第7章


「ヨハンソン」

「雪椿か? 早く逃げろって言っただろう?」

 地下ラボで作業を進めていたヨハンソンは、壊れたモニタの代替品の古いCRTモニタから目を離さずに返事をした。

「あと二分で軍事衛星にハッキングするよ。早く行くんだ」

「はい。でもその前に、ヨハンソンに渡しておきたい物があって。……忙しそうなので、ここに置いておきますね。それじゃあ」

 作業に没頭しているヨハンソンは、生返事をしただけで振り返らなかった。

 雪椿は懐から取り出した紙の束を、作業台の上にそっと置いた。このラボの隠し金庫の中にあった、表紙に『No.315』と書かれたあの紙束だ。スィスタのねじは懐に入れたまま、雪椿は地下ラボを出て、スィスタの待つ庭に戻った。

「……スィスタ」

 庭に佇む少年が、固い声に呼ばれて振り返る。雪椿の髪には、また紅い花――椿の花が挿してあった。一瞬前までは無かった。また不意に現れたようだ。雪椿がその花を髪から外して差し出した。

「スィスタ、私は貴方が側にいてくれるだけでよかったのですけど……そうもいかなくなりました」

 湿った風が雪椿の黒髪を揺らす。

「……攻撃目標を設定します。この庭を荒らす者全て、です」

「イエス、マイマスター」

 スィスタが左手で椿の花を受け取った。

 ――嵐が来そうだ。暗い空を見上げて、雪椿はそう思った。

「……スィスタ、私はいけない事をしようとしてますか?」

 空を見上げたまま呟く雪椿を、スィスタはじっと見つめる。スィスタはそのまましばらく止まり、ひょこっと首を傾げた。

「その質問の答えは検索出来ませんでした。質問をかえて下さい」

「……ですよね」

 雪椿はクスッと苦笑気味に微笑んだ。

「その台詞、昔よく遊んだ男の子も口癖みたいに言ってましたよ。歳の割にやけに賢すぎて、あんまり可愛げない子でしたけど」

「そうなんだ」

 スィスタの相槌は抑揚に欠けていたが、雪椿は気にならなかった。

「そんなだから友達もいなくて、いつもいじめられて一人で私の所に来て。まあ、私がいた場所って村の外れでほとんど人が来なかったから、私もその子とお話できて楽しかったんですけど!」

 えへへ、と笑って髪を押さえる雪椿は、本当に楽しそうだ。その髪に、また一輪椿の花が咲いた。

「この花が咲いた時に、綺麗だねって言いながらずっと見てたから一輪あげたんです。私が持ってる物なんてそれくらいしかないし」

「喜んだ?」

「はい。しかもその子、次の日どうしたと思います?」

 スィスタが『その質問の答えは~』をまた言う前に、雪椿が答えを明かした。

「なんと、お友達を連れて来たんですよ!」

「椿の花を、一緒に見に来てくれたんです。それで、皆で『ほんとに綺麗だねー』って笑ってました」

 雪椿は髪に挿してある椿を外し、スィスタが持っている椿にこつんと当てた。乾杯の仕種のようだ。

「感情を共有する事で人は仲良くなれるんだって、その子は世紀の大発見でもしたみたいに言ってました。うん、多分その通りなんだと思います」

 ヨハンソンがスィスタを『戦友』と呼ぶのも、美しい空を一緒に見て、感情を分かち合ったからだと言った。

「……でも、それでも仲良くなれない人達がいるのは、どうしてなんでしょうか?」

 風が強くなった。雪椿の手から椿の花がするりと逃げ、風にさらわれる。雪椿は大きく揺れる髪を押さえた。その髪には、また椿の花。スィスタはその花に空いている手を伸ばした。

「……それは、!」

 バラバラバラ、とプロペラ音が聞こえはじめた。軍用ヘリだ。

 スィスタは伸ばしかけていた手を引き、空を見上げる。雪椿にも聞こえはじめたようだ。

「その質問の答えは検索出来ませんでした。質問をかえて下さい」

「……ですよね」

 雪椿は椿の花に唇を寄せ、微笑んでみせた。

「だけど仲良くなれるのも、仲良くなれないのも、どちらも感情のせいなんですよね……」

 ヘリの音がどんどんと大きくなる。近付いてくるヘリを見ながら、雪椿はガラリと表情を変え、固い声で呟いた。

「向こうはどう来ますかね……」

「おそらく爆撃はしない。この邸には僕や他のアサツキシリーズのロボットに搭載する弾薬類がある。軍部もそれを知っている。ここは住宅地だ、周囲に被害が出るような大きな戦闘はない」

