第2話「席取りのセオリー」

 コンビニエンスストアのすぐ横にある"Leben Deutsch"レーベンドイツは、都内のあちこちで見かけるベーカリーチェーンだ。

 パンもドリンクも大半が好みに合わないその店に、私は平日の朝に必ず訪れる。眠気を堪えつつ、機械的に手や口を動かすだけの馬鹿げたパンデミック拡散レースの会場へと向かうまでの一時間ほどの休息を得る場所として、この店は規則正しく機能していた。


 自動ドアを抜け、パン売り場を素通りして奥へ進む。この店は奥のイートインスペイスが充実しており、席数は四十ほどある。そのうちの半数は喫煙席で、角の専用室がそのエリアだ。喫煙エリアの手前、レジカウンターの向かいに横に二列並んだスペイスが禁煙席となっている。

 座るだけならば、なにも先に場所取りをしなくとも間に合う。この店に通って約二年。その間の統計から見るに、平日の午前八時頃に満席となる確率は三パーセント以下だ。

 しかし、私は席取りを欠かさない。この店を訪れるほとんどの客がおそらくそうであるように、席さえあればよいなどという意識の低さを持ち合わせてはいない。座る場所へのこだわりは、この店を訪れる目的に直結すると言っても過言ではなかった。


 カウンターの向かいに位置する禁煙席、これが絶対であり、かつ最低限クリアせねばならないポイントである。むろん、受動喫煙の回避などはピントはずれだ。それもひとつの利点には違いないが、おまけのようなものでしかない。

 続いて、ポジション決め。約二十の禁煙席の中のどこに座るかである。レジカウンターに近い前方一列と、奥の壁際の一列。


 私の経験則からいえば、奥一列から埋まりやすい傾向にある。主たる理由は二点。まず、背後に多くの人間の存在を感じなければならない前列と比べて、後列は壁しかないため精神的余裕が生じることが挙げられよう。どのみち、パンデミック拡散レースを控えた生気に乏しい人間たちの視線は揃って自身のスマートフォンに注がれているので、そのような解釈はさしたる意味がないともいえるが、自意識過剰な日本人ならば無意識的にそういう思考が働くかもしれない。

 特に、両端の席は人気だ。後列から埋まりやすい二つ目の理由として、赤の他人の空気を心身に取り入れるのを最小限にとどめることができる点である。これについては、電車内で端席が好まれやすい理由と同じだろう。また、オプション的要素として、壁際の両端下部にはコンセントが設置されている。この店で電源が使用可能な席はこの二つしかなく、その点もまた後列の人気に拍車をかけていた。


 以上の理由から、禁煙席では前列よりも後列のほうが明確な利点があると考えることができ、私も最初のうちは後列にフォーカスして席取りをしていた。そのセオリーは、しかし過去の遺物である。

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