最終話 素直な気持ち 中野未来編その5
映画館にて
鑑賞していたのは、特に恋愛要素のない、老若男女問わず楽しめそうな娯楽映画だった。
黄色の身体の珍妙な姿をした盗賊の主人公たちが活躍する話で、彼らが忙しく画面を動き回るのを眺めているだけでも、楽しくなってくる。
別にアニメやアクションなどの映画が、嫌いというわけではない。
むしろ一人で鑑賞する分には、恋愛ものよりも好みだ。
ただ意中の相手と、もっと進んだ関係を築いていきたい。
そういった邪な目的を持っていたせいか、何だか素直に楽しめなかった。
でも隣の未来は時折声を殺して笑って、楽しんでくれている。
心残りがあるとすれば、彼女にいい所を一つも見せられなかったことだ。
出掛けた先でちょっとした口喧嘩をしたし、これでは次の機会など望めない。
沈んだ気持ちでポップコーンに手を伸ばすと、氷を入れた飲み物みたいに冷たいものに触れる。
横を見遣ると、それが彼女の手であるのが分かった。
「ごっ、ごめん」
「わわ、私の方こそ」
「へへ、なんか照れるな」
薄暗い映画館で彼女は俯きつつ、顔を上気させる。
その姿は、まるで夜空に浮かぶ花火を彷彿とさせる綺麗さだった。
暗闇で五感が研ぎ澄まされているせいか、柔軟剤の柔らかな匂いが鼻腔をくすぐる。
学生らしい健全なデートなのに、徐々に興奮のボルテージが高まっていく。
映画の内容など、まるで頭に入らなかった。
「やっと笑ったね、優吾」
「えっ……」
そこまで堅苦しい表情を浮かべていただろうか。
彼女の一言で気を張り詰めていたあまり、笑うのすらままならなかったのに気がつかされる。
「え、そんなに笑ってなかった?」
「うん。だから一緒にいてもつまらないかなって思っちゃった」
「正直に言うと、緊張しちゃって。だからかな」
「そっか。な~んだ、安心した。励まし足りなかったかなって勘違いしちゃったよ」
「き、急にどうしたんだよ」
「優吾、何だか深刻そうな顔してたから心配で。私だって同じだよ。本当に不器用だよね、私たち」
「同じってどういうこと」
「だって意識した人は気になっちゃうもんでしょ。これ以上、女の私に言わせるつもりなの」
「ええ、い、意識してたって」
「私、ガサツなところあるから。でもデートしてくれて、女友達から少しは前進したのかなって」
未来も望んでいたのだ。
俺が、ただの男友達でなくなることを。
はっきりと言わないだけで、未来なりに好意を伝えようと努力していた。
そんな彼女を、卑怯だと罵ることはできない。
結局自分が一番可愛くて、逃げていただけなのは変わりないから。
傷つけるのも傷つけられるのも嫌なのは、誰でも同じだ。
ここまでお膳立てされても、助け船を出してもらっても、告白の一つもできない自分が嫌になる。
「もう終わったし、外に出ようよ」
映画のスタッフロールを眺めていた彼女は、何事もなかったかのように発すると、徐(おもむろ)に立ち上がった。
この機会を逃せば、ずっとこの思いを心に封じ込めたまま過ごすことになる。
そう考えた瞬間、咄嗟(とっさ)に彼女の手を握り締めていた。
「あっ、ごめんな」
「暖かいね、優吾の手。触れあってると、すごく落ち着く」
「そ、そういう思わせぶりなこと……。好きなのかって勘違いされるぞ!」
「いいもん、目の前の人には勘違いされても」
はっきりとした口調で、未来は言ってのける。
「……なーんてね。どうしたの、帰ろうよ優吾」
「……俺、未来に伝えてなかったことがあるんだ。まだ座っててくれ」
「え、うん……いいよ」
未来はまじまじと、こちらを眺めていた。
緊張していて直視できないが、なにも気持ちを言葉だけで伝える必要はない。
さりげない行動だって、一応は感情表現になる。
臆病で、情けなくて、頼りなくて。
未来の眼に、今の自分はそんな風に映っているだろうか。
辺りを見渡すと、いつしか残された人たちはごくわずかになっていた。
先ほどまで大音量が鳴り響いていたとは思えないほど、静寂に包まれている。
「私、待つよ。だからゆっくり、ね」
未来に促されて、俺は呼吸を整えた。
この状況なら、声を抑えなくても咎める人間はいない。
そう思うと、ちょっとだけ心が楽になる。
鼻息が聞こえなくなるまで落ち着いてから、言葉を紡いでいった。
「あの時馬鹿にされて悔しかったし、ムカついた。でも、お前に救われたんだ。芯の強いところとか、本当に尊敬してる」
「やたらと人と群れないでいるのも、自分ってものを強く持ってるみたいで、すごく格好よかった」
「明るい話題だけじゃなくて、悩みにも親身になってくれた。だから大事にしなきゃって、そう思った」
「そして、だんだんお前に惹かれていったつうか……」
特別な日でもなければとても言えない歯の浮くような言葉を、次々にまくしたてる。
感謝の気持ちに、噓偽りはない。
それでも一番言いたかった台詞は、どうしても言えなかった。
「な、なんか急にこんなこと言い出してごめんな」
「嬉しいよ。お母さんもお姉ちゃんも、あんまり褒めてくれないし」
「……顔から火が出そうだ」
「でもでも一番肝心な恥ずかしい言葉、聞いてないんだけどな~」
未来は悪戯っぽく微笑んだ。
冗談めかしているけれど、これは本心だ
甘い台詞の一つでも、俺が囁くのを望んでいるのだ。
「ああああぁ、なんで無理なんだ。ううぅ……」
「……気持ちは一緒みたいだね。一人で言うのは恥ずかしいし、せーので言い合おっか」
俺は彼女の提案に、こくりと頷いた。
未来と見つめ合っていたのは時間にしてみれば、数十秒だっただろう。
けれどカップ麺が出来上がるのを待つよりも長かった。
こういうのは勢いだ。
「未来、俺はお前のことが―――」
「私も優吾が―――」
今まで胸に秘めていた全てを出し切った彼女は、これ以上ないような晴れ晴れとした顔だった。
俺たちは、いっぱい喧嘩をするだろう。
それでも話し合って折り合いをつけたりして、元のように仲のよい間柄に戻れるはずだ。
人の良心を信じて、歩み寄っていくことを、未来が教えてくれたから。
中野未来編 完
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