 そう言ったスィスタだったが、あ、と小さく呟いてから、雪椿を抱えて横っ跳びに転がった。それまで2人がいた場所に、ガガガッと銃弾がめりこんだ。

「ごめん、やっぱり撤回する」

 スィスタは特に焦りなどは感じていない様子で、茂みの陰からヘリを見上げた。

「向こうは本気だ。多少の犠牲は覚悟の上かもしれない」

 雪椿の表情が強張った。しかしそれは恐怖や戦慄からではなく、むしろ怒りと憎しみからきた感情表現だ。

(許さない……させない。あの人達があの村にした事……繰り返させはしない)

 ヘリを睨む雪椿の横顔を見て、スィスタは自分の目を疑う。

(今……一瞬雪椿の姿を見失った)

 雪椿の姿は他のモードでは感知出来ないので、光学モードで見失ったら終わりだ。ロボットであるスィスタに好奇心はない。だから雪椿の正体について追究はしない。だが、マスターである雪椿がいなくなってしまったら……困る。今度こそ存在意義を全て失ってしまう。


「よし、いけっ!」

 ヨハンソンは力を込めてEnterキーを押した。ピー、と音がして、モニタ上で五分間のカウントダウンが始まる。軍事衛星のハッキングが成功し、光学サーチが五分だけストップしたのだ。

 あとはあの二人が、この間に出来るだけ遠くまで逃げてくれる事を願うだけだ。ヨハンソンはひしゃげた椅子から立ち上がり、作業台の上の紙束に気付いた。そういえば、雪椿が何か言っていた気がする。手紙か何かだろうかと手にしたヨハンソンは、表紙の文字を見て目を剥いた。

「No.315……!?」

 スィスタの製造番号だ。ヨハンソンは慌ててページをめくり、ザッと走り読みする。ゴクリと喉が鳴った。

 この紙束は、マイスターが命を賭けて隠し通したはずの、門外不出の極秘資料。アサツキシリーズNo.315、『スィスタ』の設計書だった。

(何故雪椿がこれを……いや、待て! これがあれば……!)

 これがあればスィスタの壊れた腕と脚を元に戻せるし、戦闘用パーツを全て外して別用途のロボットに改造し直せる。

 戦闘用でないスィスタなら、軍から狙われる事もない。あの二人はこの邸で、静かに暮らせるはずだ。

 その時、外で破裂音がして、ヨハンソンはハッとした。軍が到着したらしい。

 ヨハンソンは隠し金庫に紙束をしまい、牽制用に弾切れの小銃を手に地下ラボを出た。


 ヘリは庭の真ん中、芝桜を全て踏み潰して降り立った。そこから降りて来たのは、武装した兵士が二人と前回と同じあの少佐。そしてもう一人。

「あの子も……軍人さんなんでしょうか?」

 雪椿は驚いた顔で最後にヘリを降りた人影を見つめた。八歳くらいの少女だった。雪椿やスィスタよりずっと幼い。フワフワとウェーブのかかった栗色の長い髪、蒼い瞳。表情だけが、凍りついたように無表情だった。

