第2章
「お帰り、スィスタ」
マイスター邸に帰還したスィスタを出迎えたのは、一人の老人だった。元は黒髪だったが白髪が混じってすっかり灰色になった髪と、同色の口ひげ、小さな丸い老眼鏡。穏やかな、だがどこか哀しそうな笑顔を浮かべていた。
スィスタが戦場から戻ると、老人は決まってこんな表情をする。彼がスィスタの創造主にしてこの邸の主人である「マイスター」だ。
スィスタは雪椿を両腕に抱えたまま、彼にペコリと頭を下げた。
「今日はどこの街に行って来たんだい? ……いや、メンテナンスでメモリスキャンすれば分かることだね」
スィスタ自身、自分が壊滅させた村の名前は知らない。マスターからの命令は緯度と経度で示される。マイスターは溜息に口ひげを震わせてから、気持ちを切り替えるようにニッと悪戯っぽく笑ってみせた。
「……それで、今日のお土産は何かな、スィスタ?」
スィスタは横抱きにしていた雪椿を地面に降ろした。数千キロメートルの距離を飛んだ後で、雪椿は少しふらついたがしっかりと地を踏み締める。
(今日からここが、私の生きる場所……)
土地神に挨拶をするように、少女は頭を垂れる。
「なんとまあ……これは驚いた」
マイスターは、老眼鏡越しに驚きの視線を向けた。
「生きたモノを持ち帰ったのは初めてだな、スィスタ。……まあ、まずはメンテナンスをしよう。会話モジュールを付けないと話もできん」
邸の中に向かうマイスターに続いて、スィスタも歩き出す。振り向くと、雪椿は追っては来なかった。
「私はここでお待ちしていますね」
にこやかに手を振る雪椿に軽く頷き、スィスタは扉を閉めた。
ぱたりと手を下ろした雪椿は、マイスターの顔を思い出していた。
(あの方、どこかでお会いした事があったかしら……)
見覚えがあったような気がしたが、思い出せなかった。
マイスターはスィスタの兵器・武器系のモジュールを取り外し、生活系モジュールと付け替えた。パチパチと碧の瞳を瞬いたスィスタは、ニッコリ笑って言う。
「ただいま、マイスター」
マイスターは2度目の『お帰り』を言って、メンテナンスを続けた。
生活系モジュールには、コミュニケーションをとるための機能が多い。スィスタのマスターであり、マイスターの雇い主である軍の連中は、スィスタのそういった機能を嫌う。戦場のスィスタは、声も出さず、表情も変えず、ただただ忠実に命令を遂行するだけの兵器だ。
この国に亡命した頃は、自分の作品はそれでいいと思っていた。だが、今はもう飽きた。戦争に飽きた。
それでもこの国は飽きもせず今日も、どこかの国を、どこかの街を攻めている。
「マイスター。メンテナンスが終了したら、雪椿の所へ行く許可を下さい」
スィスタの合成音声を聞いて、マイスターはハッと我に帰る。
「ああ……あれは雪椿というのか。あと2、3分でデータの吸い出しが終わるから、そしたら行っておいで。確かにいつまでもあのままほったらかしでは可哀相だ」
「ありがとうございます」
スィスタは外へ出て行こうとしたが、マイスターに呼び止められた。
「待ちなさいスィスタ。やっぱり先にネジを巻こう。途中で停まったら大変だ」
「了解しました」
スィスタはピタッと足を止め、マイスターのところまで戻ってきて背中を向けた。
スィスタの動力は、電気でも原子力でもなく、ネジ巻き式だ。ローテク過ぎて逆にハイテクと化したこの余りにもエコな動力は、マイスターの作るロボット全てに共通する。
本人は『遊び心』の一言で済ますが、お茶運びのからくり人形ならいざ知らず、これだけ多くのデバイスと複雑な構造を持つロボットがネジで動くなど常識では考えられない。だがその常識はずれの技術を構築し、国際特許を取り、唯一扱えるのがスィスタのマイスターなのだ。
マイスターは厳重な鍵が幾つもかかった金庫から、ネジ巻き用のアダプタを取り出す。スィスタの背中のコネクタに差し込み、ゆっくりとネジを巻き始めた。
スィスタを待っている間に、雪椿はウトウトと舟をこいだ。
――懐かしい夢を見ていた。
雪椿は元々、アジアの島国にいた。大きな庭のある邸で穏やかに過ごしていた。住み慣れた地を離れ、遠い遠い北の地へ行く事になった時も、大して不安はなかった。自分の順応性の高さには自信があったし、何より雪椿は一人ではなかったから。自分を愛し慈しんでくれる人達が一緒だったから。
「雪椿、雪椿」
名前を呼ばれて、雪椿は目を覚ました。寝ぼけたようにパチパチと瞬き、目の前の少年の姿を認める。
「あ、あれ……声?」
スィスタは声が出せないのだと思っていた雪椿は、スィスタの涼やかな声を聞いてキョトンとした顔で呟いた。
「済まない、あの時は会話用のモジュールを外していたから何の説明もできなかった。君とようやく会話が出来る事を僕は嬉しく思う」
少々堅苦しい語り口の少年は、自分の胸に手を当てて、微笑みを浮かべる。
「僕は、マイスター・アサツキの315番目のロボット。マイスターは僕を『スィスタ』と呼ぶ」
(『スィスタ』……?)
