第40話 ヨハネスの小鍋


「魂の分離自体はそう難しいものではない。本来なら魔道具『ヨハネスの小鍋こなべ』があればなお安全であるというくらいのものだ」


 謁見えっけんの間の中央に、エルは大きな魔法陣を描いた。何処どこからか取り出した長い杖で広間の床を器用に撫でていくと、青白い光が複雑な紋様となって床一面に広がって行く。


 その中央にアナベルを立たせて、手伝いに魔族の双子を配置する。そしてエル自身はアナベルの正面に立つ。


 フリギットとフルヴラ達は部屋の隅に追いやられて、黙ってそれを見ているしか無かった。正確には、フリギットは心配とエルへの嫉妬で苛々と身体を揺すっていたし、フルヴラも初めて見る魔族の秘術に興味津々で見つめていた。


 魔法に詳しくないジャロックは何処かで聞いた気がする『ヨハネスの小鍋』の事を思い出そうとしていて心此処に在らずといった様子だし、モリーは『賢き女』の末裔だけあって先程から背中に感じるヒリヒリとした予感に心を曇らせていた。


 ——なんだろう? これは不安?


 モリーは何処からかやって来る恐れの様なものを感じ取り、知らず知らずジャロックの上着の端を掴んでいた。


「どうしたんだい、モリーちゃん」


「おじいちゃん……私、なんだか怖い」


 ジャロックもうんうんと頷き返す。


「あたしもなんだよねぇ。『ヨハネスの小鍋』ってどっかで耳にしたんだよ。それもあまり良い印象じゃなかったんだよなぁ」


 祖父と孫の様な二人はそっとお互いの手を繋いだ。




「お前達二人は『小鍋』の代わりだ。両手を合わせて待っていろ」


 エルは双子にそう指示する。双子はこの仕事を手伝えばご褒美を貰えると聞かされていて、わくわくしながら両手で何かすくう様な形を作る。もう一人はその補強だ。子ども二人で手を合わせて、『小鍋』の代わりに何かを入れる準備をしているのだろう。


「さて、この作業には魔界の炎が欠かせない。僅かだが魔界との窓を開き、炎を取り寄せる」


 そう言うとエルは杖でアナベルの足元を突いた。するとそこに丸く歪んだ穴が現れる。生暖かい風がそこから吹き上げてきて、硫黄の匂いが漏れ出て来た。


「きゃっ⁈」


 アナベルは直感でその穴の向こうが魔界であると悟る。小さな黒い穴から覗くその世界は、真っ赤な夕焼け色の空に黒く浮かび上がる山や森や城が見え、黒く広がる大地からはあちこちか煙が立ち昇っていた。


「これが、魔界……?」




つづく




◆『ヨハネスの小鍋』


魔界ではある物を作るのに欠かせない道具。人界に於いては使った者は命と引き換えに高性能な魔法薬を作れる鍋とされる。作る魔法薬のランクに応じて取られる魂の量が変わるので、必ずしも死ぬわけではない。


今回は意外にもジャロックの方がこの魔道具の名を知っているようだが……。

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