第3話「百円」

昼ご飯を買いに一階の購買スペースに行くと伊出先生がいた。

 先生は自販機の前で何か考え込んでいる。気づかないふりをするのもあれなんで声をかけようと近づいた。

 「くそ、ここでこの百円を使ったら、明日のジュース代を出すために千円を崩さなけらばならない・・・くっそ」何やらこの世で他に無いと言うほどどうでもいいことを悩んでおられたのでまずは自分の用事を片付けることにした。

 僕は購買部の込み合いが嫌なので戦いが終わるころに買いに来る。当然のように売れ残りしかない。が、考え方を変えるのが肝心だ。

 激戦の後に残ったパンたちはある意味で戦いを勝ち抜いた敗残兵であるがそれ故に歴戦の練兵であるはずだ。僕は自分の怠け癖を棚に上げて、ここに残ったものだっていいものだと言い聞かせた。

 適当にパンを買って自販機前を見るとまだ先生がいた。

 「伊出先生、自販前でなにやってるんですか」とさすがに声をかけないわけにはいかなかった。

 「あ、すまん。今どくよ」

 「いや、別に買わないんでいいですけど。何してるんです?」

 「いや、明日給料日なんだが、それまでに使えるお金が二百円しかなくてな」いや二百円って。

 「かつかつですね」

 「現金はあるんだ。だがこれは来月の使う分だから今使うとなんか負けた感じがする」

 「大変ですね」

 「そうなのだ・・・くそ。銀行からお金をおろすまでが運動会なんだよ」

 「なんです。その遠足みたいなフレーズ」

 「なんとなく私の状況は伝わるだろ?」

 「はい。どうでもいいことが理解できました」

 「くそ。どうすればいいんだ・・・」

 「使わなきゃいいんじゃないですか?」

 「でもぉ今コーヒー飲みたいんだよ」

 「飲めばいいじゃないですか」

 「川井君。話聞いてたろ?振り込まれたお金を通帳で確認してから必要な分だけ下すまでが運動会なんだ」

 「仮に今千円あって、それは来月のぶんだとしても明日おろせるなら帳尻合わせられないんですか?」

 「そうやってずるずると使ってしまうと」

 「・・・だから使わなきゃいいのでは」

 「あ、なんかイラついてる?」

 「あまりにもくだらないことに巻き込まれたんで少しイラついてます」

 「ごめん。ごめん。確かにそうだよな。こんな話されてもうざいだけだ。よし。決めた。買わない。明日まで我慢して明日買う」

 「偉いです。先生。見直しました」

 「え、そう?もっと褒めていいんだよ。私褒められると伸びるタイプだし」

 「でも基本的にお金にだらしないですよね」

 「ぐ」

 「月末で使えるお金が二百円って。何に使ったんですか?」

「貯金」

「お金あるじゃないですか」

「わかってないなー川井君。ま、川井君は大人びてるがまだ子供だからわからないだろう」なんか上から目線がムカッと来た。

「いや、貯金は大事だと思いますけど・・・」

「大人になるとな。預金通帳の金額が上がっていくのを見るのだけが楽しみになるんだよ」

「そんな大人になりたくないですね」

「私もなりたくなかったよ。しかし・・・気づいたらこんな大人になっていた。社会が悪いんだよ」

なんだか思ったよりも深い闇を見てしまった気がする。僕はこれ以上大人の闇を見たくないのでその場を去った。去り際。

「くそぉ。来月こそは節制してやるぅう」という負け犬の遠吠えを聞いた。


●了

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