第5話 頭だけの初体験
胸が潰れそうだ。
もう僕に胸はないけど……潰れそうだ。
目の前で知ってる人が殺されるって、こんなにつらいものなのか。
切り口から体液を振りまきながら、包帯さんの頭は宙を舞う。
彼女の首を切断した豚……邪術師グブードンは、包帯さんを抑えていた二体の骸骨もバラバラに砕きながら、僕の視界から消えた。
目を見開いたまま、包帯さんの頭が僕に向かってくる。焚き火の中へ、僕のすぐそばへ。
叫びたい。死んだ包帯さんに向かって絶叫したい。
でも、僕にはそれすらできないんだ。
包帯さんの頭は、数秒後には、火の中で焼かれることになる。僕と違う、彼女はやわらかい皮膚を持つ生者だ。
焼けただれる彼女の顔を、僕は見なくてはいけないのか。意識を失いたい。せめて目を閉じたい。
絶望しきった僕にぶつかりそうな勢いで、包帯さんの頭部は落ちてきて……かすかに笑った。
幻覚だ。怪談じゃないんだから。首だけの死人は笑ったりしない。
勢いよく落ちてきたはずの頭が……急激に速度をゆるめ、焚き火の炎の上でぴたりと止まるなんて……ありっこない。
(頼む……)
包帯さんの口が動いた。声は出ないけど、言ってることはわかる。
(君を……)
僕はうなずく、たぶん頭だけだから、うなずいてるようには見えないだろうけど、それでもうなずく。
(……食べさせてくれ)
……意味がわからない。聞き違いか。僕は骨だぞ。
でも、包帯さんの頼みならなんでも聞く。切られた首から血らしきものがどんどん落ちてるんだもん。なんでも聞く。うなずく以外に選択肢はない。必死にうなずく。ガクガクと口を動かす。
(……ありがとう……)
包帯さんの首は、泣きそうな顔で笑う。
それから、僕に向かってすうっと落ちてきた。
そして僕の額に包帯さんの歯が、ガリッ、と食い込んだ。
痛みはなかった。
包帯さんは僕の額に鼻を押し付け、頭頂部に近い所に軽く歯を立てながら、舌で僕の表面を繰り返し舐めてるようだ。
かすかにくすぐったい。
でも、くすぐったいという感覚があること自体、僕には驚きだった。
炎の中でも熱くなく、首が落ちても痛くないのに、くすぐったいという感覚はあるなんて。
包帯さんも僕も焚き火の炎の中にいる。僕は包帯さんが焼けただれるのが心配だった。
でもなぜか、平気みたいだ。
包帯さんに噛まれ舐められながら転がる僕の目には、包帯さんの顔の上半分が映っている。
ばさばさと乱暴に切られた短い銀髪は、全然焼けてない。何か、うすい膜みたいなものに包まれてるようだった。
目を閉じて僕を齧るのに集中してる銀髪さんからは、ふわっとした肌の匂いがする。女の子の匂いだ。
そして、汗の匂いと、唾液の匂い。
舐めながらもらす吐息が、僕の顔をくすぐってる。
口の動きが止まり、銀髪さんのまぶたが、僕の目の前で開いた。
切れ長の垂れ目はとろんと蕩けているように見え、僕は理由もなく、ぞくりとした。
(……一気に、いかせてもらう……。ごめんよ……。)
かすかな声がきこえ、包帯さんの顔が、ぐるん、と半回転する。
そして、僕の口に舌が入り込んできて、ぎゅううううう、と強く吸われた。
僕の口内の、あるはずのない何かを。
ぶるっ、と僕の全てが震えた。
吸い出される。僕の中にある何かが、吸い出される。僕の中にある壁のようなものを壊して。
ぎゅぎゅぎゅっ、と何かが絞られる。痙攣するような痛みがやってくる。
そしてその向こうから、何かが解き放たれてゆくときの、巨大な気持ちよさがやってくる。
僕の頭は僕の意志を離れてゴトゴトと揺れ、包帯さんの舌から逃れようとする。
誰かのひんやりした手が、暴れる僕の両頬をがっちり掴んだ。
舌がさらに深く入り込む。僕の口の奥にある、何もない空洞のはずの場所へ。僕の奥の奥へ。
僕はガタガタと震えながら、包帯さんの口に蹂躙され続ける。
「グワッハハハハハハ!!! またやりすぎたわアアアアアアア!!」
豚の声が焚き火に近づいてきた。
