episode 11. 麦酒のゆうべ

 無名の魔法使いは、不機嫌なおももちで荒涼とした山林に降り立った。

 しばらく歩くと開けた土地があり、コンクリートの建物を囲うようにびた黄色のバリケードが並んで、ところどころに「KEEP OUT」「DANGER」と大きな赤い文字が躍っている。

 そのバリケードの一枚を魔力で吹っ飛ばし、空いた隙間から悠々と敷地内への侵入を果たす。

 この地の封印はすでに緩み、その役目を放棄していた。今更バリケードを破ったところでなんの支障もない。

 その証拠に。本来何人なんぴとも立ち入れないはずの禁じられた空間から、人間の気配がもれていた。

(どこの酔狂すいきょう者だ? やれやれ、千年も経つとあちこちの封印にほころびが生じて、なにかと面倒だ)

 これは各地の封印を結びなおす必要があるな、と思った無名の魔法使いだが、記憶にある封印の数を思い出して、それだけでぞっとした。旧時代に比べて人間の数が減少し生活範囲が狭まったから、それでもまだマシなほうだと言えるが。


 人間の気配は複数あったが、無名の魔法使いはとりあえず一番近い建物に足を踏み入れた。

 壁に制御盤がびっしりと並ぶ、何かの管制センターのような建物だった。このような機械は、現在の人間世界では見ることはできない。旧文明の遺産である。ただし、負の遺産だ。

 ここは使用済み核燃料の中間貯蔵施設だった建物だ。このような場所から、いかなるテクノロジーも持ち出させるつもりはなかった。

 人間のひとりは、その建物の中にいた。

 あちこち手をかざして「ふーむ」とうなっている。その後ろ姿は、まだ青年と呼べる年代の若い男のものだった。

(さて。いきなり首と胴を切り離してやっても良いが、侵入目的ぐらいは聞いてやろうか)

 どうせ核の研究員の残党だろうと思っていたのだが、男は意外な反応を示した。

「お客さんかな? と言っても、ここは私の家じゃないけどね。こんなところまで来たところを見ると、あなたも魔法使いなのかな?」

 男は振り向いた。やはり、まだ三十を出ない若い男だ。濃い褐色の髪と瞳を持ち、分厚い眼鏡をかけている。

 男はパチパチとまたたき――いやぁ、すごい美人だなぁと感嘆の声を漏らした。

(うさんくさい男だ)

 と無名の魔法使いは思ったが、そのことは一切表面には出さず、冷たい声で「お前は誰だ」と問うた。

「え? いやぁ、名乗るほどの者では……」

 妙なところで謙遜けんそんする男を見下ろしていると、バタンと大きな音がして、入り口の戸が開いた。

「また勝手にうろうろして! すぐ迷子になるんだからちょっとは自重しなさい……あら、すごい美人。あなた、お知り合い?」

 飛び込んできたのは、男とあまり変わらない年頃の若い女性だ。明るい色の瞳をパチパチと瞬き、「あら、女性かしら、男性かしら?」と首を傾げている。

 揃って間の抜けたリアクションをする二人に、無名の魔法使いは毒気を抜かれた。

「この男の妻か?」

「えぇ、残念ながらそうよ。三年くらい前からね。こっちは娘」

 彼女が「こっち」と指したそこには、母親に手をつながれ、じっと見上げる灰色の大きな瞳があった。

(二歳を超えたくらいかな)

 緑の瞳の孤児を見続けてきた無名の魔法使いは、子どもの年齢をほぼ正確に推測した。

 二歳の娘は、父と母と知らない人間(に見ているはず)を見比べると、

「パパ、うわき……」

と発音して、両親を驚かせた。

「リザ! どこでそんな言葉を覚えてきたんだい?」

「あなた! これは浮気だったの!?」

 そして両親は顔を見合わせる。前のめりな妻に対し、「そ、そんなわけないじゃないか」と夫は及び腰だった。

 ここで、第三者の存在を思い出したらしい妻が、無名の魔法使いに向き直った。

「あぁ、ごめんなさいね、冗談よ。この人にそんな甲斐性はありませんもの」

 にっこり笑って言う姿に、この家庭で最も強いのはこの女性だなと確信した。夫はそれなりに整った容貌に思えるのだが……ぼさぼさの髪と分厚い眼鏡は、たしかにやぼったいかもしれない。

「マーサ、お客さんに失礼だよ。みっともないところを見せてすみません。もしやあなたも、珍しい旧文明の遺跡を見学に来たのですか?」

 夫が、目を輝かせて言う。

 いわく、彼の父は呪文研究家で、呪文の研究のかたわら旧文明の調査も行っていたそうだ。その影響を受けた彼もまた、旧文明にことのほか興味を持っているという。

「何百年も昔から人を寄せ付けなかった森に、つい最近入れるようになったとうわさを聞きましてね。これは封印された遺跡があるのではと、喜び勇んで調査に来たわけです。私、得意なんですよ。結界の綻びを見つけて道を探すの。これでも魔導士のはしくれですからね」

