第2話 豚に喚ばれた悲しみは
「ひい、ふう、みい……よお……いつ……い……ええと……ブワッハハハハ、いっぱいおるワアアアア!!!」
僕を呼んでた神秘的な声の持ち主は、五つまでしか数を数えられないらしい。
こんなのに呼ばれてここまで来て寒さに震えてる僕の悲しみ、誰とも共有できそうにない。隣にいるの、骨だし。
いま僕と骨たちの前にいるのは、豚人間だ。
顔は豚なのに、二本の足で直立してる。反り返って大笑いしてる。
よく見ると、基本は豚だけど口のあたりだけ猪っぽい。かなり大きく裂けて、両端から牙が飛び出てる。暗がりの中で、たいまつの火に下から照らされてると相当やばい。子供は泣く。僕もちょっと泣きそうだ。
身体は見上げるぐらい大きいのに、贅肉でぶよんぶよんだった。肩はなで肩だけど腹回りが凄い。
そしてなぜか、身につけてるのは黒いぴったりしたタイツだけだった。何が怖いって、その意味不明な格好が怖い。なぜ上半身裸。この小雨の降る森の中で。
「ふむウ、ふむふむふむウウウ!!! ヘンなのも混じっておるガア!!!」
え、僕のほうを見た。眼は小さくて丸いけど、なんか赤く光ってるんだよ。見るからにイッちゃってる。
目をつけられたらやばい。本能が危険だと叫んでる。
「……ま、よかろウウウ!!!」
まあよかったらしい。視線が外れて、僕は心底ほっとする。
豚はどこからか青い箱のようなものを取り出して手に握ると、怒鳴りはじめた。
「よおおおおおシイイ!!! この、トンジン死霊邪術師、グブードン様が、命じるわアアアアアア!!!」
トンジン。トンジンてなに? ……あ、豚人か。
ということは、この二足歩行の豚は、やっぱり人族の一種なのか。
僕は隣りにいて豚のほうをじっと向いている骨に、ちら、と目をやる。さっき、真っ先に出会った骨だ。僕よりだいぶ背が高くて、見上げる感じになる。
暗いけど、横から見るとはっきりわかる。この骨も、人間の骨じゃない。身体は人みたいだけど、頭骨の鼻と口が前に突き出て、口がかなり大きい。トカゲとか、たぶんそのへんの骨格だ。
視線を察知したのか、骨の頭がぐりん、と僕のほうを向いた。正面から見ると、頭の両脇に短いツノがあるのがわかった。
ぱくぱく、と骨が大きな口を動かした。怖い。
怯えながら、とりあえず小さくうなずいてみた。
骨もうなずき返す。意思疎通できてる感じになったが、もちろん骨の考えてることは僕には微塵もわからない。
見つめ合ったままどうしようかと悩んでいる時、頭の中に声が響いた。
<この近くにいるはずの、女を探すのです……。>
僕を呼んだ、清らかな響きの神秘的な声。逆らえない、逆らいたくない気持ちにさせる声。たぶんこれ、なにかの魔術の声なんだ。
<探しなさい。銀の髪の、若い女です……。>
「ブワッハハハハハハア! 俺様の邪術ボイスが届いたかア?」
やっぱりこのきれいな声、半裸の豚が出してるらしい……。つらい。もう何も信じられない。
「わかったら行けエエエエエ! わが下僕どもオオオ!」
豚が青い箱を振り回して号令すると、骨たちが一斉に、バラバラの方向へ動き出した。
僕と向き合っていた蜥蜴人っぽい骨は、す、と手を僕のほうに差し出す。手首に、青い石の腕輪がはまっているのが見えた。はめたまま葬られたのか。
びくり、と警戒する僕の頭を軽く撫でて、ガラ、ガラ、と乾いた音を立てながら歩み去っていった。
なんだあれ。
……呆然としてる間に、僕の足は勝手に動き出していた。
<行くのです。動くのです。何も見逃してはなりません……。>
優しげな声が今は物凄くうっとおしいけど、この声には逆らえない。
豚の命じるまま、僕はまた、暗い森の中へ戻っていった。
☆★☆★☆
目の前に樹の幹が現れる。よけて歩く。また樹の幹が現れる。よけて歩く。飛び出た根に足を取られそうになる。またいで、また、樹をよけて歩く。ときおり吹きつける冷たい風に逆らって歩き続ける。僕を呼んだ者の命じるままに。
