第6話「理由と目的」
前列左端は特に気に入りの席だ。
片脇にしか客がいないため、他人の空気の混在を最小限におさえることができる。これは、一般的な席取りセオリーと同じだ。後方からの存在の認知は慣れればどうということはなかった。
ハムチーズフォッカチオをかじりながら、正面の奥へと視線を動かす。奥は厨房になっており、常に二、三名のスタッフが出来上がったパンを売り場に運ぶために出たり入ったりしている。
そこに、彼女の姿はなかった。
彼女は、理由であり目的だった。
私がこれほどまでにポジション取りに精を出すのも前列にこだわるのも、また、パンもドリンクも好みに合わないこのベーカリーチェーンに足しげく通うのも、彼女をひと目でも見んとするためだ。その目的はナンパでもなければ、世間話をすることでもない。癒やしを得ることだ。
ひと言で表すならば佳人だ。店内で
厨房を出入りするスタッフは、四十前後の太った女と、それよりはいくらか若そうな女のみ。後者はそこそこの外見で、接客態度も店内では良い部類であるものの、あらゆる面において彼女とは比ぶべくもなく、理由や目的にはなり得ない。
これまでの傾向からすれば、幸福の発生確率は六割程度。つまり、週五日のうち三日ほど
私は、しかし
後列右端の支配者が席を立った。
私の横を通り、トイレへと姿を消す。ほどなくして、天井付近に男性用トイレの標識の青いマークが点灯した。
八時十五分。いつもそうだ。あのサラリイマンは、決まってこの時間帯に用を足すのだ。所要時間は五分から十分といったところか。なんの興味も感慨もないそのルーティーンは、いつしか私の記憶に刻まれていた。あきれるほどに規則正しい彼の腸の働きが、私の索漠感に拍車をかける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます