第3章


 マイスター・アサツキは、スィスタのメモリーから吸い出したデータを見て愕然としていた。スィスタがいつものように滅ぼした村の緯度と経度。衛星地図と照らし合わせたそれは、マイスターの育った村を示していた。


 まだ若い――幼いとも言える頃に飛び出した村。今となっては記憶も色あせ、薄れかけてしまった。

 だがそれでも、幾つかの記憶は残っている。牧歌的で、退屈なほど平和な村だった。村の外れには泉があり、その周りが子供だった自分達の遊び場だった。そのほとりには、生まれ故郷の国から苗を持ち込み移植した樹が、つやつやとした葉を繁らせる。

 当時のマイスターには、自分の才能を活かす場所としては、あの村は余りにもお粗末に見えた。だがその村が、どれだけ大切でかけがえのない場所だったのか――それに気付いた時にはもう、マイスターは引き返せない所まで来てしまっていた。

 亡命先のこの国の軍部に、深く関わりすぎたのだ。


 あの村にはまだ、弟夫婦とその子供達が暮らしていたはずだ。育った家も、父母の墓も、あの泉のほとりの樹も。

(全て……失くなってしまった?)

 マイスターはぺたりと床にくずおれた。

 その時部屋中に入電を表す電子音が鳴り響いた。軍の秘密回線だ。

「マイスター・アサツキ。No.315は帰還したか」

 電話の向こう……一佐だか三佐だか忘れたが、マイスターはこの女性佐官が苦手だった。

 三十代の半ばだろうか、金髪を後ろにきっちり引っ詰めにした美女で、抑揚のない事務的で淡々とした口調を崩さない。人間のはずなのに、余りに無感情で無機的に感じられる。

 マイスターの情動パターンを初期値として持ち、更に自己学習で感情を増やしているスィスタよりも、画面に映る造作の整った美人の方が余程ロボットらしく見えた。

「ええ、スィスタならついさっき帰宅しましたよ。何か?」

 マイスターは先程受けた衝撃も彼女への嫌悪も見事に包み隠して、穏やかな笑みを口許に刻んで見せた。

「その様子では、No.315の運転ログはまだ確認していないようだな」

 女性はマイスターとは逆の、酷薄そうな笑みに唇をしならせた。マイスターは微かにピクリと眉を跳ね上げたが、恐らく画面越しでは気付かないだろう。

「それが、どうやらログの保存領域の調子が悪いようで……手こずってますよ。もしかしたらデータを拾えないかも知れませんなあ」

 マイスターはあえて嘘をついた。この言葉を聞いた女性の反応を見るつもりだったのだが、やはり彼女の表情は動かない。ポーカーフェイスならば彼女の方が一枚上手だった。

「簡潔に言おう、マイスター・アサツキ。スィスタが焼いたのは貴方の故郷の村だ」

 マイスターは今度こそハッキリと眉をしかめた。喉の奥から絞り出すように、唸り声にも似た短い言葉を吐く。

「……何故だ?」

「何故? 心当たりはあるのではないかな」

 頬に指を添えて淡く微笑む佐官を、マイスターはギッと睨みつけた。

「スィスタ達の技術公開の件か?」

 佐官は良く出来ました、と呟いた。

 マイスターはもう何年も前から、戦闘用ロボットの設計書について軍ともめていた。技術を得て大量生産し戦場に投入したい軍と、それを阻止したいマイスターの間で、会談がまとまるはずもない。一度など軍法会議にまでかけられた。

 それでも設計書の公開も譲渡も売却も断固として断り続けるマイスターに、軍がとうとうしびれを切らしたということか。

 マイスターは小さな吐息に髭を揺らす。細く長く息をついて、怒りを鎮めた。

「さて、そろそろロボットの設計書を我が軍に譲り渡す気になったかな」

 そう言った佐官にマイスターは、自分でも驚くほどの冷たい声で返した。

「本気で言っているのか? 故郷を焼いてくれてありがとう、御礼に私の大事な物をあげよう……私がそんな事を言うとでも?」

「よく言う。貴方が捨てた村だろうに。……まあ、色々と確認したい事や考えたい事もあるだろう。今日の所は返事は結構だ」

 佐官は酷薄な笑みも消した全くの無表情で言う。

「色良い返事を期待している。でないと次は、貴方のロボットが自分のドックを焼かねばならなくなるな」

 従わなければ次の標的はこの邸だと、佐官はそう言外に匂わせた。


 通信が終了し画面がブラックアウトすると同時に、マイスターは作業用PCのキーボードに拳をたたきつけた。

 はずみでビー、と短いビープ音がして、ある映像が再生される。それは、スィスタのメモリー領域から吸い出した録画映像だった。画面に映し出される映像を、マイスターは呆然と見つめた。

 最初の出動は、東南アジアのある島だ。その次は東欧の小国。中東国境付近の村。南米の小さな島。アフリカの独立国家……。最後に映ったのは、紛れも無い自分の故郷だった。

 皮肉にも、瓦礫と骸の山となった故郷の映像が、色褪せていた想い出を蘇らせた。

マイスターは言葉にならない叫び声をあげながら、モニタに向かって椅子を投げつけた。派手な破壊音を響かせてモニタが壊れ、画面は消えた。

 分かっている。スィスタが今まで壊滅させてきたどの村も、誰かの住む場所で誰かの生まれ故郷だった。

 ――その順番が今、自分に回ってきただけの事だ。


「うん、綺麗になったと思う」

「ありがとうございます」

 スィスタが雪椿の髪を整え終えた時には、もう日は落ちていた。相変わらずサーモモードでは認識できないので、暗視モードで乗り切った。

 そういえば雪椿が何者なのかは未だに答えが出ていない。そろそろマイスターがメモリーデータを分析整理し終えた頃だろう。マイスターにはこの少女の正体が分かっただろうか。

