第4話「不可解な対応」

 レジカウンターの横を通り、無事に入口横でトレイとプラスティックのトングを手にすることができ、私はほっと胸をなで下ろした。

 いま会計を担当している中年の女性店員は、先週のこの時間、あろうことか私に「ありがとうございました~」と言ってよこしたのだ。同じように、財布だけを手にして入口に向かって歩いていた時に、である。そのひと言により、私は来て早々に興をそがれたものだった。食事を終えて店を出る客と見紛みまがったのであろうが、観察力の欠片もない機械的な発言と見なすよりない。


 ただ、殊更ことさらあげつらうべきではないのかもしれないと、私はパンを物色しながら思う。もちろん、その鈍才は黙過もっかしがたいものではある。しかし、彼女もまた我々と同じくパンデミック拡散レース――あるいは、愉快さも満足感も享受し得る可能性の限りなく低い眠気との耐久レース――の参加者なのだ。どれだけレースに精を出そうが出すまいが、ベーカリーチェーンが会場では賞金などたかが知れていよう。

 コンビニエンスストアの一向に接客スキルの向上しない異国ガールズ然り、情理を尽くした振る舞いをせんとする意欲を搾り出すことができるほどの環境にあるかどうか。そのような環境整備がなされていないであろうことは傍目にも想像に難くなかった。


 空腹の度合いに関わらず、朝食として何かしら固形物を摂取することが私のジンクスだ。

 しかし悲しいかな、この店のパンは値段の高さに比して味が今ひとつで、たまにいつも購入しないパンに挑めばほぼ確実に敗北するというのが、お決まりの流れとして定着していた。一見するとそれなりに美味しそうに見える場合も然りである。私は、だからひと通り眺めた上でいつものハムチーズフォッカチオをトングで掴む。特別美味しいわけではないものの、苦労なく全量摂取が可能なこのパンはこの店のエースとして長年にわたって君臨している。


 レジカウンターには、状況に応じて二名のスタッフが入ることもあるが、現在は中年店員のみ。いま会計をしている客を除いて二名先客がいたため、その後ろについた。前に立つOLの形のよい尻を眺めながら時間をつぶす。 

 並び始めて一分ほどで、美尻OLがドリンクカウンターへと進んでいった。後ほどの慰労の題材とするためにはもう少し味得していたいところであったが、仕方ない。

 

 その刹那、一抹の違和感を覚えた。しかし、その正体を瞬間的に判別できないまま、数歩移動して会計場に立つ。

 気付いたとき、私はすっかり興をそがれた。


 不可解だ。なぜにこの中年店員は、「お待ちの方どうぞ」という案内もよこさなければ、こちらが到着した瞬間に「お伺いします」や「店内でお召し上がりですか?」といった言葉かけもなく、ただ突っ立っているのだろう。

 それらの声かけがなかったこと自体に驚くわけではない。解せないのは、先ほどの二名の客に対してはそれらの定型文を無難に口にしていたにも関わらず、こうしていま無言でいることだった。

 意欲がないならないで、一貫した無気力を演じればこちらとて仕方なしと思えよう。だが、なぜにこうも統一性のない対応をとるのだろう。あるいは、これは私への嫌がらせだろうか。先ほど抱いた中年店員への庇保ひほうに近い感情は、この瞬間に無きものと化した。


「アイスカフェオレ、レギュラーサイズ」

 彼女の理不尽に屈して不自然なが生じようものなら、それこそ思うつぼだ。濁った思考に困惑しながらも、私は冷静に、かつ意図的な冷たさを付随させた口調でドリンクをオーダーする。


「五百七十円です。温めますか?」

「はい」

 中年店員がハムチーズフォッカチオを皿に移し、電子レンジにかける間に、財布から小銭を探して釣り銭のないように出す。


「ちょうどですね~」

 中年店員からレシートを受け取り、私は半分に折ってトレイの左隅に置いた。コンビニエンスストアなどでは高確率で設置されている不要レシートを入れるためのかごがこの店にはないので、ひとまず受け取って下膳の際にそのまま手放すのが定石だ。


「あら、レシートいらないですか?」


 温まったパンがのった皿をトレイに置きながら発せられたその台詞に、私は更なる不可解の渦へと巻き込まれた。

 なぜだ。この中年にはこれまで飽きるほど接客されてきたが、これまで一度もそんなことを口にしてはいなかったではないか! ついでに言えば、今回のような理不尽な対応もこれまでにはなかった。今日はいったいどうしたというのだろう。

 いや、そんなことより、その不可解な台詞を口にした意図が私には理解できなかった。レシートが不要かどうかを確かめたいならば、渡す段階でひと言聞けばいい。そもそも、トレイの隅に寄せて置いているからといってなぜに不要だと解釈できよう。確かに今回に関してはその通りだが、後ほど財布にしまう予定でいながら一時的にそこに置いているだけという可能性も考えられる。リスクの伴う発言であると言わざるを得まい。


「はい」


 内心で嘆息しながら、コイントレイスタンドに畳んだレシートをのせた。




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