「……それで、こんなところで見知らぬ相手に身の上話を語って、得るものはあったのかね?」

「え!? いやぁ、長話になってすみません」

 男は寝ぐせの付いた頭をいた。

「そうよ、こんなところ、長居するもんじゃないわ。変わったお友達は、宿にご招待してお話をすればいいじゃない……でも浮気はダメよ」

 妻は言い、娘の手をひいて建物の外へ出た。

 夫はまた頭を掻き、「よければ、いろいろをお話を聞かせてもらいたいのですが」と言った。

「旅先で訪れた遺跡で、同好の士に合うとは、これもなにかの縁です。ぜひ夕食にご招待させてください」

 勝手に同好の士に認定された挙句どうやら女性と思われているらしいが、夫の言葉に興味をひかれた。

「ほぅ。私とお前のあいだに、縁があるとな?」

「えぇ、そうに違いありません」

 年齢に似合わず屈託のない笑顔を向けてくる相手に、無名の魔法使いも相好を崩した。

(まぁ、ろくでもない研究員ではなさそうだし)

 無名の魔法使いは、親子三人といっしょに施設を出た。

 もちろん、敷地の外に出る際に、仮留めのような簡易の封印をほどこすのは忘れなかった。


 親子連れは、海沿いの町にある小さなコテージに宿泊していた。例の中間貯蔵施設から、歩いて三十分ほどの距離にある。子どもの足ではつらいので、父母が交代で抱き上げたりおぶったりして連れて帰った。

「娘の名はリザーナというのですが、あの子に海を見せてやりたくてね。私たち、海のない町に住んでいるものですから。ほら、こうして潮風にあたりながら広い海を眺めていると気持ちいいでしょう?」

 丸太を組んで作ったテラスに簡素なテーブルとイスを持ち出して、無名の魔法使いと丸眼鏡の夫――リチャードは晩酌していた。テーブルの上にはふたつのコップに注がれた麦酒と、小瓶に飾られた一輪の花がある。

「ふぅん。海を見ることが、子どもの教育にいいのか?」

 無名の魔法使いが尋ねると、「いいか悪いかと言えば、いいんじゃないでしょうか」とリチャードは答えた。

「だって、実際に見てみなければ、海がどんなものか分からないでしょう? 身近に触れて初めて、好きか嫌いか、きれいかみにくいか判断することができるんです。新しいものに触れるほど、この子の世界は広がって、きっと好きなものがいっぱい増えていく」

 室内からとことこ歩いてきた娘を膝に抱き上げると、リチャードは目を細めて子どもの頭を撫でた。

 無名の魔法使いは見た。我が子に触れるその手に、小さくやさしい魔法の光がともるのを。

(愛ある場所に魔力は宿る、か……)

 親子の様子を見ていると、なんとなく「愛」のなんたるかが想像できる気がした。同時に、それが決して自分には使いこなせない力だということも感じていた。

 無名の魔法使いは、男の趣味である「旧文明の調査について」の話を、麦酒を飲みながらのんびり聞いていた。途中、妻のマーサがつまみとなる料理を持ってきてくれた。彼女は「飲みすぎて二日酔いになったら、耳元で大きな声を出してあげるから!」と忠告して室内に引っ込んでいった。リチャードは首をすくめてその忠告を聞き、「うちの奥さん、本当にやりますから」と諦めにも似た表情で麦酒を口に運んだ。

「……それでね、その自動車というものを、部品を集めて一から組み立ててみたいんです。妻は『そんなガラクタ、置き場所ないでしょ』って怒るんですけど、これは男のロマンというやつでしてね。あぁ、女性のあなたに言っても、やはり妻と同じことをおっしゃるんでしょうか」

「そうだな、どちらかといえば奥方の意見に賛成だ。今は魔力を動力として動く車がある。それを買えばいいではないか」

「それじゃあダメなんですよ~魔法を使わずに組み立てて、魔法を使わずに動かしてみたいんです!」

 リチャードは強い口調で言った。顔も首も赤い。すでに酔っているようだ。

 一方、酒に酔うということを知らない無名の魔法使いは、涼しい顔で次の麦酒を飲み干した。

「お前は魔法使いなんだろう。魔法で解決しようとは思わんのか?」

 リチャードはつまみを口にしながら、「分かってない! それとこれとは別なんです~」とぼそぼそ呟いた。

「この世界に魔法が普及する以前には、魔法とは別の優れたエネルギーがあったはずなんです。各地に残る遺跡がそれを証明している……それがどういうものか、研究してみたいんだ」