 日没後急速に気温が下がったはずの庭で、雪椿は短くなった髪を風に揺らしながら平然としていた。スィスタが破壊した、雪椿が元いた村よりは若干温暖とはいえ、ここだって常人ならば凍える程には寒いはずなのだが。

「この土地は少し、故郷の村を思い出します……」

 何かを懐かしむような柔らかい瞳をして、雪椿が呟いた。

「あの村に来る前にいた村です。すごくすごく離れた、海も渡った村でした」

「……ひょっとしてそこはJapan?」

「はい。よく分かりましたね」

「その服は、Japanの民族衣装だと記憶してる」

 スィスタは雪椿の纏っている衣服に焦点を合わせた。赤い地に紅の大きな花の紋が入った、東洋の島国日本の民族衣装。スィスタのデータベース検索では『振袖』という単語がヒットした。漆黒の髪と瞳に、その赤と紅とはよく映える。

「もう暗いし寒いですから、中に入って下さい」

 にこ、と笑ってそう言った雪椿は、当然自分は中へ入らないという口調だった。スィスタが彼女をあの村で見つけた時も、雪椿は外にいた。あの至る所に絡み付いた髪を思えば、ずっと外で暮らしていたのだろう。

 スィスタはそう結論づけて、雪椿に中へ入るよう誘う事はしなかった。

「分かった。おやすみ、雪椿」

「はい、お休みなさいスィスタ。また明日」

 ひらっと手を振った雪椿は、この庭に降り立ってから一歩も動いていなかった。


 雪椿は凍える夜の空に輝く、無数の星を見上げていた。今までも夜の間は星を見て、昼の間は人を見て過ごしていた。

(あの村とは違う星が出てる……)

 砂をまいたような満天の星空であることは変わらないが、緯度が違うと見える星も変わる。雪椿が見知った星々とは配置が違った。

 ひとりになると途端に、自分があの村でたったひとり生き残ったのだという事実が雪椿の胸をぐさぐさと刺す。満天の星空が、涙で一気ににじんで見えなくなった。

 声も出さずに雪椿は涙を落とす。目が赤くなる事すらなさそうな、余りに静かな泣き方だった。


『自分がここにいる意味』を考え始めたのはいつだっただろう。我ながら、なかなか数奇な運命を辿ってきたとは思う。海を2度も越えて、土地を移った。

 雪椿は思い当たる。恐らく初めての旅のあと、あの村に腰を落ち着けた時だ。

 あの時『自分がここにいる意味』を初めて感じた。彼のために自分はここへ来たのだと、そう信じられる相手がいた。

 彼は確か『ヨシュア』と呼ばれていたと思う。七つかそこらの小さな少年だった。彼も移民らしかった。

 嬉しいことがあった時、泣きたいことがあった時、どんな時でもヨシュアは一人、雪椿の所へやってきた。異国の土に慣れる事で精一杯だった自分に、人を見る余裕を与えてくれたのは彼だ。

 ヨシュアとの交流はとても楽しいものだった。今なら分かるが、彼は一般的な子供とは大分掛け離れていた。ただでさえ、他の村人と外見が違う事で周囲から浮いていただろうに、その性格と性質とがますます彼を孤立させていた。

(……そういえば)

 昼間のスィスタとの会話がどこか懐かしいものに思えたのは、ヨシュアとの会話に似ていたからだ。噛み合っているようないないような、不思議で愉快な。

 そのヨシュアも、やがて会いには来なくなった。


 ぽろぽろと涙を零していた雪椿だったが、物音がして慌てて振り返った。

「やあ、見事な星だ」

 邸の扉を開けて出てきたのは、マイスター・アサツキだ。雪椿は着物の袖で涙を拭い、ぺこりと頭を下げる。

 マイスターは酒のボトルとグラスを二つ持ち、雪椿の前にすとんと腰を下ろした。グラスの片方を雪椿の前に、もう片方を自分の前に置き、とぷとぷと音をたてて酒を注ぐ。ボトルのラベルは、雪椿も久しく目にすることのなかった日本語。日本酒だ。

「……我らが故郷の冥福を祈って」

 そう言ったマイスターの声は、胸が詰まるほど悲しげに響く。

「私も……あの村にいたことがあるんだ。もうずっと前に出たきり、一度も戻っていないがね」

 マイスターは自分のグラスを持ち上げ、かちん、と雪椿のグラスにぶつけてから口をつけた。それきりマイスターは黙ったままちびちびとグラスを傾けていた。

「私の……」

 雪椿が不意に口を開いたマイスターを見ると、マイスターは片手で目元を覆って泣いていた。

「私の作った物が誰かの大切な物を壊していく……その光景を私は見届けなければならない。それがスィスタを作った私の責任で、スィスタへの詫びだ。それは分かっているのに」

 空のグラスが転がる。

「もう……逃げてもいいだろうか、私は」

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