眠りの森


 少女が目が覚めたのは、いつもの森の中でした。幾筋もの白い光が斜めに降り注ぎ、白い霧がまだらにたちこめる森の中を柔らかく照らしています。木漏れ陽が少女の頬をくすぐるように撫でています。


 少女は身を起こそうとして、ふと気付きました。今日は一人で寝たはずなのに、誰かと手をつないでいます。



「ソウ」


 見なくてもわかっていました。この手は間違いなく、弟の蒼一のもの。



 ふたりは同時に跳ね起き、しっかりと抱き合いました。手を離しても平気です。だってこの森は、ふたりの森なのだから。




「やっと会えた」


 蒼一の肩に顎を乗せ、碧は大きく息を吐きました。蒼一は両腕に力を込め、碧をさらに強く抱きしめます。


「ミィがここに来る時、いつも僕が一緒にいたよ」


「なんか、そんな気がしてた。ソウの姿は見えなかったけど、手を繋いでる感じがしてた」

「うん。繋いでたよ。いつもみたいに」


「だから、ここに居ると安心するんだ。ずっと居られればいいのに……ねえソウ、最近あたし、ここに長く居られないの。すぐに目が覚めちゃう」


「うん。身体が元気になってきてるんだよ、ミィ」


 ふたりはお互いに腕を離し、向き合いました。



「だから長く居られないの?」

「そうだよ」

「でも前は一晩じゅう遊んでられたじゃない」

「それは二人とも、生きてたからね」


 蒼一は笑いながら言いましたが、碧は少し俯いてしまいます。


「森の中も、だんだん明るくなってきてたでしょ?」

「そういえば……最初はもっと、薄暗かったね」

「だね。心配したけど、最近はずっと明るくなった。前に遊んでた時と、同じくらいに。ミィの心も、元気になってきたからだよ」


 碧はますます俯いて、小さな声で聞きました。


「あたしが元気になったから……会いに来てくれたの?」

「違うよ、ミィ。ほんとはわかってるでしょ?」

「……わかんない」

「嘘だ」

「もう、会えないの? なんで?」

「今日で最後だよ。僕らが死んで、49日経つからね」


 ふいに、霧が晴れました。


 蒼一の背後に、両親が立っています。



「お母さん! お父さん!」


 碧は飛びつくように、二人に抱きつきました。両親も膝をつき、碧を全身で受け止めます。蒼一も一緒に、家族4人は抱き合いました。



「私たちも、いつも見てたよ。碧」

「碧、よく頑張ったな。すごく偉かった」

「夜になるとベッドの中で泣いてたのも知ってる」

「でも朝になると頑張って起きて、お勉強もちゃんとやってたね。ちゃんと見てたよ」

「病院でいろんな人を助けたね。すごかったね」


 お父さんもお母さんも言いたいことがたくさんありすぎて、次々に話しかけます。  

 碧は大きな声で泣きました。父と母の首に細い両腕を回し、強くしがみつきながら。小さな碧の背中を、両親と蒼一の腕がしっかりと抱き返します。



 碧には、ずっと言いたかったことがありました。でも、言っていいのかどうかわからず、我慢していたのです。なんとか泣くのをやめ、心を決めて言いました。


「あたしも一緒に連れてって」


 両親は腕を解こうとしましたが、碧はぎゅっとしがみついてふたりの肩に顔を押し付けたまま、動きません。



「それは、出来ない。お前だけでも、生きるんだ」

 お父さんが、静かな声で言いました。


「あなたが生きている限り、見守ってるから。いつも一緒にいるから」

 お母さんの声は、少し涙まじりに聞こえます。


「どうして」


 うんと小さな子が拗ねているみたいな声です。ちょっとえみりちゃんみたいだな、と碧は少しだけ恥ずかしくなりました。


 蒼一がすっと離れ、碧の肩に手を載せます。



「あのね、ミィ。天国ってポイント制みたいなものなんだ」


 びっくりして、碧はしがみつく腕を緩めて蒼一を振り向きました。


「ポイントって、ポイントカードみたいなやつ?」


「あはは、そうだよ。生きてる間に貯まったポイントは、死んだ後に自分で使い道を決められるし、天国で仕事をすればまた増やせるの。お父さんとお母さんは」


 そう言って両親に視線を向けます。碧もつられて顔を見ました。お父さんもお母さんも、目に涙を溜めながら微笑み、頷きます。


「お父さんとお母さんは、持ってるポイントをミィを護るために全部割り振ることにしたんだ。僕は生まれ変わるのに全ポイント使う。子供は早く生まれ変われるからね。3人で話し合って決めたんだよ」


「じゃあ、お父さんとお母さんは生まれ変われないの?」

「ううん。家族を護る間にもポイントは新たに貯めていけるから、いつかは生まれ変われる。でも、こうして会うのにもポイント使っちゃうからね、会うのは一度きりにしたんだ」


 碧は少し考えて、頷きました。


「ちょっと待った。碧、これだけの説明でわかるのかい?」お父さんが驚いて尋ねます。


「うん。なんとなくわかる」


 当たり前のように、碧はこっくりと頷きます。


「49日までは少ないポイントで会いに来られるんでしょ。でも、あたしを護るためにポイントを節約してるから、最後に一度だけ会いに来た。ソウとあたしは双子だから、直接会わなくてもここでならちょっとだけ繋がれたの」


「そこまで……」

「ソウの頭の中、なんとなくわかるから。でも、やだよ。あたし、お父さんとお母さんに会いたい。夢でも幽霊でもいいから……」


「ミィ」


「……ポイント、使って会いにきてよ。護らなくていいから」


「ミィってば」


「ソウはさっさと生まれ変わってから、急いで会いに来て。でも」


 碧は地団駄を踏んで言い張ります。



「碧。お父さんとお母さんは、お前を全力で護る。それが親の仕事なんだ」


 お父さんは静かな声で、でも碧の目をしっかり見据えながら言いました。こういう風に話す時のお父さんは、絶対にわがままを聞いてくれないことを、碧は知っていました。


「あなたが生きている限り、私たちはあなたを護るの。もちろん、蒼一が生まれ変わったら、蒼一のこともね」


 お母さんの声は優しくて、碧の気持ちを落ち着かせます。お母さんは、嘘を言いません。ああ、本当に無理なんだな……碧にはそうわかりました。心にストンと落ちてくるみたいに。


「お父さんたちだって、お前に会いに来たい。でもね、碧。それよりも、お前が立派に大人になって幸せになってくれることが、何より大事なんだよ」

「目に見えなくても、いつも一緒にいるから」


「……わかった」





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