第4章
翌朝、雪椿の前に立ったスィスタは、一通の手紙を持っていた。
「お便りですか? 誰からの……、!」
封筒の表書きを見て、雪椿は青ざめた。白い封筒に宛名も住所もなくただ一言『遺書』とだけ書かれたそれを、スィスタは途方に暮れたような顔でじっと見つめていた。
「マイスターからだよ」
「……読んだのですか」
「……うん。雪椿も読む?」
スィスタから封筒を受け取る手が震えた。やっとのことで封筒から便箋を取り出すと、やや癖字の手書きの文字が並んでいた。
『親愛なるスィスタ
お前を置いていく事を許してほしい。
このまま軍部の連中に使われ続けるくらいなら、とお前を破壊する事も考えたのだが、私にはどうしてもできなかった。
せめてもの抵抗として、マスター設定を軍部から変更しておいた。
私が死んだ後、軍部から命令がきても出撃する必要はない。
お前の今のマスターが誰なのかは、自分で探しなさい。ヒントはお前のすぐ近くだ。
私はお前を作った事を後悔していない。
ただ、お前を兵器としてでなく、もっと別の形で生んでやりたかった。
もし次があったら、そしてお前が許すなら、またお前のマイスターになりたい。
その時は、庭師ロボットにでもしてやるからな。
Farewell,Mylove.』
雪椿は便箋を持つ手がすうっと冷えていくのを感じた。入ってきた情報と、そこから導かれた思考とが入り混じって、頭が混乱している。それでも一番初めに聞かなければならない事は決まっていた。
「スィスタ……マイスターは? マイスター・アサツキは今……」
震える声で尋ねた雪椿を、感情の見えない碧の目でまっすぐ見返しながら、スィスタは答えた。
「研究室のPCの前に。……生命活動は既に停止していた」
雪椿はその言葉の意味を理解した途端に、地面にへたりこんだ。漆黒の瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
それを見て、思わずスィスタは呟いた。
「美しいなぁ……」
それを聞いた雪椿は、ガバッと顔を上げ、スィスタを睨みつけた。
「何故そんな事を言っていられるのですか!」
「!」
スィスタが一歩後ずさる。
「貴方の大切な方が……亡くなったんですよ? 悲しいとか、つらいとか……!」
雪椿の叫ぶような弾劾の声に、スィスタは少しだけ俯く事で彼女から目を逸らした。
「ごめんね、思えないんだ」
「え?」
「『悲しい』『つらい』といった感情は、僕にはインプットされていない。僕が持っているのは『美しい』と感じる心だけだから」
感情のこもらないその声がかえって悲しげで、雪椿の涙はますます止まらなくなった。
マイスターの遺言の内容から、雪椿はある恐ろしい仮定にたどりついていた。
スィスタの前のマスターは軍部だったらしい。そしてスィスタはマスターの命令で雪椿がいたあの村に来ていた。
つまり、あの村を攻撃し、壊滅させたのは――?
