探偵と学者

 探偵藤堂蔵人は人を探していた。依頼人は大学でお勤めをしている島博士だ。島博士からの依頼は奇妙なものであった。それは『石田渉氏の生存確認』というもので、同時に小包を石田氏に渡すというものである。藤堂は依頼人の人相書きと特徴をじっと見つめる。『石田渉、横浜市××在住の筈。生きていれば二十八歳、セルロイドの眼鏡、柔和な顔』とだけが書かれている。人相書きも丸に眼鏡らしき丸が二つあり、髪の毛が書かれていないというお粗末なものであった。駆け出しの探偵ではあるが、まさかこの程度の情報のみで人探しをせねばなるまいとは。藤堂は小さく溜息をつく。

 藤堂は慣れ親しんだ横浜に向かう。鉄道の中で幕の内弁当を食べながら作戦を練る。闇雲に聞き込みをしても、仕方がない。まずは依頼人から聞き取った横浜市××に向かおう。熱い茶を啜りながら藤堂は考えた。やがて横浜駅に到着した。藤堂は鉄道を降りると、歩いて横浜市××に向かうことにした。

 横浜市××は、駅からかなり遠かった。運動のできない藤堂は肩で息を吸う。××は横浜駅の賑わいとはまた違う人気のあるところだ。長屋が立ち並び、子供が数多く遊んでいる。いったん息を整えた藤堂はそこらで遊んでいる子供にまず聞き込みをすることにした。

「ねえ、きみ。石田渉さんって方をご存知かな」

 知るわけないだろう、と藤堂は思った。

「石田先生のことかな。先生なら知ってるよ」

 知ってた。藤堂は返答の速さに驚く。周りの子供たちも石田先生なら知っていると声が上がる。

「石田先生は何をしている人なのかな」

「よくわからないけど、大人がみんな先生って呼んでるから俺たちもそう呼んでる」

「その先生のうちはどこかな」

「知らないけど、このあたりじゃないかな。よく自転車に乗ってこの辺通るから」

「そうかい。ありがとうね。ちなみにどんな風体をしているんだい」

「えっと…白髪が生えてる。」「丸い眼鏡かけてる」など口々に子供たちが言う。藤堂はありがとうね、とお礼を述べ飴を子供たちに渡した。

 さてどうするか。この辺りに住んでいることは確かであることは分かった。しばし藤堂は長屋通りを行ったり来たりする。すると、一人の婆さんが長屋の前を掃き掃除している。その婆さんが目に留まる。藤堂はその婆さんに声をかけた。

「もし、御母堂。石田渉さんという方はご存知かな」

「知ってるも何も、ここの長屋の二階に住んでいる学者先生だよ」

「二階。どこの部屋ですか」

「二番目の部屋さね。自転車があるから、今日はいるだろうて」

 婆さんが指さした方向には赤錆びた自転車が放置されていた。婆さんの情報を頼りに貧乏長屋の二階へ上がる。部材の一部が苔むし、そんな長屋の二階への階段を藤堂は慣れたようにかつかつと上がっていく。すると足元で大きな音がした。藤堂は沈んだ片足を見ると、どうも階段を踏み抜いてしまったらしい。藤堂は婆さんに心の中で謝罪をする。そして二階へと上っていった。目的の部屋はすぐに見つかる。藤堂はその部屋を軽く叩く。何度やっても返事はない。藤堂は漠然と不安になった。戸をからりと開ける。施錠はされていない。藤堂が返事を待たずに中に入ると男が一人倒れていた。白髪混じりの黒い髪。机の上には眼鏡が置いてある。この男が石田渉か。しかし、この状況はまさか。そっと石田と思わしき人間の手を握る。冷たい。死んでいる。そう考えると藤堂の意識は暗転した。

 藤堂は揺さぶられる感覚を覚える。自分を揺さぶるのは誰だろう。目をうっすらと開けると、そこには先ほどの男が自分の体をゆすっているのが分かった。死体が動いた、と藤堂は勘違いし、また彼の意識は闇の中に沈んでいったのである……。

 次に目を覚ますと、彼は煎餅布団の上であった。思わず身を起こす。体が重い、と藤堂は感じた。

「目は覚めたかい」

 死体だと思った男は生きていた。藤堂は安堵した。

「貴方が石田渉さんですか」

「そうだけど、君は」

「僕は藤堂蔵人と申します。探偵です」

 石田は怪訝そうな顔をする。

「蔵人。随分歴史的な名前だね。探偵。探偵がどんなようだい」

「島博士という方からご依頼をいただきまして。貴方の生存を確認しに参りました」

「ア……手紙送るのすっかり忘れてた……」

「それからこれを貴方にと」

「あ。先生新しい本を出したんだ。ありがとうございます。先生には俺からよく伝えておくんで」

「はい。しかし貴方、あんな寝方をされてたら誰でも死んでると思いますよ」

「いや、腹が減りすぎて気絶してしまってね……」

 石田の腹は大きな音を立てている。

「ご迷惑かけたついでです。これも何かの縁ですからご馳走致します」

「本当かい」

 石田は目を輝かせた。

「その代わり、店は僕が行くところです。とっておきの純喫茶があるんです」

「もしかして、福島珈琲店」

 藤堂は目を丸くした。

「オヤ、よくご存知で」

「よく行くものですから。皿洗いついでですが。」

「オヤ、僕と一緒だ。では、行きましょうか」

 藤堂と石田、探偵と学者の奇妙な縁はここから始まったのである。

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