雪椿の知る言語……雪椿がさっきまでいた国の言語では、それは『終わり』を意味する言葉だ。この国で使われる言語では、その音はどんな意味を持っているのだろう。
「……雪椿は余り驚かないな。多くの人間は僕がロボットだと知ると驚く。雪椿はあらかじめ知っていた?」
雪椿は短い沈黙の後、キョトンとした顔で首を振った。
「え……あれ? 冗談ではないんですか?」
スィスタの自己紹介を、冗談だと思っていたらしい。
「冗談ではなく真実」
「あらー……そうなんですか。すごいですねえ」
目を丸くしてコクコク頷く雪椿はやはり驚いているようには見えないが、東洋人の表情は振り幅が狭いからかもしれない。あるいは、雪椿が普通の人間と違うせいか。
あれからスィスタは何度も、雪椿の存在を認識しようと試みているのだが、やはりどうしても、光学モードの受像でしか認識できないのだ。心音も体温もない。そんな人間がいるだろうか。
答えは否。少なくともスィスタのAIは、それを人間とは認識しない。
「ひとつ、聞いてもいいですか」
「聞いてもいいです」
ちょっとおかしなやり取りにクスッと笑いながら、雪椿はスィスタに問い掛ける。
「何故私を、あの戦場から連れ出したのですか?」
なぜ、と復唱したきり、スィスタは沈黙し動かなくなった。人ならば考え事をする間も視線や体が自然に動く。それがないスィスタは、なるほどやはりロボットなのだと雪椿は思った。
余りに沈黙が長いので雪椿が電池切れを疑い始めた頃、ようやくスィスタが動いた。碧の目をパチパチ瞬くと、小さく首を傾け眉を寄せる。困った顔かな、と雪椿が考えると、スィスタは抑揚のない声で言った。
「その質問の答えは検索出来ませんでした。質問をかえて下さい」
ロボットみたい、と思って雪椿はまたクスッと笑う。
(『みたい』じゃなくてロボットなのよね)
質問をかえてください、と言われても、ロボットについて詳しくない雪椿には、どんな質問にすればいいのか分からない。
「えっと……じゃあいいです」
仕方ないので質問は諦めた。スィスタがくくっと首を戻した。
「ごめんね」
「いいえ」
また、クスッと笑いが漏れた。まるで子供と話しているようだ。ずっと昔に、誰かとこんな会話をした事があるような気がする。
「じゃあ……スィスタのご主人の事を教えて下さい。さっきいた方がスィスタのご主人さまですか?」
また少し沈黙があったが、今度はそれほど長くはなかった。
「さっきいたのは、僕を製造したマイスター・アサツキ。僕の保全に関しては彼が主導だが、命令系統は別にある」
「そうなんですか。ではそちらの方がご主人ですね。ご挨拶できるでしょうか」
「……恐らく不可能だと思う」
「不可能? 何故ですか?」
少しがっかりした声で問う雪椿に、スィスタは淡々と答える。
「守秘義務を負っているんだ。命令系統を他人に明かす事は許可されていない」
「そう、ですか……じゃあ仕方ありませんね。スィスタの方からよろしくお伝え下さい」
雪椿がペコリと頭を下げた拍子に、ざんばらの黒髪が揺れた。
「ああ、そうだ」
スィスタは今まで優先順位の関係で後回しにしていた、マイスター命令を遂行する事にした。おもむろにハサミを取り出したスィスタに、雪椿は若干身を引く。
「もしよかったら髪を……揃えようかと」
