第8章



「スィスタ! 雪椿! No.155から離れろ!」

「え? でももうこの子は……」

 地面にしゃがみこむNo.155にすっかり警戒を解き、手を差し延べる雪椿の手には紅い花。No.155にその花が渡るのを待つ暇はなかった。

「その子は爆発する! 早く離れろーっ!」

 ヨハンソンの必死の形相を見て、スィスタは雪椿を連れて逃げようとした。しかし、雪椿は動かなかった。手を引いてもその場から動かない。

「雪椿?」

 スィスタはこれ以上力を込めるのをためらった。常人ならば腕がちぎれるほどの力を、既に込めている。これ以上は雪椿に怪我をさせるのではないかと思ったのだ。

「スィスタはヨハンソンを守って下さい」

「え?」

 微笑む雪椿の言葉と、マスターを守るというプログラムの間でスィスタは揺れる。しかし続いた「マスター命令です」という言葉に、スィスタは逆らう事が出来なかった。

「すぐ戻るから」

 そう呟くと、スィスタは雪椿に背を向けてヨハンソンの元へ駆けた。

「スィスタ!? 雪椿は……」

 スィスタに担ぎ上げられたヨハンソンの言葉は、途中で爆音にかきけされた。

 振り向いた二人の目に一瞬映ったのは、No.155を包み込むように抱きしめる紅い着物の少女だった。

 少佐は、マイスター邸を全壊もしくはそれに近い被害を与えるつもりだった。そして邸まで爆発が及べば、邸内の火薬類に引火し誘爆が起こる。最終的にこの敷地内全て吹き飛ぶ可能性すら視野に入れていた。

 だが、今起こった爆発は予想外に規模が小さい。少佐始め兵士達は爆発の衝撃に備えていたにも関わらず、爆風が微かに届いただけだ。不思議に思った少佐は、砂煙が晴れるのを待った。

 爆風から身を守るため、転がるように地面に伏せたスィスタは、逆巻く熱風をやり過ごしてからガバッと顔を上げる。

 爆発源のNo.155は、見るも無惨な姿だった。もう人の形など残っていない。あちこちに金属や熔けた樹脂の塊がブスブスと燻っているだけだ。

 雪椿は薄れてゆく砂煙の中で、俯き加減に立っていた。

「雪椿!」

「雪椿……」

 二人がそれぞれに雪椿の名を呼んで、スィスタは彼女の元へ駆け、ヨハンソンは安堵でその場にくずおれた。安心しすぎて目を潤ませている青年に、少佐が靴音高く近付いた。

「……どうやらお前らは、よほど悪運が強いらしい。No.155の位置があと一メートルずれていれば、この敷地丸ごと吹き飛ばせたというのに」

「――ッ!」

 ヨハンソンは水色の目を怒りに濁らせ、目の前にある少佐の足を掴んで引きずり倒した。

「!」

 少佐は受け身を取ったが、ヨハンソンに地面に捩じ伏せられ動きを封じられた。ヨハンソンの手には鋭利な金属片が握られ、少佐の首筋を狙っている。

「待て」

 小銃を構えた部下達を一言で制し、少佐は全くもって冷静な態度でヨハンソンを見る。

「私を殺すか」

「…………」

「復讐の為か? お前の故郷を焼いた我が軍への」

「……知ってたんですか」

 に、と口角を吊り上げて少佐が笑う。

「新兵の身元調査は怠りない。同情はするが仕方のない事だろう? お前と似た境遇の者など珍しくはない」

「マイスター・アサツキとか?」

 冷笑混じりに投げた言葉に、少佐から返ってきたのは意外な言葉だった。

「それと、私もな」

「……え?」

「私はマイスター・アサツキと同郷だ。私の父とマイスターは幼馴染みといっていいだろう。お互い、いい思い出はなかったようだがな」

 ヨハンソンは目を丸くしたが、拘束の手は緩めない。

「我らは無差別に集落を破壊し、人々を虐殺している訳ではない。それより大きな破壊と虐殺を防ぐために、必要な犠牲だ。我らは、戦争をなくすために戦争をしているのだ」

「……矛盾してますね」

「受け容れろ。そもそも人間は矛盾した生き物だ。そうだろう?」

 ヨハンソンはキョトンとした顔で、パチパチと瞬きをした。

「なんだ……知らなかったんですか、少佐」

「は?」

 聞き返す少佐に、ヨハンソンはあっけらかんと言い放った。

「俺、人間じゃありませんよ?」

 今度は少佐がパチパチと瞬く番だった。

「……少佐も結構表情変わるんですね。いつも無表情だから、もしかして少佐も俺と同じなんじゃないかって少し疑がってました」

「何を……」

「マイスター・アサツキは、祖国を亡命してこの国にきました。亡命してすぐ、軍部で戦闘用ロボットを作った。不思議に思いませんか? いくら天才とはいえ、試作機もなくいきなり実用機を作れるなんて」

