第15話 憂愁の青天


 フルヴラが袖に隠したビー玉に似た球体を投げつける。自分に向けて放たれた魔法を吸収する道具——『憂愁の青天』だ。


 魔王が持つ『魔界の歯車』から出るオレンジ色のオーロラが、うねるリボンの如くフルヴラにまとわりつく。


「むうッ!」


『憂愁の青天』でも全てを吸収するのは無理か——。


 魔王の手にある、懐中時計に似た『魔界の歯車』の機構部分がぐるぐると動いているのがフルヴラには見えた。


 わしの時を巻き取る気か!


 ぐらりと目眩めまいがして、彼は床に手をつく。その手から皺がすうっと消えて行くのを見て、彼は慄然りつぜんとした。時が巻き戻り、身体が若返って行くのだ。


 わしを——消滅させると?


 フルヴラは首から下げていた『小凍こごおりの水晶』を引きちぎるように外して素早く詠唱した。


「我が名を刻む菩提樹よ 這い寄る蛇を打ち砕け!」



 瞬間、水晶が内部から破裂した。細かな霧氷の如き白煙が巻き上がる。


 さすがに魔王も驚いて、白煙から顔を守るように手をかざした。


「魔王様ッ」


 双子が悲鳴を上げた。敬愛する魔王様に何かあってはと駆け寄る。


 魔王は白い手を差し出して、心配ないと知らせる。薄い煙はベルガモットの香りがした。


 煙が漂う中、彼女が踏み出すと、何か柔らかいものを踏む。


 しなやかな細い指でつまみ上げると、先ほどまで侵入者が着ていた服である。


「やりすぎちゃった?」


 白煙が引いた後には抜け殻の如くフルヴラの服が落ちているばかりだ。


「くすくす……消えちゃったね」

「消えちゃった……魔王様、やりすぎィ!」


 魔王は残念そうに首を振ると、つまんでいた服を投げ捨てた。双子がその服に群がる。


「わぁ、魔法衣だね!」

「魔法衣だ! 魔力がり込まれてる」


「そんなにすごい服なの?」


「うん、あの人間は魔法に詳しそう」

「詳しそうだったのに」


 それを聞いた魔王はため息をつきながら、寝椅子に身を投げ出した。


「消すつもりはなかったんだけどなぁ」







 魔都グランシエラの路地ををひた走る、小さな影があった。


 裸足でペタペタと走って行く。


 ——子どもだ。


 十二歳位の少年が、一枚の飾り布だけを身体に巻きつけて、夜の街を走って行く。


 あっという間にその少年は一軒の店の前にたどり着き、素早く戸を開けると中に滑り込んだ。


 後ろ手に閉めた戸にもたれて、彼はずるずるとへたり込む。


 久しぶりに全力疾走した——まだ、走れるとは思わなかった。


 肩で息をしながら、そんな事を彼は考えていた。どれくらいそうしていただろうか、ようやく落ち着いてきて、彼は自分が布切れ一枚の姿である事に気が付いた。


 なんとみっともない……!


 少年は衣服を求めて店の奥にある家屋へと移動しようとした。


 その時、店に飾ってあった姿見すがたみに、見慣れぬものが映った。


 子ども——?


 少年は慌てて姿見の前に戻る。


「なっ、これは⁈」


 彼は鏡を抱えんばかりに掴み、声を上げた。


「馬鹿な!」


 震える両手で頬に触れる。鏡の中のその子も同じ動きをした。


 そして次いでその小さな手を見つめた。


 自分の手。


 子どもの手——。


 フルヴラはヘナヘナと鏡の前にへたり込んだ。




 つづく

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