。とりあえず、持ち場に戻れ! これがあの化け物の魔法ならば、我々は裏をかかれたのかもしれん!」
「裏をかかれた? あの化け物に? だが、昨日の戦いでは、あいつは魔法など使わなかった」
レイはそこまで思ったところで、不意に一人の男の顔が浮かんだ。
非番であるにも関わらず、自警団の制服を着て、帯剣していた男の顔が。
「まさか、まさか、あいつが……」
そう考えると、レイは黙っていられずに他の皆を置いて走り出した。
「レイ、どうしたんだ!」
副団長達の声が背中で聞こえたが、レイは足を止めずに走り続ける。
「あいつ自身は魔法を使えないはずだ。だが、あいつには魔法を使う仲間がいる。なら、先程の化け物を作ったのは……」
何の確証もない。だが、レイは走る。心臓が悲鳴を上げても構わずに。
「俺達と反対方向に奴は歩いていた。あの先にあるのは、倉庫街だけだ。奴はきっとそこにいる。そして、あの化け物も……」
レイは自分の直感を信じ、ただ倉庫街に向かうのだった。
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