第6話 邂逅と衝突(黒羽)

 夕暮れの修練場で、マーユは今日も型稽古をしていた。エドラン工房を訪れた翌日のことである。

 ゆるゆると気合の入らない動きをしていたマーユが、ふと動作を止める。


「あの……」


「来たね」


 ゆっくり修練場に入ってきたララス・ネートに、マーユはわずかに微笑んでみせた。


「ありがと。おかげでエドランに、調査を頼めた」


「……いえ。私はただ、つてを辿って紹介状を書いただけで……。エドランという人には会ったことがありませんが、どんな人でしたか?」


 マーユは少し首を傾げて、頼りなげに立っているララスをじっと見た。そして言った。


「なぜ嘘をつくの? あの時、工房の奥にいたでしょ」


「えっ」


「すぐ近くに、ララスの匂いがしてた。話もぜんぶ聞いてたはず。なんで隠れてたの?」


「…………」


 ララスの特徴のない顔が、凍ったような無表情になる。マーユはそれを見て軽く肩をすくめた。


「……ま、いいけど」


「いいんですか?」


「うん。助かったのは事実だし。ララスからは、悪い匂いがしないし」


「はあ……」


 ララスはため息をつくと、ぎこちなく笑った。


「かないませんね……。私には、私の事情があるので」


「うん。あんな怪しい男を紹介してくるぐらいだからね」


「怪しい……まあ、怪しいですね。事情は、そのうちお話できると思います。ごめんなさい……」


「別にいいよ」


 マーユは鷹揚にうなずいた。この底抜けの鷹揚さが、レドナドルでは彼女の隠れた人気の源であった。


「で、次の休日に、エドラン工房に行くときですが……」


「ララスもついてくる?」


「……いいんですか?」


「別にいいよ」


 またあっさりと言い、「ジュールと仲良くやって」と付け加えて笑顔になった。

 そんなマーユを眩しそうに見て、ララスはひとり納得したようにうなずいた。



☆★☆★☆



 ノール暦327年5月4週。予定通り、マーユ、ジュール、ララスは南部スラム街にいた。


「ほれにしてお、ほそいあ」


 ジュールはゼージャの串を口の端から出し、ララスを見ながらモゴモゴとそう言う。「それにしても細いな」と言ったらしい。


「もっごぜーじゃおくえ(もっとゼージャを食え)」


「はあ……」


 ララスは毒気を抜かれたような顔になる。3人はジュールが買い込んできた肉串を歩きながら食べていた。


「ジュール。これ、どこで買った?」マーユは細かく何度もうなずきながらきく。


「兵舎の近くだ。どうだ?」


「なかなか」


「そうだろう」


 ジュールは目に見えて得意そうな顔になり、次の串を紙袋から取り出した。ララスはその横で「ふふ……」と小さく笑い、ゆっくりと肉を口に運んだ。

 そうこうしながら歩くうち、エドラン工房が見えてきた。

 先日と同じようにララスの紹介状を溝から差し入れて、しばらく待つ。待っているうちに10本近くあったゼージャは食べつくされ、串の入った袋はララスが「捨てておきます」と言って預かった。


 以前と同じようにドアが細めに開けられ、「入レ」と軋むような声がした。

 ジュールを先頭に、マーユ、ネートの順で中に入っていく。

 工房の入り口には大柄な緑色の顔の岩人、エドランがいた。そして深々と頭を下げていた。


「悪イ。すまなイ」と、下げた頭の下から声がした。


「オオゴトになっタ。すまン」


 マーユとジュールは、ぽかんとして顔を見合わせる。


「……どういうこと?」


 ララスが、マーユがこれまで聞いたことのない低い威圧的な声で訊ねる。


「情報を得るたメ、ザグ=アインの石工の名家に頼っタ。たまたま一族の1人ガ、マトゥラスに来ててナ。そしたラ、この工房ニ、乗り込まれてナ……」


「何をやってるの。余計なこと、しなくていいのに」ララスが吐き捨てるような口調になる。


「情報屋としテ、それじゃ終わレない。知れルことは知っテおきたイ」


「……情報屋?」マーユがつぶやく。そのとき、工房の奥から声がした。


「ソイツラ?」


 小ぶりの鈴のように高くて澄んだ声とともに、岩人が1人、奥から歩み寄ってくる。小柄な岩人で、細長い楕円形の顔は淡い青色だった。


「オマエラハ、何者。コレヲドコデ手ニ入レタ」


 そう言いながら左手を突き出してくる。親指と人差し指で、マーユが持ち込んだ石のかけらを挟むように持っている。マーユの表情がみるみる険しくなった。


「ナゼコレヲ調ベル。全テ話スマデ帰サナイ。コノ石ハモラウ」


「……ふざけるな」


 ジュールが一瞬の間に、小柄な岩人の前まで走り込んでいた。石を握った左手を掴みあげようとし……、次の瞬間には、その身体が後ろに投げ出されるように傾いた。


「なんだっ!?」


 叫びながら後ろに倒れ込んだジュールは、驚異的な身のこなしでくるりと後転し片膝の体勢になる。そのジュールのすぐ左横をすり抜けるように、マーユが岩人に迫り、身体をひねりつつ右足を曲げたまま上げる。そのまま足を伸ばし、相手に鋭く突き刺すように蹴った。横蹴りと呼ばれる技だ。

 しかし岩人はすっと斜め後ろに下がりマーユの伸びてくる足をかわすと、叫ぶような形で口を開ける。声は出なかったが、マーユの足元の床が瞬時に右側に斜めに傾いた。左足一本で立っていたマーユはたまらず体勢を崩し、斜め後ろにいる片膝立ちのジュールに尻からのしかかるように倒れ込む。


「おイッ! 床、壊さんでくレ! 借り物だゾ!」


 エドランの悲痛な声が響く。マーユの尻を頭の横側と肩で受け止めたジュールはそのまま這うような体勢になり、両手を床につく。マーユもジュールの左肩に座るような体勢からぐるりと身体を回し、ジュールの左後ろでしゃがんで岩人と向き合う姿勢になった。

 床の影響を受けにくい四つん這いの姿勢で、ジュールが岩人に突進しようとする。青色の岩人も身をかがめ、防御の体勢になった。

 そのとき、両者の間に何かが飛んできた。ゼージャが入っていた紙袋だった。

 パン! と大きな音をたてて空中で紙袋は破裂し、ジュールも岩人もマーユもビクリ! と身を震わせた。タレで濡れた串がバラバラと床に落ちる。


「あの……落ち着きましょう」とララスの声がした。場にふさわしくないほど静かで控えめな声だったが、不思議によく響いた。

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