 雪椿は、その少女とよく似た印象を持つ者をよく知っている。すぐ隣にいる、スィスタだ。

「スィスタ、もしかしてあの子はあなたと同じ……」

 スィスタはコクリと頷く。

「アサツキシリーズのロボット……僕のきょうだい。製造番号はNo.155。世代的には僕の二世代前になる」

 雪椿は顔を歪めた。雪椿はスィスタに、兄弟同士で戦えと命令したのだ。

 ――それでももう、後には退けない。

「雪椿。君は安全な場所に……」

「いいえ、スィスタ。私、側で見ていますから」

 言葉を遮られ、スィスタが困った顔で雪椿を見つめてくる。雪椿も、一歩も退かないという目でスィスタを見返した。

「私はあなたに酷い事を命令しました。自分がした事は最後まで見届けますよ……目を逸らさずに。私が消える刻まで」

 ふ、と微笑む雪椿は、スィスタがハッとするほど美しい。が、スィスタの口から出たのは、いつもの『美しいなあ』という言葉ではなく。

「消えないで」

 懇願にさえ聞こえるその響きに、雪椿はぱちくりと瞬いた。その言葉は、今までのスィスタの言葉の中で一番感情が篭っているように聞こえた。

 スィスタはそのまま言い募る。

「雪椿が消えてしまったら、僕は『ずっと雪椿の側にいる』というマスター命令が遂行出来なくなる。だから、消えないで」

「スィスタ……」

 雪椿はふわりと微笑んで、嬉しそうに頷いた。だがその次の瞬間に、戦いは始まってしまった。

 ぐるん、と首を回したNo.155がスィスタの姿を見つけ、推進ブースターで文字通り飛んでくる。スィスタは咄嗟に雪椿を突き飛ばし、自身も戦闘モードに移行した。

 声と表情を捨て動く兵器と化したスィスタは、茂みを回り込みNo.155の横に出る。そして素早く照準を合わせ、指先のレーザー兵器を発射させた。

「!」

 しかし両手から発射させたはずのレーザー光は右手からしか出ず、狙いがわずかに逸れる。No.155の推進は止まりはしたが、ダメージはほぼゼロだ。

 そこで初めてスィスタは、自分が戦闘モードでフル稼動する為の戦闘用パーツを付けていない事を認識した。右手と左脚は、ヨハンソンが付け替えた戦闘用パーツだが、その他のパーツは生活用パーツだ。スィスタがフルスペックなら旧式のNo.155は敵ではない。だが今は五分か……あるいはそれ以下だった。


 注意深く様子を探りながら邸の外へ出たヨハンソンは、目を見張った。そこでは人知を超えた戦いが繰り広げられていたのだ。

 人間ではありえない動きで、人間では為しえない攻撃を、人間では考えられない速さで応酬する少年と少女。二人は顔をしかめる事もなく、眉ひとつ動かさずに戦っていた。

(あれは……No.155?)

 宙になびく栗色の髪と小さな体躯に、ヨハンソンは心当たりがあった。以前解体整備をした事がある、アサツキシリーズのロボットだ。スィスタ以前のロボットは、その設計書やねじを軍部が所有している。だからNo.155は、マイスター・アサツキが亡くなっても止まりはしない。

 ……少なくとも軍部ではそう思われていた。

(どうしてマスター不在のはずのスィスタが戦ってるんだ……?)

 マスター設定から軍部が外され、戦闘命令のない今、スィスタは戦えないはず。新しいマスターが近くにいるのだろうか。そんなヨハンソンの疑念は、戦場に凛と立つ紅い着物の少女を見て綺麗に瓦解した。

 軍部の連中ですら遠巻きに、ヘリの陰に隠れるようにして見ているしかない人外の戦いを、爆風や火花が届く距離で見守る小さな影。気付いてしまえば、今まで思い当たらなかったのが不思議にさえ感じる。

 ――スィスタのマスターは雪椿だと、ヨハンソンは確信した。

 ヨハンソンはヘリの側にかつての上官を見つけ、声を張り上げた。

「少佐! No.155を止めて下さい!」

 ロボット達の戦いを腕組みしながら観戦していた少佐は、その声に驚いた風もなくゆるゆると視線を動かした。

「おや、元伍長。やはり君は優秀な技官だな。あれだけ壊したのに、フルスペックのNo.155と互角に戦っている」

 台詞に似合わぬ無表情でそう言った少佐を、ヨハンソンはキッと睨む。しかしすぐにふっと視線を逸らし、切なげに嘆息した。

「それは買い被りです。俺にはスィスタ……No.315は直せませんでした」

 ヨハンソンはどこか暗さを感じさせる目で少佐を見る。

「それでもあの二体が互角に見えるのは、No.155がエネルギー不足だからですよ」

「……何を言う? ねじは毎回巻いているが」

「アサツキシリーズのロボット達の動力は、厳密に言うとねじまき式ではありません。もうワンステップ必要なんです」

 少佐は怜悧な目元を冷徹に細め、ヨハンソンを見下ろした。

 ヨハンソンの方が身長は高いので実際は見下ろしているのはこちらなのだが、ヨハンソンは見下ろされたと感じた。

「いつから知っていた?」

「まだ軍属の頃、No.155を解体整備した時です……と言ったら?」

「報告義務違反だな」

「そりゃどうもすみません」

 慇懃無礼な謝罪に、流石の少佐も一瞬眉を動かした。

「どんな叱責も受けます。軍事法廷にも出ろと言われれば出頭します。だからとにかく、No.155を止めて下さい」

 ヨハンソンの余りに真剣な目に、少佐は唇をへの字に歪めた。限りなく一の字に近いへの字だったが。

「止める理由がない。我々は目的があってここにいる。No.315を軍部の指揮系統に戻させる――不可能なら完全に破壊する。ある程度戦果がなければ、退却も出来ん」

 予想通りの答えとはいえ、ヨハンソンは盛大に舌打ちしたい気分だった。

 出来る事ならば、軍部にアサツキシリーズの動力確保の仕組みを教えたくはなかった。No.155を解体整備した時に知った、と言ったが、実際に確信したのはついさっき、スィスタの設計書を見た時だ。軍部にいた時に確信を得ていたら、自分は恐らく迷わずに上層部に報告したと思う。特に、あの作戦の前なら。

