彩鳳随烏

 お見合いから帰ってきた姉様と父様。僕の見立てだと先生とのお見合いは上手くいったようだ。姉様は今までのお見合いから帰ってくるとまるで西洋人形のように美しいお顔を冷たく凍らせていたのに、今日はなんだか雰囲気が暖かい。一方父様は、がっくりと肩を落としている。それはそうだろう。先生に「会うだけ」と言われていたのに、おそらく、きっと、お見合いがうまくいってしまったから。

 先生は僕が父様の次に尊敬している大人だ。だから、先生が自分の兄様になるのは喜ばしい。しかし、姉様をとられるのは、嫌だな。兄様になったアカツキには、僕との勉強の時間にもっと時間を割いてもらって、姉様と一緒にいる時間を減らしてやろうか。ちょっぴりの嫉妬と先生とこれから一緒にいられる期待が僕の胸いっぱいに広がる。それでも一抹の不安が僕にはよぎる。先生は僕たちが想像を絶する程お金がない、と言っていた。そんな先生が僕の大切な姉様を幸せにできるのか。世の中はお金では計れないものがあるって先生は言っていたけど、それは本当なのかな。そんなことを考えていると、不意に姉様が僕を抱きしめてきた。ふんわりと優しい香りが僕を包み込む。僕は胸いっぱいにその香りを吸った。

「ただいま。秀臣。今日は素敵なひとと会ってきたの。とっても変わった人でね、私初めて男性に対して心が動いたの。お見合いの席で私がしゃべったのって初めてよ」

 なるほど、先生はどんな風に口説いたのであろうか。まさか、僕に話すときみたいに難しい話題や書籍の引用ばっかりではないよね。先生、女性には慣れていないだろうから心配になってくる。

「そう、結婚はお金だけじゃないって言ってた。その言葉は普通なら私、受け流すところだけどあの人は真剣にそう言ってくれたの。それがとっても嬉しかった。心の綺麗な方だってすぐに分かった」

「姉様、よかったですね」

 僕は子供らしく、何もわかっていないふりをして姉様の頭をなでる。黒い髪が絹のような光沢を放ち、さらさらと柔らかい。僕は姉様の前では子供だ。姉様が嬉しいと自分まで嬉しくなってしまうのだから。

「ご結婚をされるのですか、姉様」

「それは……お父様」

 今まですっかり忘れていたお父様がからぜきをする。

「イヤ、秀臣。相手方が何と言われるかわからないからね。それにすぐに結婚とはいかないよ。大人は難しいものでね。まず、婚約というものをしなければいけない」

 そうか、世の中は僕の知らないことで満ち溢れているのか。そこも今度はきちんと勉強しないと。

「姉様、ところでその方はどんな人なのですか。僕の兄様になる方なのですから気になります」

「まあ、秀臣の方がよく知っているわ。相手の方はね、学者をされている方なの。二十九歳と言われていたわ。私と丁度一回り違うわね。背は……お父様と同じくらいかしら。瞳はきらきらして、ちょっぴり白髪が生えていて……まあるい眼鏡をかけているの。私の瞳の色を美しいって言ってくれたわ。外見を見て、ぎょっとする様子も無かったわ。」

 僕は何も知らないフリをする。

「ひょっとして、石田先生ですか」

「ええ。その石田先生よ。貴方、あんな素敵な人と会っていたのね。貴方の日本人離れした外見にも何も言わないでしょう」

「ええ。むしろ、綺麗な色だねと褒めていただきました」

 素敵な人。そう姉様に先生を褒められて僕まで嬉しくなる。先生と出会えたことは僕の十年間の人生の中でなによりも幸せなことだったから。そんな自慢な先生を姉様に気に入ってもらえるとは何よりの至福であった。

 僕は「彩鳳随烏」という隣国の古典に載っていた言葉を思い出す。意味は、『身分の高い女性が身分の低い男性に嫁ぐこと』だった。今は身分なんて関係もない時代だし、そもそも僕らは華族でもなければ士族でもない平民だ。先生だって新平民という訳ではない。でも、資産によって心の中で階級が作られる時代だと僕は思う。先生も無意識に僕に遜るし、僕の尋常小学校の先生だって、お金のあるうちの子供を依怙贔屓するところがある。そんなのは、子供ながらよくないと思う。僕は先生がこの先、姉様に対して僕と同じような態度をとらないか心配になった。でも、姉様と先生がこの先幸せになればいいなあ、とも思った。一陣の流れ星が空に消えていった。僕は思わず、流れ星に先生と姉様の未来を祈った。

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