第5話 エドラン工房(黒羽)
首都マトゥラスにも貧民街はある。
というより、都市の半分ほどは豊かとも清潔ともいえない下町であり、そのさらに半分が実質的な貧民街なので、かなりの地域が貧民街であるといえる。とくに毒の地ドゥラカスに近いほう……都市の最南部はほとんどが劣悪な環境にあった。
ララス・ネートが紹介してくれた石工の工房は、そういった南部貧民街の中では比較的治安のいい地域にあった。
それでも路上には生ゴミや紙くずや何かの脂が散乱し、老朽化した汚れた壁の建物がひたすら並ぶ狭苦しい路地には生臭い匂いの風が吹いている。
「いやな匂いだ」と、ジュールは黒い鼻面を盛大にしかめて言う。ノール暦327年、5月第3週の週末の正午。マーユと豹頭の獣人ジュールは、ゆっくりと貧民街を歩いていた。
「ジュールはドゥラカスじゃ暮らせないね。あそこは、もっと臭かったよ」とマーユ。
「そりゃ無理だな。俺の種族は鼻がききすぎて困る……。お嬢、本当にそのララスとやらは信じられるのか」
「わからないけど……たぶん」
「大丈夫か、おい」
「いい匂いしたから」
マーユの言葉にジュールは「なるほど」と唸るようにいい、それきり黙った。
しばらく歩くと汚れた路地の道はどん詰まりになる。2人は不安げに周囲を見回した。
「……お嬢。ここじゃないか」
「ここ? ……倉庫じゃないの?」
「見ろ。ここにエドラン工房と書いてある」
ジュールが指差したのは、半地下になっている無骨な石扉の前だった。たしかに倉庫としか思えないほど何の飾りもなく、短い下り階段の横に、工房名が書かれた金属プレートが一枚貼られているだけである。
「どうやって中の人を呼ぶんだろう。扉、叩いてみようか」
「待てお嬢。ここに溝がある」
「溝? ……本当だ。下にプレートが……紹介状をここに入れろ、だって」
「紹介状?」
「これだよ。ララスがくれた」
「入れてみろ。……なあ、こういうのわくわくしないか、お嬢」
「えっ。……しないよ」
「残念だ」
メリネからもらった手紙を開封しないまま入れると、溝の向こうからピーッとかすかな音がするのが聞こえたが、それきり長い間、何の反応もない。
気が長いほうでないマーユが明らかにイライラしはじめたころ、ようやく扉が横に少しだけ開き、「入れ」と声がした。
身体を横にして狭い隙間を通り中に入ると、がっしりした人物が待っていた。
「来たナ。俺がエドランだ」
淡い緑色の顔を持つ岩人は、重々しく低い声でそう言った。
☆★☆★☆
エドランの工房はそれなりに広く作業台らしきものがいくつも並んでいたが、エドラン以外に人影はなく、灯りも落ちてひっそりと静まり返っていた。
唯一明るい奥の一画には小さなテーブルが置いてあり、そこにマーユたちを座らせると、エドランは立ったまま軋むような声で言葉を発した。
「最初に言っておク。こコのことハ、よそデしゃべるナ。誓エ」
「……わかった」
マーユはすぐにうなずいた。エドランはジュールのほうを向く。
「オマエは?」
「ということは、ここは真っ当な工房じゃないんだな?」
ジュールは首をかしげながら言う。
「失礼な小僧ダ。俺が真っ当であろうガなかろうガ、オマエに何の関係ガあル」
「それはそうだ。うむ、誓おう、誰にも言わん」
そう潔く答えたはいいが、しだいに不安になってきたらしく、ジュールは落ち着かなげに身動ぎするとマーユの耳元でささやく。
「(おい、おいお嬢。本当に大丈夫なのか、いろいろと)」
「人の目の前でヒソヒソ話すナ。サア、さっさト用事を言エ。頼み事があるンだろウ?」
マーユは少しだけためらったあと、首から下げていた小袋を外し、口を縛っていた紐をほどいていくと中身をテーブルの上に出した。
それは透明な石のかけらだった。わずかに桃色がかっている。一方の端がすっぱりと欠けていて、マーユの手のひらのくぼみに収まるぐらいの大きさしかない。
「ほウ……」エドランが小さく声を発した。
「これについて、調べてほしい。知りたいことは3つ。まず、この石がどこで取れる、なんていう石なのか知りたい。……知ってる?」
「……手に取るゾ。いいカ?」
「うん」
エドランは太い指で結晶をつまむと、しげしげと眺める。
「……やはリ、見たことガない石だナ」
「そう」マーユが声に落胆をにじませる。
「なんとカ調べてみるサ。数日間、預かるガいいナ?」
「…………」マーユは黙り込む。「帰るカ、お嬢」とジュールが口をはさんだ。
「ううん。他にあてがない。……わかった。一週間後にまた来る」
「おウ。で、調査の報酬ハ? さすがニ、タダじゃ仕事はできねえゾ」
マーユは傍に置いた鞄から、指輪入れほどの大きさの小箱を取り出した。開いて見せる。中には少量の、輝く黄色い砂が入っていた。
「これが報酬」
「聖泥……! こりゃア……十分ダ。やる気がでたゼ」
エドランは、魅入られたように小箱の中の輝きを見つめている。
「知りたいことは3つある。でも、1つでも調べてくれたら、これをあげる」と、箱のふたを閉じながらマーユが言う。
「甘い条件だナ。残り2つヲ言いナ」
「2つめは、その石の残りのかけらが、どこにあるのかを知りたい」
「なんだト……? それはまた、無理難題だナ」
大きな手のひらに乗せた石をためつすがめつしながら、エドランは心なしか顔をしかめた。
「うん、それはわかってる。でも……」
「フン、まあイイ。残りハ?」
マーユはエドランの手の中の石に視線をやって目を細めた。
「最後に……その石が光っている理由を知りたい」
「ハ?」
エドランが驚いたような素っ頓狂な声を出した。工房の奥で何かが、ガタンと音を立てた。
「光ってル? ……光ってないゾ?」
「うむ、光ってない」と、ここまでしばらく黙っていたジュールがうなずく。
「だが、お嬢には光って見えるらしい。不思議だな」
「なんだソリャ……」
「去年の暮れに、急に光りだした。なぜ光るようになったのか、それを知りたい。どうしても」
「えエ……?」
エドランは心底困惑した様子で、緑色の頭に手をやりガシガシとこすった。
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