episode 13. 落葉の一本道

 心配そうなエミリーをなんとかなだめすかして外に出し、ヴィルジニーはベッドに腰かけて大きく息を吐き出した。

 グランミリアン夫人に好かれているとは欠片も思っていなかったが、これほどに憎まれることも予想していなかった。それほど、エルマディを失った哀しみが大きいということなのだろう……胸の奥に氷点下の隙間風が吹き込むような喪失感を理解できたからこそ、ヴィルジニーには夫人を憎悪することは難しかった。

 ヴィルジニーはその日もその翌日も、一日のほとんどを部屋で過ごした。

 その次の日は、赤毛の魔法使い・ガストンが訪れる日だった。

 ヴィルジニーは彼を部屋に招き、椅子をすすめた。いつもと様子が違うことに気付いたのだろう、ガストンは何も言わず、黙って示された椅子に腰かけた。

「……」

「……黙っているばかりでは話が進まん。何があった」

 それはそうだと思ったが、やはりヴィルジニーの口は重かった。

 悲しみが言葉の出口を塞いでいた。同時に、その先に異なる別離の可能性を悟り――それはほぼ確定の未来だと思われた――ヴィルジニーはとてもみじめな気持ちになった。

 ガストンは部屋の中の本を視線だけで見渡していたが、ヴィルジニーが話始めると、視線を戻して黙って話を聞いた。

 ヴィルジニーは、グランミリアン家の跡取り息子が亡くなったこと、屋敷全員がショックを受けて大きな悲しみに包まれていることをときおり涙ぐみながら話した。

「僕も、悲しい……彼は、血のつながらない僕を兄弟だと言ってくれた、たったひとりの人だったんだから。それでね、ガストン。その彼がいない今、この家に、僕の居場所はどこにもないんだ」

 ガストンはふんと鼻を鳴らした。

「お前さんは、居場所を得るために魔法を習いたいと言ったのではなかったか」

 ヴィルジニーはしゅんと肩を落とす。

「そうなればいいと思った……でももう遅いんだ。彼を救うことができなかったし、この家の人たちにとって僕は『息子』じゃない。あくまで『エルマディの代役』に過ぎないんだから。そのうち、ここを出ていくことになると思う」

 そうか、とガストンは頷き、静かに両目を伏せた。

 彼は懐からペンを取り出すと、ヴィルジニーに紙を用意させて何事か書きつけた。その走り書きを、ヴィルジニーに手渡す。

「わしが時折出入りしている、隣の国の孤児院の連絡先だ。どうにも困ったときは、ここに連絡するといい。悪いようにはならんだろう」

 ヴィルジニーは鼻にツンと込み上げてくるものを感じた。

「ありがとう……」

 もらったメモを大事にポケットにしまい、涙を拭く。席を立って、魔法の教科書を数冊持ってきた。

「これが最後の授業になるかもしれない。よろしくね」

 ヴィルジニーの言葉に頷いたガストンは、これまでの総復習だということで、教科書に載っている様々な呪文を試させた。

 虚空から水分を集めて水をつくる『恵みの水プルウィア』、魔力を光に変換して持続させる『明かりの魔法ルミエ』、魔力を炎に変換して操る『火付けフレイム』、好きなところに風を吹かせる『風よウィンドゥル』、そして四大元素の基礎魔法の中では最も難しい地の魔法、魔力を物体に変化させて砂を作り出す『砂集めサーブル』。

 これらの基本魔法を、効果の大小はともかくとしてヴィルジニーは習得し、ガストンからお墨付きをもらった。彼は満足げに頷くと、これからも基本魔法の練習は欠かさないようにと言いつけた。

「次の段階へ進むためには、まず基礎の力を磨くことじゃ。大きな効果を得たり、持続時間を長くすることで、少しずつ自分の中の魔力が育つ。また、その魔力を操る経験が蓄積される……どれ、今日はちょいと風魔法の応用でも教えてやろるとするか」

 ガストンは持ってきた本を開くとヴィルジニーに渡し、そのページに描かれている魔法を実践してみせた。

 基本呪文から発動呪文までゆったりと抑揚をもって唱える。それが風を呼び起こし、狭い範囲に集中させる術式だということは理解できたが、これまでの呪文に比べて長く複雑であるため、細部はさっぱりだ。

「――風の虚玉ウィンドゥル・バルン

 風が一か所に集中し、その後はじけた。

 ふわっと髪をなびかせる突風が吹き抜ける。

「耳元でやってはいかんぞ……威力が上がると鼓膜こまくが傷つく恐れがあるからな。これは風のかたまりで衝撃を相殺そうさいする魔法じゃ。大男にぶつかって吹っ飛ばされた時、地面に転ぶ前にこの魔法を使ってクッション代わりにするといい。衝撃をやわらげてくれる」

