第3話 ふたつの再会(黒羽)

「久しぶりだねー、マーユちゃん! お姉さんのことおぼえてるかな?」


 低いテーブルの向こうで微笑みかける女性に、マーユは眉ひとつ動かさなかった。


「覚えてます。だから挨拶にきたので」


「アハハ、それもそうだね! 3年ぶりぐらいかなー。綺麗になったね、マーユちゃん!」


「……」


 マーユはただ黙って頭を下げてみせた。

 素っ気ないマーユの仕草にも、その女性……メリネ・ルグランジュは気にした様子もなく、柔らかい笑顔のままでいる。


「それにしても、今日はサリーレちゃんと一緒じゃないんだね」


「……はい。ドナテラ家の一員としての挨拶なので」


 たんたんと答えるマーユに、メリネはなるほどーと軽く相づちを打った。

 ノール暦327年5月最初の週の午後。2人がいまいるのは、ルグランジュ商会本店の奥の応接室である。


 メリネ・ルグランジュは6年前にドナテラ農園に現れたときと、少しも変わっていないように見える。相変わらず十代半ばのような初々しさを漂わせていた。紺色のかっちりした上着に長いプリーツスカートという、女学生のような服装も昔のままだ。


「で、今日はどうしたのかな? ダニスさんからよろしく頼むと手紙をもらってるから、なんでも相談してよ」


「いえ。本当に、挨拶に来ただけです」


「ほんとに? 困ってることない?」


「相談するほどのことは、なにも」


 やれやれ、とメリネは少し肩をすくめて見せる。


「私、もしかして、あんまり信用されてないのね?」


「はい」


 マーユは考えるそぶりもなくそう答える。子供らしい率直な物言いに、さすがのメリネも苦笑する他ないようだった。


「こっちは好感持ってるんだけどなー。サリーちゃんと仲良くしてくれてるのも、嬉しいと思ってるんだよ?」


「ダンデロンのベッグさんからも、同じことを言われたことがあります。悪意なんてないどころか好感すら持っている、ただ全ては仕事だから、って。仕事であれば、また私の身柄を取りにいくだろう、って」


 あー、とメリネは首を振った。馬鹿な人ね、と言いたいようだった。


「私も商人の娘なので、そういうものだということは知っています。だから、そういうお付き合いしか望みません」


「あはは! さすがダニスさんの娘さん、その歳で聡明すぎだわ。じゃあ、こちらも気張らずに、無償で提供できるような小さなことをいくつか提供しましょう」


「……小さなこと、も必要ないのですが」


「まあまあ、あのね、マトゥラスのおいしい屋台の場所……知りたくない?」


「……」


 マーユが小さく口を開けて固まる。それを見たメリネは、けらけらと笑いだした。


「ほらほら、忘れずメモ取ってね。まずは……」


 語りだすメリネに、マーユはあわてて鞄から手帳を取り出しメモを取りはじめる。愉快そうに話しつづけるメリネの目は、しかしじっとマーユの様子を観察していた。



☆★☆★☆



「お嬢」


 低い、うなるような声がして、マーユは振り向いてそちらのほうを見た。

 右手は押し固めた肉を刺した串……ゼージャを握っている。ただし、もう半分がた食べられていた。


 ノール暦327年、5月2週の夕方。マーユの入学から半月が過ぎている。


 脂と煮こごりでテラテラになった唇を軽く舐めてから、マーユは不満げに眉をしかめた。


「いつも思うけど、その呼び方、かっこ悪い」


「仕方ない。そういうものだ」


 耳を軽く動かしながらそう答えたのは、豹型の獣人の少年だった。やはりゼージャを手に持っている。

 麻の薄いシャツと短い下履きという軽装で、靴だけが重たい鉄靴である。漆黒の毛並みは粗末な服よりよほど暖かそうだった。

 2人が話しているのは、マトゥラスの下町繁華街の路上。ずらりと並んだ露店に多くの客が並び、肉を焼く煙や蒸籠から漏れる蒸気で空気は濁っていた。


 少年の名はジュールという。

 6年前、骨の子にむりやり乗ろうとして何度も騒動を起こした子供である。16歳になっていた。


 骨の子の騒動で一家が転職と引っ越しを余儀なくされると、ジュールは家庭内で厄介者扱いされるようになった。

 初等学校にもしだいに通わなくなり、路地裏でたむろしては通行人を脅して小銭を稼ぐ一味に加わると、家にほとんど帰らなくなっていった。


「……悪さ、してないよね?」


「してないぞ。毎日走ってばかりだ。悪さする暇なんてない」


 いったんグレたジュールは現在、マーユより数ヶ月前にマトゥラスに来て、住み込みで兵士になるための修行をしている。

 そうなった理由は、マーユにあった。326年の暮れ、家出したマーユに同行し、彼女を背に乗せてザグ=アインに向かおうとしたのが問題になったのだ。

 ダニス・ドナテラを決定的に怒らせてしまったジュールは、マーユから引き離すために首都の兵舎にぶちこまれたわけだが、その数ヶ月後にマーユもマトゥラスにやってくることになった。冬の間に娘を改心させられると考えていたドナテラ夫婦にとっては、大きな誤算であった。


「で、お嬢、手がかりは?」


「まだ、なんにもない。……学校、思ったより忙しいし。大人に頼るのは、なるべく避けたいし」


 ゼージャをもしゃもしゃ食べながら、マーユは答えた。


「中央図書館はどうなんだ。たしか、お嬢の学校の生徒なら入れるんだろ」


「成績優秀者だけだって」


「お嬢は?」


「…………」


 マーユは答えず、屋台のほうを見やりながら黙って肉を咀嚼している。


「駄目だな。買い食いに来る時間があるなら、勉強すべきだ」


「何言ってるの。買い食いは大事。勉強より大事だよ」


「……まあ、それもそうか」


 ジュールはゼージャをはむはむと噛みながら、あっさり頷いた。


「ジュールは? 詳しそうな人、見つかった?」


「いいや。全く」


「どうしたもんかなあ」


 マーユは慨嘆したあと少し黙り、「もう少し待ってて。もっと、いろいろ考える」と小声で言った。


「わかった」 ジュールは低い声で同意する。


 そこで話は一段落し、マーユは首から下げている小袋を握ると、ジュールのほうへ持ち上げて見せた。ジュールは小袋に尖った鼻を寄せ、ふんふん、と嗅いで少し笑った。妙な光景だが2人は平然としている。


「大丈夫だな。力を感じる」


「……そう。よかった」


 マーユも笑顔になると、きびきびした動作で屋台のひとつを指差した。


「2本目。あの店に行こう」

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