第12話 図書館通い(黒羽)
ノール暦327年7月の最初の休日。マーユと岩人のリーカは、マトゥラスの中心部にいた。
マトゥラス中央図書館は石造り3階建て。見るからに堅牢で威圧感を漂わせる建物だった。
「やっとここまで来られた……」
図書館の上部の重厚な丸屋根を見上げながら、マーユは噛みしめるようにつぶやく。
魔術研で怪しいものを食べさせられ即座に助手辞退を考えたマーユだが、使ってみせた指の火がミダフスを驚かせたことから、いまはミダフス考案の魔術練習法の実験台になっている。それでも何回か、得体知れぬものを口にしては洗面所に駆け込むという経験をしていた。
一方、商業学校の定期試験のほうも悲惨であった。まだ採点が済んでいないが、おそらく数日後には呼び出され厳しい補習が待っているだろうと、マーユはすでに覚悟していた。
「なにをしてるノ。早く入ろウ」
隣のリーカが急かすのに、思わずマーユはギリッと睨みをきかす。が、リーカは平然としていた。
「その前に約束通り、情報を教えて。でないと入らない」
「こんな人目のあるところデ、話していいノ?」
「かまわない。かえって、周囲に聞いてる人がいないがわかりやすい」
「そウ。なラ、教えル」
リーカの声は少し低くなり、マーユも緊張した様子で彼女の顔に耳を近づける。通行人から見れば2人の少女が仲良く囁き合っているように見えるだろう。
「あの石の名ハ、<水人の結界石>」
「すいじんのけっかいせき……。どういう意味?」
「ホルウォートの西のメレディス地方ニ、水の身体を持つ種族がいタ。それガ<水人>。あの石は水人が使っていタ、結界を張るためノ石」
「結界……」マーユは、言葉を繰り返しながら何度も小さくうなずいた。それを見ながらリーカは言う。
「今日の情報ハ、ここまでダ」
「は!? なに言ってる? 出し惜しみする気?」
「当たり前ダ。私は当分こノ図書館に通う必要があル。全部話しテ、オマエに逃げられるわけニいかなイ」
「……けち」
「ケチで結構」
少しだけ2人は睨み合う。マーユはやがてため息をつき、ミダフスから貰った入館証を取り出した。
図書館の受付に向かって歩きだしたところで、なにかに気づいた様子で横のリーカを見た。
「言葉、だいぶ変わったね」
「気づくのガ遅いヨ。この国の言葉遣い、だいぶ覚えタ。どウ?」
「ん、話しやすくなったよ」
「フフン。そうカ」リーカは少しだけ嬉しそうにした。
入館証を見せリーカ用に補助者の臨時入館証をもらうと、2人はいよいよ図書館に入った。商業学校の講堂の倍ほどもある広い室内には何列も本棚が並び、その間に読書用の机と椅子がある。
図書館というものにはじめて来たマーユは、感嘆しつつ周囲を見回していた。
「じゃ、私は調べものをすル。オマエは自由に本を読ムといイ」
「ねえ……手伝おうか?」
「ア……」小さく声を漏らして、リーカは考え込んだ。そして小さくうなずいた。
「……じゃア、手伝っテ。欲しいのハ、300年前のマードゥ建国関係の資料」
「マードゥ、建国……?」
マーユは不思議そうな顔をした。
「そウ。とくに、初代大公マードゥについテ、調べたイ。郷土史の棚ハ私が調べルから、それ以外の棚でそれらしイ本、見つけテくれルると助かル」
「わかった」
うなずくとマーユはリーカと離れ、図書館の棚を端から調べはじめた。
★★★
<初代大公マードゥは、「最初の七」のひとりとしても有名です。
とても温厚な人格者で、「調整者マードゥ」と呼ばれていました。
すべての樹人のご先祖さまでもあります。
ノール暦6年ごろ、ノール神殿のあった北のウォートから、ホルウォート東部に移り住みました。
マードゥがこの地に来て、最初に植えた樹はみるみる大きくなって空を覆うほどになり、ひとびとを驚かせました。
この樹は「始原樹」と呼ばれています。
始原樹のもとに、いろいろな種族の者たちが集まり、調整者マードゥのもと仲良く暮らしはじめたのです。
これが、マードゥ混成国のはじまりです。
マードゥは王ではなく大公と名乗り、繁栄しはじめた国を見守ったあと、大いなる眠りについたといわれています。>
「……これしか書いてない」
学校向けの参考書らしい本をぱらぱらとめくり、マーユは不満げにつぶやくと本を棚に戻した。ここに書かれていることはマードゥの初等学校で必ず教わることで、マーユもよく知っていた。
「……マーユ?」
本棚に並ぶ背表紙を目で追うマーユに後ろから声がかかった。見るとサリーと副担任のパウリ・ロガンが、並んで立っている。
「サリー。ロガン先生とデート中?」
「ち、違うわよっ! 中でたまたま会っただけ。からかわないでよ、もう……」
「ハハハ! 図書館を見回るのも俺の職務のうちなんでな。それにしても、休日に図書館とは、熱心だなマーユ。勉強のほうにも、少しは力を注いでくれればよかったんだがな。副担任としては、採点中も頭が痛かったぞ」
「すみません……。今度から頑張ります」マーユの謝罪はいかにも心がこもっていなかった。
「退学とかやめてよ? 反省しなさい、もう……」
サリーが説教しはじめるのをよそに、パウリはマーユが小脇にかかえている本に顔を近づける。
「お、マードゥ史か。意外だな、てっきり物語本でも読むのかと思っていたが」
「先生、マーユは意外と真面目な本が好きなんですよ。その知識欲、勉強になぜ生かせないのか……」
サリーの説教が長引きそうな気配を感じて、マーユは「じゃあ、探したい本あるから」と言うと、そそくさと2人から離れて歩きだす。「ちょっと……!」と呼び止めるサリーの声がしたが、マーユは振り向かなかった。
★☆★☆★
マーユとリーカは、それから数日おきに図書館に通い始めた。
平日に学外に出るには許可がいるのだが、パウリ・ロダンが便宜をはかってくれ、申請すればすぐ許可が出るようになった。そのかわりパウリが必ず図書館の出入り時につきそうことになった。
サリーがついてくることも多く、本人たちは否定しているものの、デートの口実にされているのではないかとマーユは内心思っているようだった。
リーカとは図書館の前で待ち合わせなので、パウリやサリーとはちらりと挨拶するだけである。何者なのかとサリーに聞かれたが、実家関係の人だとマーユは曖昧にごまかした。
ジュールは訓練があって平日はほとんど動けない。ララスは2回に1度ぐらいのわりで図書館の外で出待ちをしており、学校寮までの短い帰り道を3人で歩くことが多かった。
リーカはエドランの工房を宿代わりにしているらしく、ララスが送るというのも断って1人でスラム街に帰っていく。
リーカが「水人の結界石」について情報をくれたのは数回、それもごく断片的なものだった。水人がもう滅んでいて結界石もめったに見つからない幻の石であること、石に気配を消す効果と、ノウォンを吸う効果があること。
なかなかやってこない情報に苛立ちそうなものだが、意外なことにマーユはあまり不満を表に出さなかった。マーユもまた情報を出し惜しみしているからだった。
おそらく、お互いに察してはいた。マーユとリーカ、2人の行動と言葉の中心に、1人の共通の知り合いがいることを。しかしその者の持つ意味と特異性があまりにも大きいために、2人ともそれについて口に出さないことが習い性になっているのだった。
もっとも大切なことを語らないまま、マーユとリーカはしだいに打ち解けていった。
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