贈り物を貴方に
私は、そっと泥まみれで眠っている貴方を見つめていました。月夜の明かりに煌々と照らされて小さく寝息をたてる貴方。男性なんてみんな私のお金目当てで寄ってきて適当な金品を与えて気を引こうとする存在だと思っていました。でも貴方は違いました。ああ、知り合ってすぐなのに、私のために一週間も旅をしてくださった貴方。私はそっと貴方から貰った石を眺めました。美しい翡翠の原石。清流に磨かれ、私が磨かなくっても光沢を放っている小さな美しい石。貴方の瞳は黒々としていてとてもきらきらしている黒曜石のような瞳。ああ、いますぐにでも揺り動かして貴方のその瞳を、声を全てを感じたい。私ったらどうしてしまったのでしょうか。こんな気持ちは初めて。貴方がその唇を小さく開くたび、私は貴方の顔に吸い寄せられる気がしてなりません。私ももう寝ないと、気がおかしくなってしまいます。母が昔、私にしてくれたように額に口付けをしようかと一瞬迷いました。それと同時に恥じらいを思い出しました。貴方がもし起きて吃驚されたらどうしよう、はしたない女だと思われたら。そう考えると私はおやすみの口付けさえも出来なかったのです。私は貴方の眼鏡をそっと外し、「おやすみなさい」と一言だけ告げて部屋を出ました。
翌朝、貴方はいつになっても起きてきませんでした。お父様は「ゆっくり寝かせておきなさい」とだけ仰っていましたが、私は一刻も早く貴方とお話しがしたかったのです。私は思わず駆け足で貴方の部屋に向かいました。そろりとドアノブを回すと貴方は未だ夢の世界にいらっしゃいました。私は起こすのは申し訳ないと思いながらも貴方を起こしたいという衝動に駆られてしまったのです。私は扉の外側に一回出ると、一度深呼吸をして小さくノックをしました。……お返事はありません。仕方ない、もう少ししてから来ようと、私は朝食をとることにしました。
急ぎ朝食をとり、貴方の部屋をノックしました。すると小さく応答の声がありました。私は貴方の声が聞こえてきただけで頬が緩みつい笑顔になってしまいました。貴方に食事の支度が出来たことを告げると、にこにことお礼を告げられたのです。その表情の可愛らしさったら。人の良さそうな笑顔にセルロイドの眼鏡でより柔らかい印象になるものですから齢のわりには若くお見えになるのですね。それがまた可愛らしいのです。
朝食のトーストをかじる貴方。トーストを初めて食べるようにそうっとパンの耳を摘んで食べるものですから、それがまた可愛らしくて仕方ありません。私は、昨日の晩から考えていた貴方へのお返しについてお話しをしました。すると貴方は困ったようにこう返しました。
「瑠璃子さん。瑠璃子さんの気持ちの収集はつかないとおもいますが、俺はその気持ちだけで十分だ。それにお返しなんて望んではいけないよ」
その言葉。大変にずるいと思いました。貴方はそうやっていつも格好良いところを私に見せてくる。大人というところを存分に見せつけてくる。これを卑怯と言わざるして何を卑怯というのでしょうか。それでも貴方は何も欲しいものをウンともスンとも言いません。このような人を赤貧と呼ぶのでしょうか。すると貴方は何か思いついたようにそっと銀時計を取り出しました。その時計は壊れているのか、動きません。
「そうだ、瑠璃子さん。私が大学を卒業したとき、銀時計をいただきました。しかし、私が無精なせいか、いまでは壊れてしまって動きません」
「あら。それは大変ですね。さぞ思い入れのある時計でしょうに……」
「エエ。思い出がたくさん詰まっています。しかし、歴史を学ぶ者としてはよくないですけれども、思い出も大事ですが新しい未来と共に歩みたいと俺は思います」
私は貴方のこの言葉を聞いて思いつきました。急ぎ父様のところへ向かいました。我が家のとっておきの宝物を差し上げようと思ったからです。それは、私のお爺さまが陛下からいただきました銀時計です。貴方は私と共に歩む方。そして過去を見ている貴方。なれば、私の家の歴史も未来へ一緒に連れて行って欲しかったからです。その考えをお父様に告げると、渋い顔をなされています。
「瑠璃子、お前がその時計をあげたい気持ちはよくわかった。しかしそれは我が家の家宝だ」
「なればこそです。お父様。渉さんは命をかけて私のために翡翠の原石をとりにいってくださいました。これだけのことをしていただいたのに、お父様は渉さんをお認めにならないのですか」
「認めるもなにも……未だ婚約の段階の上、あの男が好きになったわけではないのだろう」
好き、そう恋。ああ、哀れな私は恋という心が分かりません。私は思わず俯きました。
「しかし、お父様……」
「オヤ、仕事の時間だ……。また話を聞くからまた部屋に来なさい。私を説得出来ればそれを石田くんにあげることを認めよう」
私は部屋から追い出されました。ああ、なんと歯痒いことか。私は自らの心を言葉にできない上、渉さんに抱いている気持ちの正体も分からないのです。これは興味かはたまた恋なのか。私にはわからなかったのです。十日という日限をつけてお父様を説得しようと思いました。その日限の付け方はデェトというやり方しか、今の私には思いつきません。自分から誘うのははしたないと思いましたが、私は渉さんに電報を打ちました。私は三日三晩かけてお父様を説得しました。中々お父様は首を縦には振らなかったのですが、我が弟の一言により、お父様はついに陥落しました。これでデェトの日を待つのみです。私は渉さんに逢えるかと思うと胸の音が高まるということを感じていました。一体この感情は何なのでしょうか。
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