「奴の首はどこだアアアアアア!? 下僕ども、探せエエエエエエエ!!!」
舌の感触が消え、包帯さんの顔が、僕の顔からすうっと離れてゆく。
「下僕ー!!! ……あ、俺様が壊しちまったかアアアアアアア!!!グワハハハハハハ!!!」
誰かの手が、僕の頭をやさしく持ち上げた。視界が高くなってゆく。
すぐ目の前に、こちらにまだ気づいてない豚がいた。
「首はどこだアアアアアアアア…………ア?」
こちらに気づくと、豚はきょとんとした顔になる。
僕は誰かの腕に抱えられた。右の額のあたりに柔らかいものが当たる。
そして、僕のすぐ上で誰かがこう言った。
「さあ、反撃の時間だよ、豚くん」
「ア? アアアアアアアア!? なんで?」
豚の疑問には答えず、僕を左手でかかえてる人……もう間違いなく包帯さんだけど……は、右手の手のひらを前に突き出し叫んだ。
「<穴穿つ氷の弾丸!>」
手のひらがバッ! と発光し、一抱えもある青白い塊が飛び出して……豚のすぐ横を飛んでいき、後ろの太い樹に当たるとスコンときれいな穴をあけた。
なんだそれ。当たったら即死だ。可哀想な樹は、バキバキと音を立てて倒れはじめる。
「……威力が強すぎてブレるとは……。骨くんのノウォン、これほどか」
包帯さんのつぶやき。豚はようやく我にかえると、素早く飛び下がっていた。さすがの反応、と言ってもいいのかもしれない。
「て、てめえエエエエエエエエ!!! なんなんだアアアアアア!!! 闇舌蛇!!!」
すぐさま攻撃に移る。左手の箱をぐっと突き出すようにして、何かを吐き出す動作をする。すると、豚の口から黒いものが飛び出してきた。
蛇だ! 闇でできた蛇が、牙を見せながら飛びかかってくる! 表面でキラキラしているのは鱗だった。
「<引き裂く水輪!>」
包帯さんの右手が、手刀を作って袈裟懸けに振り下ろされた。
物凄い勢いで回転する青い円盤のようなものが、その手から斜め向きで飛び出してゆく。
円盤は蛇の顔にぶつかり……あっさりと切り裂いた。蛇の顔は右眼を境目にして、左下と右上にべろんと分かれる。
勢いは止まらず、シャアアアッ、という音とともに、真っ黒な身がみるみる裂かれてゆく。
迫る風の円盤の向こうには、嘔吐の姿勢のまま驚愕して目を剥く豚の顔があった。
円盤はそのまま、豚の顔を袈裟懸けに断ち割った。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
血を振りまきながら絶叫すると、豚の身体は箱といっしょに後ろに倒れてゆく。
「アアアアアアアアア……!! アアアアアア……アアアアアア……アアア……アア……」
地面を打ってバタンバタンと暴れる音が、声とともに少しずつ小さくなってゆく。
やがて、声も音も聴こえなくなった。
「……やれやれ、なんとか切り抜けたか」
包帯さんの声。
僕は両手でそっと持ち上げられ、ぐりんと百八十度向きを変えられる。
そこには、銀髪の美しい少女……包帯さんの、悲しげな顔があった。
「何もかも、君のおかげだ。ありがとう……」
心なしか、包帯さんの目が潤んでる。
「そして、ごめんよ。君からむりやりもらった力で、君のかりそめの生も奪ってしまったよ……。ボクは本当に酷い女だね。ごめんよ、ごめんよ……」
包帯さんは僕を胸に押し当てると、ぎゅっとかき抱く。鼻をすする音がした。
包帯さんを助けたかったのは僕だ。気にしなくていいですよ。
声が出せなくてもそう伝えたくて、僕は小さく口を動かす。
「なっ……!!!」
とたんに胸から離され、また両手で持たれて包帯さんの顔と対面することになった。
「き、君……まさか……」
よくわからない。とりあえず口をパクパクさせる。
「なんで、動けるんだーっっ!?」
僕ははじめて、包帯さんの心底驚愕した声を聴いた。
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