スィスタの申し出に雪椿はパチパチと瞬いてから、ぱっと目を輝かせてコクコクと頷いた。
マイスター邸の庭の真ん中に置かれた古ぼけた小さな椅子に座り、雪椿は軽く目を閉じていた。耳元でしゃきしゃきとスィスタがハサミを動かす音がする。穏やかな風が庭の木々を揺らし、雪椿の髪も揺らしていく。冬の弱い日差しを瞼の向こうに感じながら、雪椿は余りの心地よさにこのまま眠ってしまいそうになる。
(平和……ですねぇ……)
一瞬そう思ってしまって、バチッと目を見開いた。ビクッと体も揺らしてしまい、スィスタがハサミを手に戸惑って動きを止めた。
「どうかした?」
「い、いいえ……」
雪椿は膝の上に置いた手を、白くなるほどぎゅっと握った。そうしないとぶるぶる震えてしまいそうだった。
(私、今何を考えて……!)
『平和』? 何が平和だ。そんなものは数時間前に、雪椿の前から綺麗に消え失せた。村を滅ぼされ。村人は皆殺され。
――何が平和だ。
「雪椿、顔が蒼い。調子が悪いの?」
前に回り込み顔を覗き込むスィスタは、心配そうな表情をしていた。だがそれは、造られたモノなのだ。朝に夕に自然でやわらかな笑顔を向けてくれた人々はもういない。ついさっき死んだ……殺された。
「いいえ、大丈夫です。ちょっと疲れただけ……」
「そう」
雪椿の強がりを、スィスタはあっさりと信じてしまった。それも雪椿の哀しみを深めた。
スィスタはまた雪椿の後ろに戻り、散髪を再開する。雪椿は軽く俯いたまま、しゃきしゃきという音に耳を傾け、スィスタの不器用な手に髪を預けた。
「……そういえば、何故貴方はあの村にいたのですか」
不意に質問が口をついて出る。スィスタの答えは簡潔にして明瞭だった。
「マスターの命令で」
「私をここに連れてきたのもですか」
「そちらはマイスターの命令で」
「……どんな命令ですか?」
一瞬ピタリとスィスタの手が止まった。黙ったままのスィスタに、雪椿は慌てて言う。
「あ、あの……守秘義務なら別にいいんです」
「いや……マスター命令については守秘義務があるけど、マイスター命令についてはそれはない」
スィスタはまたハサミを動かし始めたが、心なしか軽快さに欠ける気がした。
(言いづらいのかしら? ……まさかね)
ロボットにそんな感情はないはずだ。
「……そもそもマイスター命令は、優先順位がとても低いんだ。僕の行動の中で最優先はマスター命令、その下は自己防衛、さらにその下がマイスター命令だ」
「へえ……それでその命令って?」
スィスタがまた動きを止めた。
雪椿が振り向くと、スィスタは透き通るような碧の瞳でじっと雪椿を見つめていた。
ざあ、と風が吹いてスィスタと雪椿の髪を揺らす。
「マイスターの命令は、『戦場に出るたびに何か1つ、「美しいもの」を持ち帰ること』。雪椿を連れて来たのは、雪椿が美しかったからだ」
淡い金の髪と、碧の瞳。白磁の肌。スィスタの方がよほど『美しい』という言葉に相応しいのに。
そのスィスタは、美しい髪を片手でかきむしり、あー……と気の抜けた声を出した。
「僕がもし人間なら、恥ずかしくて穴があったら入りたい状態だろうと推測する。僕が感情のないロボットでよかった」
雪椿はまたクスッと笑った。
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