第10話 白馬亭
魔都グランシエラ——。
以前は風光明媚、水と風と緑に満ち溢れ、古代の遺跡を利用した街並みは魔法都市の名に相応しく、多くの人々が平和に暮らしていた。
それが一体どういう事なのだろう。
一夜にして王宮は魔王の手に落ち、その明るい華やかさは闇色の豪奢さに変わり、黒いもやがかかったように霞んで見える。
その変化は王宮を中心に広がり始め、貴族の邸宅を侵食し、城下町をも呑み込もうとしていた。魔法雑貨店ドミタナスもあと数日でその闇に染められるだろう。
店内は引越しのためにてんやわんやであった。とりあえず隣町にこぢんまりとした店を構え、フルヴラの弟がそちらで商売し、資金面や情報面で本店を応援する体制にするのだ。
「しかし、妙なこともあるものだ」
大方の商店は店を閉じて逃げ出したが、不思議なことに一部ではそのまま営業していた。
フルヴラは何故逃げないのかと、その店を訪ねた。
その一つは飲食店である。いわゆる酒場だ。
冒険者御用達のことだけはあって、その入り口は扉から柱から傷だらけで、『白馬亭』の看板にも大きな刀傷が一つ刻まれていた。
そっと中へ入ると、まだ陽が高いこともあってか人影はまばらだ。ウエイトレスが声をかけてくる。まだ年若い女性だ。
「
「はーい」と明るい声をあげて、彼女は奥へ行った。フルヴラは入り口近くの席を取る。いつもの癖で壁に背を向け、入り口が見える場所を選んでしまう。
明かりとりの窓から暖かい日の光が差し込んできて、その暖かさに春を感じていると、目の前に勢いよく
そしてフルヴラの向かいの椅子にどんっと腰を下ろしたのは、この店の亭主だった。体格は良い。
「みない顔だな。なんだい、話ってのは?」
「たまにしかこの街に戻らんからな。そこの雑貨屋の兄だ」
グラスを口に運びながら簡単に自己紹介をする。たかだか四十そこそこの若造に生意気な口をきかす気はない。
「へええ、あの店の? あのジイさんに兄貴がいたのか。……あんたの方が若く見えるな」
「よく言われる。仕入れであちこち動き回っているからな。座りっぱなしの店番とは違うぞ」
牽制しながら揚げ芋に手を伸ばす。
うむ、美味い。夜はさぞかし賑わうのだろう。
「本題に入ろう。この店はグランシエラからは出ていかないのか?」
亭主は少しギョッとした後で、ニヤリと笑った。
「雑貨屋は引っ越すのかい? うちはこのままここで商売するつもりだ」
「うちもわしが残る。長く続いた店だからな。だが、王宮の様子がおかしいのはわかっとるだろう?」
「それがなぁ」
亭主は声を落とした。
「俺は見に行ってきた」
「王宮をか?」
フルヴラは
「王宮の上空はどんより曇って、暗いだろう? 壁もなんだか色が黒く変わって、いかにも魔王様の住んでそうな城に見えるが——」
亭主は乾いた唇を舐めた。
「住んでる奴らは特に変わりがないのよ」
「ほう?」
話を聞くと、王宮を護る兵士も、近くに住む貴族やら役人やらは変わった様子がないというのだ。
「つまりなんだ、魔王が入城したものの、それ以外は変わりが無いと?」
「まあそうだな。てっきり魔族とやらが現れるのかと思いきや、ナンも変わらねぇ。だからウチは商売を続けんのさ」
フルヴラは納得してうなずき、コインを2枚ほどテーブルに置いた。情報に礼をするのは『探索者』の身に染み付いた習慣だ。
「助かったよ。また、何かあったら教えとくれ」
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます