第14話 漆黒の樹(黒羽)

 ノール暦327年7月第3週。エドラン工房で話し合っていたマーユとリーカは、とつぜん何者かの襲撃を受けた。

 不意をつかれたリーカは無抵抗で捕まり、瞬時に無力化された。


 喉元を掴まれて持ち上げられ、そのまま何かの衝撃を受けたリーカは、床に落とされた状態のまま微動だにしない。生きているのかすらわからなかった。

 マーユは椅子から立ち上がったものの、何が起きているのか把握できず、口を半開きにして固まっている。

 工房の入り口を通って、襲撃者がゆっくりと姿を現した。


 マーユは見ているものが信じられず、目を見張ったまま動けない。

 室内に現れたそれは、動く樹だった。

 植えて数年の若く小さな街路樹を思わせる姿で、それでもマーユ二人分ぐらいの高さがある。工房の高い天井を、上のほうにある枝と葉がこすってバチバチ! と音をたてる。樹肌も葉も、闇でできているような漆黒だった。

 それが室内をすうっと動いてくる。異様だった。


 樹の形をしていながら、動きは遅くない。

 マーユは我に帰ると、ようやく動き出した。

 進んでくる樹から一定距離を取りながら、慎重な足取りで部屋の脇へと回り込む。まずは倒れているリーカのところへたどりつくため、樹をやりすごす動きだ。

 黒い樹がふいに加速した。マーユに急接近すると、上部の枝が幾束か、ばさり、と動いた。次の瞬間、葉のついた大きな枝が、すさまじい速度でマーユに振り下ろされる。マーユはとっさに横転してそれをかわしたが、右足のふくらはぎを小枝で打たれ、う、と小さく声を出す。

 打ち下ろした枝が、横にさっと払われる。今度は腰をしなる枝で打たれ、マーユは吹き飛ぶように部屋の反対側に転がった。


「……つよい……」


 身を起こしながら、うめくようにマーユはつぶやく。その間にも、黒い樹はマーユとの間を詰めてきている。

 くっ、とマーユは下唇を噛み、全身をかがめる。

 樹の枝がざわり、と動き、叩きつけられる直前、マーユは一気に飛び出した。落ちてきた枝の束をかいくぐり、黒い樹の幹に向かって突進する。幹にぶつかる寸前でわずかに左に身をかわし、樹とすれ違って、玄関近くに倒れるリーカのもとへ行こうとして……何かに右肩を突き飛ばされた。バチッ、と異様な音がしてきなくさい匂いが立ち上がる。


「ぎっ……!!」


 衝撃の正体は、雷の力だった。右肩からそれを流し込まれたマーユは硬直したまま床を滑っていく。作業台のひとつに当たって、ようやく止まった。

 

 もがきながら樹のほうを見て、マーユはまた驚愕の表情になった。

 マーユを突いたものの正体は、樹の幹の中ほどから突き出た人間の腕だった。よくみると、腕の少し上の幹に、埋め込まれるように目らしきものがある。空洞のような目がマーユのほうを向き、樹がまた近づいてくる。


 すぐに起きあがれず、床の上で上半身をなんとか起こすが、身体に力が入らない。

 そこに、黒い枝の束が落ちてきた。

 マーユは、あきらめたように目をつぶろうとした。


「おらっ!」


 うなるような野太い声がした。黒い樹がふいにぐらりと安定を失い、枝はマーユを直撃せず、すぐ右にばしゃ! と叩きつけられた。


「お嬢!」


 ジュールが吠えながら、四足で玄関から走りよってくる。マーユはまだ下半身に力が入らない状態のまま、両手を広げてその首を掻き抱いた。


「お、おう、お嬢落ち着け。よくわからんが、襲われてるんだな?」


 マーユは震えながらうなずく。


「犯人はそいつだ。そいつが、その樹を操ってやがるんだ!」


 ジュールは玄関付近に立っている人影を指差した。


「……人をいきなり突き飛ばすとは、躾のなっていない獣だ……」


 甲高い中性的な声で、その人影は言った。

 濃い緑のローブを着込み、顔に奇妙な仮面をつけている。満面の笑顔を浮かべる、丸顔の老人の仮面だった。その後ろから、感情のない機械仕掛けのような声が漏れてくる。

 胸の前に掲げた左手に、小さな赤い箱を持っていた。


「……手間が増えるが、仕方ない……」


 仮面の怪人は空いた右手で何かを振りまくように自分の前の床に投げ、気取った仕草で指を鳴らす。

 するとそこに、無数の木の枝が生えてくるのが見えた。

 枝は数瞬のあいだに絡み合いながらみるみる伸びて、壁になり、玄関と仮面の男、そしてそのそばに倒れるリーカと、マーユたちの間をへだてた。

 玄関までのわずか数歩の距離が、もはやおそろしく遠く見えた。


「くそっ、閉じ込められた!」


 ジュールが小声でつぶやく。


「来るよ!」


 マーユはジュールが来て元気になったのか、見違えるように張りのある声を出した。


「おう!」


 ジュールは樹の前に躍り出て、挑発するようにステップを踏む。樹の枝がばさりと揺れ、ばしゃん! と叩きつけられるが、ジュールは軽々とそれをかわした。


「ぬるいぬるい!」


「近づいちゃダメ! その手に掴まると雷流されるよ!」


「そんでも攻撃しないと始まらねえぞ。火が効くだろこいつ! 近づくから、そんときだお嬢!」


「……わかった!」


 ジュールはまた降ってきた枝を前転してかわし、樹の幹に近づくとガツッと蹴りを入れた。幹から生えた両腕が、ジュールを掴もうと動く。ジュールは間一髪でしゃがんでそれを逃れる。


「<燃えるもの現れよ!>」


 そのときマーユが叫んだ。マーユの右手首から先が、轟々と燃える炎に包まれる。ミダフスの指導によって、リーカの「指の火」は大きく成長していた。

 マーユはためらいなく走り、ジュールを掴み損ねた直後の樹を、反対側から燃える手で殴りつけた。


 マーユの拳は、黒い幹をやすやすとえぐった。

 異臭が立ち上り、頭上から大量の黒い葉がいっせいに降ってくる。樹はゆさゆさと左右に揺れ、嵐の中にいるようだった。


「効いた!」マーユが叫ぶ。後転で距離を取ったジュールは「よっしゃ!」と声をあげ、「もういっちょだ、お嬢!」と怒鳴った。

 マーユはうなずくと、炎をまとった拳を握りしめた。


 そして、そのまま倒れた。

 積み木が崩れるように膝から崩れ落ちると、ずるずると床に伸びる。


「お嬢!?」


 ジュールの狼狽した叫びも、途中で途切れた。その顔の右側に、液体でできた矢のようなものが打ち込まれたのだ。

 矢の衝撃に頭を揺らされたのか、へなへなとジュールは崩れると、どさりと倒れた。

 どうやって姿を消していたのか、工房の奥の台所の入り口あたりから、人影が部屋の中央に歩み出てきた。フードを深くかぶり、黒一色の仮面で顔を隠した小柄な人物だった。やはり、左手に小さな箱を持っている。


「済みましたよ」


 枝の壁の向こうの男に、小柄な人影は呼びかけた。壁が消え、老人の面の男が部屋に入ってくる。


「人を攫うなら、麻痺毒が一番ですよ。最初から、こちらに任せればよかったのに」


 フードの人物はたんたんと言い、倒れるマーユとジュールを見下ろした。

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