……だが彼女は、その考えを見て見ぬ振りで心の片隅に追いやった。まさかそんなはずはないという気持ちと、そうであってほしくないと思う気持ちが、真実を求める心に勝った。
「取り乱しました、すみません」
ようやく泣き止んだものの、雪椿の目は赤く腫れ、ぐずぐずと鼻を鳴らしていた。
そんな雪椿を、スィスタは何か問いたげにじっと見つめていたが、結局何も言わずに一度瞬きをしただけだった。
「しかし……マイスターが亡くなってしまってスィスタは大丈夫なのですか? あ、精神的な事ではなくて……何と言うんでしょう、身体的な事で?」
言葉を探しながら尋ねる雪椿の問いに、スィスタは数瞬黙ってから、コクリと頷いた。
「メンテナンスやオーバーホールの事を言っているのなら問題はない。エネルギー充填も幸い昨日済ませたばかりだから、通常運転モードならば半月はもつ。その間に新しいマスターを探せばいいんだ」
そうですか、と頷いた雪椿は、とりあえずマイスターをきちんと葬る事を提案した。
マイスターには親交のある人物がほとんどいなかった。スィスタは幾つかのまともな方法やまともでない方法を使って、マイスターの葬式を出してもらうよう手配した。
スィスタ以外に参列者はいない。スィスタはたった一人で棺を墓地まで運び、たった一人で神父の祈りを聞いた。
墓地から邸に戻ると、雪椿が出迎えてくれた。
「これから……どうなさるんですか?」
「……そうだね。とりあえず……」
スィスタは邸の庭を眺める。この庭に絶妙に配置された木々と草花の世話は、マイスターがやっていた。天気のいい昼間は、一通り世話をしてから庭の真ん中の椅子に座って日向ぼっこするのが好きだったようだ。
「とりあえず、庭師のまね事でもやってみようかと思う。マイスターは僕を庭師ロボットにしたかったようだし」
「そうですね。いいと思います」
雪椿は苦笑気味にクスッと笑って頷いた。スィスタがこのままずっと、庭師のまね事をしていられたらいいのだけれど。雪椿は反語的にそんなことを考えた。
マイスターの『もし次があるなら庭師ロボットにでもしてやる』という遺言は、スィスタは少なくとも今現在は庭師ロボットではないという事を表している。ならば、スィスタは何の為のロボットか?
薄々感づいているその答えを、スィスタから直接聞く勇気はまだない。
マイスターの最期の祈りが通じたのか、幸運にも軍部からの出撃命令はしばらくなかった。
「あーあー、ダメですスィスタ!」
雪椿が慌ててスィスタの手からじょうろを取り上げた。
「この花にはじょうろじゃなくて、霧吹きを使って水を遣るんです! ざぶざぶにしたら根が腐っちゃいますよ!」
「あ……そうか」
『庭師のまね事』をしているはずのスィスタだったが、庭師には程遠い手腕だった。
仕方ないといえば仕方ないのだ。スィスタは植物に関する知識はほとんどないし、花びら一枚を摘むとか葉の一部をちぎるといった繊細な作業が出来るような構造もない。
それでも雪椿に叱られながら、無骨な手を土に汚し、不器用なりに懸命に世話をしている。
「雪椿は詳しいね。庭師だったの?」
「まさか。……でも庭師のお知り合いはいましたよ。よくお世話になったものです」
「そうか」
「はい」
人間と違って好奇心を持たないスィスタと、望まぬ答えを恐れて立ち入った質問をしない雪椿。
この邸は、2人だけの楽園に似た世界ではあった。花が咲き、緑は萌え、鳥が歌い、光が注ぐ。平和で、のどかで、あたたかな。
それがどんなに脆いもので、ここから一歩出た世界がどんなものであるか、2人は嫌というほど知っている。
だからこそ、ここから出たいとも思わなかった。
スィスタが庭師のまね事をしているうちに冬も真っ盛りになり、寒い日が続く。とは言えこの土地は、雪椿が元いた村よりは大分暖かいのだが。
「今日は日が出そうもありませんね」
「うん。気温も上がらないようだから、水遣りはやめておく」
どんより曇った空を見上げるスィスタの目の奥あたりが、キュル、と妙な音を立てた。雪椿はびっくりして、隣に立つスィスタを見上げる。
「……何ですか今の音?」
「気象衛星から情報を受信した音」
「初めて聞きましたよ?」
「…………」
スィスタは困ったようにちょこんと首を傾げた。
「そろそろエネルギーが切れそうなんだ」
「え」
「今まではもっと高速受信していたから、不可聴音しか出ていなかったのだけど……今日からエネルギー節約の為に機能制限をかけた。低速受信に切り替わったので音も変わったみたいだ」
雪椿は愕然とした。マイスターの葬式の日に、エネルギーがもつのは半月程だと聞いていたのに、今の今まで忘れていた自分を叱りたい気持ちだった。
「エ、エネルギーが切れたらどうなるんですか?」
「エネルギー残量が一桁を切ると、活動限界に達する」
「要するに?」
「僕が停止する」
(随分とまあ簡単に言ってくれる……!)
くら、と軽く目眩を覚えて、雪椿はこめかみを押さえた。
「あの……その『エネルギー充填』は、私でも出来るようなことですか?」
スィスタは雪椿の問いにしばらく動きを止めた。『考え中』の時のスィスタの基本スタイルだと分かっていても、エネルギーが切れそうだと聞いた今ではハラハラしてしまう。その上、機能制限の影響なのか普段より沈黙が長い。ようやくスィスタが口を開いたので、雪椿はホッとした。
「技術が必要な事ではないし、作業的には問題はない。けれど……」
スィスタはじっと雪椿の足元を見た。この邸に来てから今まで、雪椿は初めてスィスタに降ろされた庭からただの一歩も出ていないのだ。邸の中に足を踏み入れたことすらない。
「充電用のアダプタは、僕自身では持ち出せない。邸の地下のラボにある」
「邸の中……それも地下室、ですか」
雪椿は考え事をするように、口元に拳を当ててう~んと唸っている。
好奇心を持たないスィスタは、今この時初めて、雪椿に質問をするチャンスを得た。雪椿が充電をしてくれなければスィスタは機能停止してしまう。「自己防衛」はマスター命令に次ぐ優先事項だ、それに繋がる事ならば、情報収集という名の質問が出来る。
「……雪椿はそこを動く事は可能なのか? 君がそこを動いた所を僕は見た事がない」
スィスタの無感情な声に雪椿はゆっくりと顔を上げた。
(?)
スィスタは受像システムを自己点検した。人間ならば『我が目を疑う』というやつだ。
一瞬前まで雪椿の髪は、スィスタが切った時からほんの少し伸びただけのおかっぱだった。艶のある漆黒の髪に飾り気はなかったが、それだけで十分存在感のある美しい髪だ。だが、顔を上げた雪椿の髪には、たった今咲いたかのように花が一輪挿してあった。
その花は、雪椿と同じ名を持つ花だった。あでやかな紅の花びら。鮮やかな黄色の花糸。つややかな緑の葉が一枚ついている。
(椿だ)
スィスタはその色の組み合わせに、よく見覚えがあった。雪椿の着物の色だ。
赤い着物に黄色の帯、緑の帯揚げと帯締め。よく見れば紋様として大きく描かれているのも椿の花だ。
「……それは手品?」
雪椿の髪の椿を指して、スィスタが問う。雪椿は珍しくニコリともせず、真面目な顔で椿の花を髪から外し、スィスタに差し出した。スィスタは戸惑うようにその花をじっと見下ろし、固まった。
「これを貴方が持っていて下さるなら、私は貴方の行くところならどこへでも行けるようになります」
スィスタはある可能性に思い当たり、機能制限を無視してガバッと顔を上げた。
「地下のラボも?」
「はい、勿論」
雪椿はニッコリと微笑んでいた。
雪椿は地下のラボの有様に目を見張った。
「これ……どうしたんですか」
スィスタに続いて足を踏み入れた地下のラボは、ものすごい荒れ様だった。
履物を履いたまま上がる、欧米式の邸でよかったと思う。泥棒でも入ったか、はたまた台風でも通過したのかと疑うほどの散らかり具合だ。椅子や棚は倒れ、引き出しの中身がぶちまけられ、大きなモニタは目茶苦茶に壊れて破片が床に散乱している。
「あの……この部屋はいつもこんな……?」
恐る恐る雪椿が尋ねると、スィスタはゆっくりと首を横に振る。
「マイスターは綺麗好きだったので、普段はもっと片付いていた。何かおかしい……少し調べてみていいかな?」
どうぞ、と雪椿が頷くと、スィスタは部屋の中央に立ち、スキャンを始めた。普段の、人間と見紛うような滑らかな動きと静かさは、今は微塵もない。カクンカクンとぎこちない動きで首を回転させるスィスタ。何の駆動音か分からないが、『ウィーン』とか『カタカタカタ』とか、いかにもメカニカルな音が響く。