 教科書を読みなおしながら、ヴィルジニーは尋ねた。

「大男とぶつからなきゃ使えない魔法なの?」

「バカもの。大きな風を集めることができるようになれば、高所からの落下にも対応できるし、逆に相手に向かって放てば吹っ飛ばすこともできる呪文じゃわい」

 この日はこの呪文を徹底的に練習した。

 呪文を覚えるところから始まり、どうにか風を思ったとおりの場所に集められるようになるまで、ほぼ丸一日かかった。

「風を起こすのは簡単じゃが、操るのは難しい。まずこの呪文を練習することじゃな」

「うん、わかった」

 ヴィルジニーは杖をついたガストンの斜め後ろを歩いて、玄関まで見送りに行った。初めてガストンが教師としてやって来てから、ずっと続けている習慣だった。

「それと、魔法はいついかなる時でもお前さんの力になる……たとえ生活の場所が変わってもな」

「うん、そうだね」

 玄関ホールに立ち、扉を開けるガストンの背を見送る。

 彼は杖を掲げ「縁があれば、またな」と言って去って行った。

 彼が立ち去ってもしばらく、ヴィルジニーは玄関から動かなかった。


 それから幾日も経たないうちに、別れの日は訪れた。

 グランミリアン家から出されることは覚悟していたので、ヴィルジニーはガストンに譲ってもらった教科書など、必要なものはすぐ持ち出せるよう身支度していた。

 だが、アルベールのこの言葉には不意打ちを受けた。

「ここから少し北上したところにある孤児院に、お前を預けることにした」

「それは……前にいた孤児院じゃない。同じところに帰りたいです」

「一度引き取った子どもを返すなど、グランミリアン家の体面に関わる。同じところにはやれない」

 そして、さらなる衝撃が襲った。

「たった今から、お前はグランミリアン家とは縁もゆかりもない人間だ。新しい孤児院でも、我が家の名前は口にしないように。当然、エルマディの名を名乗ることも、ヴィルジニーと名乗ることも許さない」

 少年は、緑の目を見開いてその言葉を聞いた。

「じゃあ……僕はだれなの?」

「誰でもない。ただの孤児だ」

 アルベールは「出発は明日の未明だ」と付け足すと、ヴィルジニーの部屋から出て行った。

 これにショックを受け、涙ぐんだのはエミリーだ。

「まぁ、なんてひどい! 明日いきなり出て行けなんて……しかもあんなおっしゃりよう、あんまりだわ!」

 エプロンで涙を拭うエミリーの肩をそっと撫でながら、ヴィルジニーもショックを隠せなかった。

 グランミリアン家を去り、懐かしい孤児院で「ヴェルデ」に戻れるのだと思ったのに、違っていた。四年間使っていた「ヴィルジニー」という名前も取り上げられ、たった今から「誰でもない」人になったのだ。

(僕には生きていく場所も、名前もないっていうの?)

 元の居場所に戻れる、また兄弟たちに会える。院長先生は、きっと笑顔で出迎えてくれるだろう――そんな幸せな未来図は崩れ去ってしまった。

 ただただ悲しく、寂しかった。

 こういう感情を空虚と呼ぶのかと、ぼんやり考えた。

 途方に暮れているところへ、控えめなノックの音が響き、サミーが姿を見せた。彼は懐から小さな布袋を取り出すとヴィルジニーに手渡した。

 チャリン、と金属が触れ合う音がした。中身を察して、驚き、顔を上げる。

「持っていて困るものでもないでしょう……持ってお行きなさい。旦那様はいい顔をなさらないでしょうから、こっそりと」

 それはサミーに初めて示された好意だった。ヴィルジニーはなんと言ってよいか分からず、無言でそれを受け取った。

 さっきは出てこなかった涙が、一筋頬を伝った。


 翌朝、陽も登りきらない頃。ヴィルジニーは、知らない使用人とともに馬車に乗った。馬車の中ではどちらも無言だった。

 窓枠にもたれかかって外を眺める景色を眺める。この屋敷に来るときも同じように馬車に乗ったことを思い出した。あの時は、新しい家族はどんな人たちだろうとわくわくしながら馬車に揺られていた。今は、未来への期待も恐れもなにもない。

 馬車の振動も外から流れ込む風も、少年の体には届いていたが心には響かなかった。まるで時間が止まったかのようだ。

(新しい孤児院は、ガストンが言っていたところだろうか。違うところだったら……連絡を取ってくれるかな。それとも、僕の話なんて聞いてくれないかな)

 少年はひどく疲れていた。たくさん本を読んだ後でも、集中して魔法の練習をした後でも、こんなに疲れたことはない。

(魔法が僕の力になると、ガストンは言った。でも本当に、僕の魔法を必要とする人がいるんだろうか)

 ひょっとしたらこの世の誰一人、自分の力を必要としないかもしれない。

 その想像に慄然りつぜんとし、少年は首を振った。けれど思考は頭を離れなかった。

 誰からも必要とされない人生に、意味などあるのだろうか?

 

 突然、馬車が止まった。

 何事かと、同乗していた使用人は居眠りから覚めて馬車を降りた。しばらくして、彼が外から少年を呼ばわる声が聞こえる。

 少年は唇を曲げた。今さら自分にどんな用があるというのだ。

 面倒くさい気持ちを隠そうとせず、少年は扉を開け、馬車を降りた。

 すると、入れ替わるように使用人が馬車に乗り、馬車はそのまま発車した。少年を置き去りにして。

 少年は周囲を見渡した。そこは森の入り口で、建物などひとつも見当たらない。曲がりくねった一本道と、紅葉に染まった木々。ただそれだけだ。

(なんだ。次の孤児院まで、連れて行ってもくれないのか)

 妙に冷めた気持ちで、少年は現実を見つめていた。

 遠ざかっていく馬車の後姿を、追いかけようとは思わなかった。ここで捨てられるのが自分の運命なのだろうと、あきらめの境地でひづめの音を見送る。

 その馬車が丘を越えて見えなくなるまでそうしていたが、冷たくなり始めた風に肌を撫でられ、首をすくめながら体の向きを変えた。

 その時、初めて気が付いた。

 先ほどまでは誰もいなかった場所に、ひとりの人間が立っていることに。

 

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