 少佐は目を見開いた。彼女もまた、その頭の回転の速さにおいて「天才」と呼んでいい逸材だ。

「そうです。俺がそのプロトタイプ、アサツキシリーズNo.0ですよ」

 一様に驚愕の表情を浮かべる少佐と軍人達を見て、ヨハンソンは試しに少しだけ手を緩めてみた。少佐は全く反応しない。ただ呆けた顔でヨハンソンを見上げている。

ヨハンソンは溜息をつき、拘束を完全に解いて立ち上がった。それでも少佐も軍人達も、全く動かない。

「あー、勘違いしないで下さいね。俺は軍属のアサツキシリーズロボット達みたいなズバ抜けた身体能力も武器も便利機能もついてませんから。『とにかく限界まで人間に近いロボット』というコンセプトですから」

 だからこそね、とヨハンソンはNo.155の残骸を視界の端に映して俯く。

「『弟妹達』と違って心が揃ってるから、悲喜こもごも全部残るんですよ。だけどそれ全部エネルギーに変換できる訳じゃなくて」

 ヨハンソンはシャツをめくって見せた。右の脇腹に、小さな穴が空いている。ねじまき用のコネクタだった。

「俺は『憎しみ』をエネルギー源として稼動してます。……俺を造った当時のマイスターは、病んでいたんでしょうね。あるいは驕っていたのか、勘違いしていたのか……。まあどうでもいい事ですね」

 にこ、と笑ってヨハンソンは手にしていた金属片を放り捨てる。薄水色の瞳が鈍く光っていた。

「俺は軍に復讐しようなんて思いませんよ。ただ……永遠に憎み続けるだけです」

 ヨハンソンは暗い目で少佐を睨む。

「それにしても……俺すら『一般人』として巻き込まないよう配慮してくれたのに、どうしてあの子は躊躇なく巻き込んだんです?」

 雪椿の事だ。No.155のすぐ側には雪椿がいた。雪椿が避難するくらいの時間はくれると思っていたのに、少佐は迷わず爆破ボタンを押した。

「あの子? ……誰の事だ」

 少佐はようやく我に帰ったようで、まだショックが消えきってはいないもののちゃんと受け答えをした。

「誰って……だから雪椿ですよ。紅い着物の。あの子が身を呈してNo.155の爆発を小規模に抑えてくれたんですよ。無事みたいだからよかった……ものの……」

 ヨハンソンの言葉は、語尾から消えていった。コクリと喉が鳴る。

『身を呈して爆発を抑えてなお、無事でいる』。

 そんな事が、一体誰に成し得るのか? 人間でも、ロボットでも無理だ。熱源探知にかからない。飲食も睡眠も必要としない。前回の軍の捜索の時も誰の目にも映らなかった。

 雪椿は何者だ?

 ヨハンソンは、恐る恐る尋ねてみた。

「……少佐。No.155の爆発の直前に、そのすぐ隣に女の子がいたのが見えましたか?」

 少佐は怪訝そうな顔でヨハンソンを見上げた。

「何を言っている? あの時No.155の隣にあったのは、ただの椿の木だろうに」


「雪椿!」

 スィスタに呼ばれて、雪椿は砂煙の中ゆるゆると首を動かした。

「すみません……庭を半分守るだけで精一杯でした」

 そう言って笑った雪椿の笑顔は、弱々しいものだった。

「せっかく綺麗に咲いてくれたのに……」

 桃色の絨毯をなしていた芝桜は、スィスタに焼かれ、軍用ヘリに潰され、爆風にちぎられて今や跡形もない。

「それより、雪椿は無事なの?」

 スィスタが問う声は、心なしか焦って聞こえた。

 雪椿はふわりと微笑む。それを見てスィスタはホッと表情を緩めたが。

「いいえ……さすがに……駄目みたいです」

 ぽつん、と焼けた土に丸く水滴が落ちた。雨だ。

「ちょっと無茶しちゃいました。多分私、そろそろ消えます」

 雨粒がスィスタの頬を打つ。表情はないが、泣いているようにも見えた。同じ雨粒が、雪椿の身体は素通りしていった。

 スィスタは受像装置を何度もエラーチェックしたが、異常はなかった。それなのに、雪椿の姿が見えなくなっていく。ステルスを使われた時のようなノイズ混じりの消え方ではない。ほんわり立ちのぼった温かな湯気が消えていく時のように、ゆっくりと。

「今までにした命令は全部撤回しておきますね。次のマスターが……優しい方だといいんですが」

「雪椿は死んでしまうの?」

 スィスタの余りにもハッキリしすぎた問いに、雪椿は笑った。

「分かりません。生命力には自信あるのですが……ここまで損傷した事がないので、なんとも……」

「ケガをしたの?」

「まあ……そんな所です」

 会話をしている間にも、雨はだんだん強くなる。雪椿の声は小さく、スィスタの高性能受音装置でも時折聴こえにくくなってきた。スィスタは雨音にかきけされないよう、少し大きな声で言った。