しかし、部屋の半分をスキャンした所でスィスタの動きは止まった。あれだけにぎやかだった音も、『ヒューン』といったきり沈黙した。
「……まずい」
「え?」
「バッテリー残量1.1%。あと三分で機能停止します」
「……ええええっ!」
雪椿は慌ててスィスタに取り縋った。
「ど、どうすればいいんですか?」
スィスタは雪椿に揺さぶられるがまま、もう唇すら動かさずに簡潔な言葉を音声だけで伝える。
「一番左の戸棚の奥、隠し扉の中に金庫がある。鍵は厳重、引き出しの中の鍵で開けて。その中のアダプタを背中のコネクタに繋い、で……」
言葉の途中で、ピー、という高い電子音が響いた。言葉が途切れ、スィスタは完全に沈黙する。
ついにエネルギーが切れたようだ。
「ま、まだ三分経ってないじゃないですかぁ……!」
雪椿は真っ青な顔をして、半泣きのような声音でスィスタに恨み言を言った。それでもスィスタは動かない。ちょこんと首を傾げて「ごめんね」と言う事すらできないのだ。
とにかく、早くエネルギーを充填してやらなくては。
雪椿はスィスタが最後に言っていた言葉を思いだし、開け放されたままの戸棚の奥を覗き込んだ。確かに奥の板が部分的に色の違う所がある。そっと押してみると、ガコンと板が外れ、重厚な耐火防爆金庫が現れた。
「……ほ、ほんとに厳重……!」
扉についた鍵の数を数えて、雪椿は感嘆の溜息をつく。金庫には七つの鍵がかけられていた。その鍵は床で見つかった。引き出しの中身は全てぶちまけられていたからだ。
まず散らかった床から七つもの鍵を探し出すのに一苦労し、さらにそれぞれの鍵がどの鍵穴にはまるのかを確かめるのに一苦労。雪椿が金庫を開けられたのは、スィスタが機能停止してから一時間ほど経った頃だった。
「開いた……!」
雪椿は安堵のあまり軽く涙ぐんだ。もう何度、開けられないんじゃないかと思った事か。これでスィスタをまた動かしてやれる。
金庫の中には、金属製の鍵のような部品と、紐で綴じられた分厚い紙の束が一冊。何かコンセントとかプラグ付きコードのような物を想像していた雪椿は、鍵のような物をつまみ上げて首を傾げた。
紙束の方は、表紙に手書きの文字で「No.315」と書いてある。
(何かのメモかしら)
ページをめくろうとしたその時、地下室の入口でガタンと物音がした。
雪椿は驚いて文字通り跳ね上がった。今この邸には、自分とスィスタしかいないはずだ。もし誰かが訪ねてきたのだとしても、地下室にまで来るだろうか。それも、複数の人間の話し声がする。
雪椿は何となく嫌な予感がして、とっさに隠し金庫のある戸棚に隠れた。扉の前で足音は一旦止まり、少し間を置いた後、侵入者はバァンと扉を蹴り開けた。
ドカドカと入ってきたのは、銃器を携えた軍人達だった。侵入者達は、部屋に入ってくるなり一斉にスィスタに小銃を向けた。
「待て」
一番後ろから二人の軍人を従えて入ってきたのは、上官らしき女性軍人だ。
「少佐、目標は沈黙しています」
「エネルギー切れだろう。マイスター・アサツキのロボットは、全てねじまき式駆動のはず。この部屋のどこかにねじまき用のアタッチメントがあるはずだ。探せ」
「ですが少佐、この部屋は既に捜索が終わって……」
スィスタから銃口を逸らしながら、軍人の一人がそう言いかけた。しかし少佐にジロリと一瞥されて言葉を飲み込む。
「探せ」
そのたった一言で、彼女よりずっと図体のでかい軍人達がビシッと敬礼を返し捜索を始めた。
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