 子どものように熱っぽく語るリチャードに、どうしたものかと肩をすくめる。

 旧時代のテクノロジーとして電気エネルギーに着目するのはいいが、それが伸張すればいずれ原子力に辿り着く。世界の秩序を担う者として、それを看過するわけにはいかないのだ。

「私は思うんだが。旧時代のエネルギーシステムより、現代に普及した魔法のほうがよほど公平で効率のいいエネルギーだと思うぞ。富める者にも貧しき者にも等しく扱える力、環境を汚すこともない。それで満足していればいいではないか」

 リチャードは顔を赤くしたまま、にやりと笑った。

「やはり、あなたも旧文明をよく研究していらっしゃるようだ。とてもお詳しい……だから言えるのですよ、魔法だけでいいと。それは知識のある者だけが言える言葉なのです」

「……どういうことだ?」

 リチャードは微笑み、上半身だけで後ろを振り向いた。娘のリザーナが、カーテンに隠れるようにして、テラスで飲み交わす大人たちを見ていた。リチャードが手招くと、トトト……と軽い靴音を響かせて駆け寄り、父親の太ももにしがみつく。視線は、無名の魔法使いに向けられていた。

「無知は知識欲の前身です。知らないから知ろうとする。知らないものに対して、恐れと同時に好奇心を抱く。ちょうど、今の娘のようにね。あなたは知らない人だ、だから怖い。でも興味をかれる、近づいてみたい。だからこうして首を突っ込んでくるのですよ――握手してやってもらっていいですか?」

 無名の魔法使いが頷くと、リチャードは娘を膝に座らせた。

「ほら、リザ。仲良しの第一歩だよ、右手を出してごらん」

 父親に導かれて、リザーナは小さな手のひらを差し出した。

「……わたしのなまえは、リザーナ・アストンです。どうぞよろしく」

 たどたどしい言葉遣いで自己紹介すると、吸い込まれそうな大きな瞳で無名の魔法使いを見つめる。

 無名の魔法使いは口元を緩めると、白い右手を差し出した。

「よろしく、小さなリザーナ譲。あいにくと私に名前はないが、お近づきになれて嬉しいよ」

 無名の魔法使いの言葉は、まんざら社交辞令でもなかった。緑の瞳の子どもがまだ小さかった頃を思い出して、微笑ましく思える。

 あなたは――とリチャードが言いさしたので、自らの唇に人差し指をあててそれを押しとどめた。リチャードは頷いて、続くセリフを飲み込んだ。

 そこへ、妻のマーサが現れた。

「あなた。飲むのはそれくらいにして、夕飯を片付けてちょうだい。お客さまにもお酒しかお出ししないなんて、失礼よ」

 腰に手を当てる妻の横で、夫は小さくなっている。似合いの夫婦だ。

 無名の魔法使いは笑みを浮かべると、席から立ち上がった。

「いや、そろそろおいとましようと思っていたところだよ。突然押し掛けたうえ長居してすまなかった」

 妻はいえいえと手を振った。

「こちらこそ、主人の長話に付き合わせてしまってごめんなさい。話の合う人が見つかって、主人もご機嫌だわ」

 リチャードも席から立ち上がった……若干ふらついていたが。

「そうだねぇ。楽しい時間はあっという間だ……マーサ、リザと一緒に先に夕飯を食べていてくれ。お客様のお見送りは私がするよ」

 母子の視線に見送られながら、無名の魔法使いはリチャードと連れ立ってコテージから離れた。


 夕日が海の端に沈もうとしている。

 潮騒しおさいに満ちた空間にはほかに人影はなく、静かな夕暮れだった。

「良い出会いをありがとう、“名前のない魔法使い”。私にとっても娘にとっても、忘れられない一日になりそうです」

 それは無名の魔法使いにとっても同様だった。人間との交流を有意義だと感じたことは、これまでに一度もなかった。

 それ故に、言わなければならないことがあった。

「リチャード。お前の旧文明への並々ならぬ興味は理解したが、好奇心は猫を殺すという言葉を覚えておけ。お前が旧文明の深淵しんえんにたどりついたとき、私はお前の友ではいられなくなる」

「それは……どういう?」

 無名の魔法使いは首を横に振った。それ以上は話せないという意思表示だ。

「お前が守るべきは妻と娘だ。それを肝に銘じておけ……お前の娘は幸せ者だ。やさしい父と母がいて、無条件に甘えることができるのだから」

 夕焼けを浴びて赤紫に染まった無名の魔法使いの瞳と、リチャードのいぶかし気な褐色の瞳が一瞬だけ交差した。

 無名の魔法使いはその視線を振りほどくと、一瞬にして姿を消した。

 後には、海へと下る小道にひとりたたずむリチャードだけが残された。

 移動用の魔法陣を使うことなく瞬間移動することは、人間の常識では考えられない離れわざだった。

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