ひとつさっきまでと違うのは、呼びかけてくる声が途絶えることなくしゃべり続けていることだ。
<いいですか、女ですよ。若い銀髪の女、まだ子供に近いそうです。隠れているでしょうから、何かあったら見逃さないように。>
まあ、このへんの確認はいいとしよう。
<それからついでに、樹の根っこに茶色いカタマリみたいなものが見えたら採取しておきなさい。トワレキノコといってとても美味ですからね。いいですか、色は茶色で、模様がないやつですよ。黒い縞があるキノコと間違えてはいけません。それはドドアレキノコという毒キノコですからね。間違えたら承知しませんよ。あ、あとトワレキノコを採るときは、傷つけないようまず周辺の土を掘るのですよ。強引に引っこ抜いてはいけません。いいですか、注意点としてはですね……>
途中からキノコの話になって、いまはもう完全にキノコ採り講座になってる。なんという魔術の無駄使い。これをずっと聞きながら凍えるような小雨の中を歩く僕の気持ちになってみてほしい。心も身体も冷え切ってる。歩いても歩いても、寒さがつのるばかりだ。
あ。
何かが見えたような気がして、僕は立ち止まった。
なんだろう、いまたしかに目の端に、光のようなものが映った気がする。
僕は目を凝らしながら身体を回し、あたりを見回す。何もない。あるのは木立だけ。
でも、何かが見えたんだ。
心を鎮める。感覚を研ぎ澄ます。そしてもう一度、ぐるり、とあたりを見回す。
……木立の奥に、ふっ、と光が見えた。あ、と思った時は消えていたが、それでも、一瞬だけたしかに見えた。
僕は集中した状態のまま、ゆっくりとそちらに向かって歩きだした。
あの豚の魔術の声は、いつのまにか聴こえなくなっていた。
☆★☆★☆
木立の奥の光に一歩ずつ近づいてゆくにつれ、僕の期待はいやがうえにも高まる。
ああ、見えてきた、見えてきた、間違いない!
焚き火だ。焚き火がある。
林の中にわずかに窪んでひらけた場所があって、その窪みの底に、オレンジ色の小さな火が燃えてた。
見たところ、誰もいない。布に包まれた大きな細長い荷物のようなものが、炎のすぐ横の地面に横たえてある。
火のそばに辿りつくと、ただじっと、ゆらめく炎を見つめた。その美しさと暖かさに魅入られそうだった。
身体がふらふらと火に突っ込みそうになるのを、やっとのことでこらえて、僕はどさっとその場にへたり込んだ。
自分が今までどれだけ冷え切ってたか、あらためて思い知る。
火のぬくもりは、まるで天上の美味みたいだった。あるいは至高の音楽みたいだった。感覚が入りまじるぐらいの快感と安堵。
僕はかじかんだ手を、いそいそと火のほうに近づけて掌を広げた。
そして、自分の手を明るいところで初めて見た。
うん。
そうだよね。うすうすわかってた。
……僕の手には、肉がついてなかった。
両手を広げてじっと見てみる。小さな骨が組み合わさってる。手をぶるぶると振ると、カラカラ、と軽い乾いた音がする。
よく見ると、骨と骨の間はごくわずかに隙間があいてた。どういう理屈で動いてるんだろう、僕。
足も、腰も、骨だった。お腹は、スカスカだった。指入れたら背骨に直接さわれた。
そうじゃないかとは思ってたけど、あらためて確認するとやっぱり衝撃的だ。
僕はたぶん、あの豚に召喚されて、かりそめの命を得た死人なんだ。
全身から力が抜けて、僕は横にぱたりと倒れた。
地べたに顔をつけたまま、じっと燃えている火を見る。
……この中に飛び込んじゃおうかな。でも無駄か。もう死んでるし。
泣きたいけど涙も出ない。
「ねえ、何を悩んでるんだい、小さな骨くん?」
炎のむこうで、荷物に見えた布のかたまりから声がした。
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