「もし雪椿が消えてしまっても、僕は雪椿の側にいるから」

「え?」

「この木が雪椿でしょう? ……No.155の爆発で折れてしまった、この椿の木が」

 雪椿はちょっと目を丸くして呟いた。

「気付いてたんですか……」

「……たった今気付いた」

 今、スィスタの目には、紅い着物の東洋系の少女の姿と、真っ二つに折れてしまった椿の大木とが二重映しに見えていた。雪椿に雨粒は当たらないが、折れた椿の木にはぴしぴしと雨の滴が打ち付ける。

「私が咲かせた椿の花に触れた人だけが、私の姿を見る事ができるみたいです」

「……じゃあ、次に会えるのは雪椿がまた花を咲かせる時だね」

「ええ……そうですね」

 雪椿は恐る恐る、尋ねてみた。

「待っていてくれますか? ……どれくらい時間がかかるか分かりません。何年……何十年……もしかしたら百年かかるかも。それでも、待っていてくれますか?」

 雪椿のか細い声は、形式こそ疑問の形ではあったが、その本質は懇願だ。それを読み取ったのかどうかは分からないが、スィスタはゆるぎない答えで返した。

「雪椿が望むなら、僕は千年でも待っているよ」

 スィスタは自分に命令をくれる誰かのために。

 雪椿は自分を愛でてくれる誰かのために。

 誰かのためにしか活きられない二人だから、お互いの気持ちは良く分かった。

『心』を持たないはずのロボットと植物でも、確かに心で触れ合った。

 雪椿はにっこり笑って、頷いた。その頬にひとすじ、滴が伝う。雨ではない。スィスタはその滴を右手ですくう。兵器のはずの右手の上でも、雨にも交じらず幻の涙の粒はそこにあった。

 幻でも、美しかった。

「じゃあ……次に会うまでの行動命令を」

「イエス、マスター」

 さっき雪椿は、今までの命令全てを撤回してしまったのだった。スィスタは今にも消えてしまいそうに小さい、雪椿の声に全神経を注ぐ。

「マイスターの命令を継続してください」

「マイスターの命令を?」

 スィスタは語尾を上げ気味に復唱した。雨の中、雪椿の姿がどんどん薄れていく。

「壊すのが惜しいと思うくらいの……戦いなんてバカらしくなるくらいのとびきり『美しいもの』を探してください」

「探して持ち帰るの?」

「いいえ、それは見つけた場所でそのままに。そしてまた次の『美しいもの』を探してその場所で、前に見つけたものを広めて下さい。それを繰り返すんです」

 ロボットの心すら動かすほどの『美しいもの』が隣国にあると聞けば、人はその国を破壊しには行かないだろう。自国の『美しいもの』の話を聞いて訪れた異国の人と、つかの間感情を共有し、心を通い合わせる事もできる。

 そうして世界中に『美しいもの』がみつかれば、世界から戦争がなくなる……かもしれない。そんな事を説明する時間も、雪椿には残されていなかった。

「……ずっと側にいて、とは命令しません。私の事はたまに思い出してくれるだけで十分です」

 スィスタは透き通った碧の瞳でじっと雪椿を見つめ、頷いた。

「了解した。全力を尽くすよ」

「ええ。起きるのが楽しみです。なるべく早起きしますね。……それじゃあ」

 ――雪椿は最後に軽く手を振って、そして消えた。

 折れた椿の木と、その前にじっと佇むロボットが、お互い無言でしばらく雨に打たれていた。



 その後すぐに軍部は退却し、雨は3日間降り続いた。

 雨の中、折れた椿の木を世話しようとするスィスタを、ヨハンソンが何とか邸の中へ引きずっていった。

「雪椿はどうした?」

 ヨハンソンの問いに、スィスタはすべて答えた。雪椿がスィスタのマスターだったこと。雪椿の正体が椿の木だったこと。そして雪椿が最後にした命令。

 相槌も打たずに黙って全て聞き終えたヨハンソンは、じっとスィスタを見下ろした。

「スィスタ、君はこれからどうする気だ?」

「どうって?」

 スィスタがキョトンとした顔で復唱する。

「君のねじは雪椿が持っていってしまった。君のエネルギー切れも時間の問題だ。その上君の手足は、触れた物全て消し飛ばしてしまう。今の君では雪椿の命令は遂行できない」

 ヨハンソンに言われて初めて気付いたという風に、スィスタはパカリと口を開いた。

「なるほど……盲点だった」

「……だから、もし君が望むなら」

 ヨハンソンは組んだ手で口元を隠し、早口で言った。

「雪椿が目覚めるまで君を停止させておくことも出来るよ?」

 スィスタはヨハンソンを見つめ返した。しばらくそのまま固まって考えていたが、やがて首を横に振った。

「雪椿には、今より少し美しい世界に目覚めてほしいから」

「……そうか」

 ヨハンソンはフッと笑って、紙束を取り出した。No.315……スィスタの設計書だった。

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