 スィスタが『美しい』と感じる心を持っているように、No.155もひとつだけ感情を持っている。

 それは『面白い』と感じる心。

『腹を抱えて笑い転げる』という行動パターンを持つロボットを、ヨハンソンはNo.155以外に見た事がない。だが目の前の、ロボットよりもロボットじみた上官は、No.155のその行動を見た事もないのだろう。『兵器』を笑わせるなど思いもつかないだろう。

「……このままではNo.155は負けますよ。それもエネルギー切れで」

 ヨハンソンの断言口調は、少佐の癇に障ったらしい。明らかに不機嫌な声で「何故だ?」と尋ねた。

「アサツキシリーズのロボットは、外部から受けた刺激を情動として蓄積し、ねじを巻く事でエネルギーに変換するんです」

 言っても少佐は無反応だったので、ヨハンソンは分かりやすく言い直した。

「『心』を動かす事が、エネルギーになるんです。No.155なら、笑う事がそのままエネルギーになる」

「笑いが?」

 少佐の口調は、不信というより冷笑に近かった。全く信じていない。むしろバカにするなといったところか。少佐の気持ちはよく分かる。ヨハンソンだって信じるまでに少し時間がかかった。

 だがすぐに、信じざるを得ない出来事が起こった。

「少佐! No.155が……」

 軍人の一人が鋭く叫び、少佐はずっと視界の端に映していたロボット二体に意識を戻す。

 No.315の攻撃はそれほど当たってはいなかった。少なくとも機能停止するような深刻な損傷はない。だが今、膝を折っているのはフル充電だったはずのNo.155の方だった。

「バッテリー残量1.1%。戦闘モード維持出来ません。通常モードに移行。あと三分で機能停止します」

 No.155の声が薄れゆく土煙の中で静かに響いていた。

 スィスタが軍部の命令に応答しなくなってから、軍部は穴埋めのように他のロボットを酷使してきた。その分エネルギー消費が早くなったのだ。

「アサツキシリーズのロボット達が定期的にこのマイスター邸に戻るのは、メンテナンスとかオーバーホール以前に、エネルギー充填の為だったんです。軍部の人間には恐らく、この充填方法は理解できない」

 少佐はその言葉を聞きながら、凍るような瞳でヨハンソンを睨んでいた。

 ヨハンソンはスィスタの隣に寄り添うように立つ雪椿を見やった。膝をついたまま動かないNo.155を、スィスタと一緒に見下ろしている。

「No.315は俺が責任をもって、非戦闘用に改造します。目処が立ちましたから……彼女のお陰で」

「彼女? No.155の事か?」

 少佐が怪訝そうにヨハンソンの視線を追う。だが、彼女の瞳には二体のロボットしか映っていない。

「違いますよ。いるじゃないですか、ほら……紅い着物の」

 ヨハンソンは笑いながらスィスタ達の方へ歩いて行く。が、その歩みはピタリと停められた。

「動くなヨハンソン」

 少佐の一声で、軍人達が揃ってヨハンソンに銃口を向けた。ヨハンソンは生唾を飲み込み、ゆっくりと両手を上げる。

「今のお前は一般人だ。No.155に近付くな」

「まだ戦う気ですか……!」

「いや? これで終わらせる気だ」

 そう言った少佐の手には、何かのスイッチが握られていた。ヨハンソンは一気に青ざめた。

「それは……起爆スイッチ、ですか」

「流石元技官だけの事はある。慧眼だ」

 少佐は称賛の色など全く見えない淡々とした声で肯定した。

 スィスタの前に膝を折ったNo.155。まさか。まさか彼女の中に。

 No.155と自分とを見比べる元部下に、少佐は微笑んでみせた。

「一般人を巻き込む事は、出来れば避けたい。近寄ると吹き飛ばされるぞ」

 滅多に見られない微笑。それを見たヨハンソンは、自分に向く銃口を全て無視して、走り出した。

「忠告はしたぞ」

少佐の呆れたような呟きが背中に届いたが、それも無視した。

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