第6章
703号室 延江蒼一
その日、蒼一の病室には、ジョーを除いた例のメンバーが集っていた。淡い水色の部屋の隅にある小さな応接セットに、皆が縮こまってひしめいている。
「え。じゃあ上条さん、6曲全部覚えるの?」
極限まで声をひそめつつ、蒼一は瞠目して身を乗り出した。
上条、というのはジョーの本名だ。上条悟志。本業はピアノ調律師だが仕事が少なく、アルバイトとの両立で生計を立てている。
塚田の娘、えみりの特に好きだった曲を覚えて夢の中で完全再現し、現実世界への興味を引き立たせる気なのだ。
「そう。大忙しだって」
「すごいよな。短期間で6曲も。絶対音感ってのもあるらしいぜ」
「ただの、キレて暴れるお兄さんじゃないんだ……」
蒼一の正直な感想に、みんな爆笑してしまう。
ひとしきり笑ったところで、もっちがパチンと手を叩いた。足元の大きなトートバッグの中を探りながら、話し始める。
「でね、私たちも何か出来ないかと思って、相談したの。私は、料理が得意だから……これ。えみりちゃんが大好きだったミルクゼリーと、かぼちゃの蒸しパン。食べてみて」
「いただきます」
一斉に手が伸び、各々ぱくつく。テーブルの上の白い箱は、あっという間に空になった。
「どうかな。塚田さんに監修してもらって、なるべく再現してみたんだけど」
「うまい。めちゃうまいよ、もっ……素子さん」
「うん。どっちも優しい味で、美味しいです」
クウヤこと米崎空也と、マリンこと乾沙織の素直な感想に、高柳素子は嬉しそうに細い肩をすくめた。
「本当は魚さばいたりとか、和食系が得意なんだけどね。頑張ってみた。夢の中で出せるかは、まだわかんないけど……入眠中に、えみりちゃんの側に現物を置いておいて、香りでの刺激もしてみるって」
「なるほど。夢の中と外から刺激するわけだ。でも、出せたとして、物を食べられるのかな。夢ん中で」
竹内清彦、タッキーが疑問を呈する。
「え、俺食えるよ。ふつーに」
「私も食べたことあります。夢の中で」
「なあ」
「夢の中で食べたものを現実で作ってみたり、とか」
「いや、俺はそれはないけど」
「えー……俺、食えたことない。いつも食べる直前で邪魔が入ったり、目が覚めたりするんだけど」
空也と沙織の掛け合いを羨ましそうに見ていた竹内が、蒼一に助けを求めるような視線を送った。
「そうちゃんは? 夢の中でなんか食べたことある?」
うーん、と少し考え、「無いと思う。覚えてる限りでは」と答えた。
「おお、お仲間」
竹内が嬉しげに差し出した手を握り、握手を交わす。
「あーあ」
空也は遠慮がちに伸びをして、首をコキコキ鳴らした。
「俺にもなんか出来ないかなあ」
「米崎さんは、プロのスポーツ講師でしたっけ?」
「惜しい。スポーツ講師を養成するための学校の、講師」
「ややこしいな。要は先生の先生か」
「そ。体動かすことぐらいしか、取り柄無いしなぁ」
ぎゅっと詰めて座っているソファの上で、空也が正拳突きを繰り出す。両隣の二人は少し迷惑そうだ。
「踊るのは?」
蒼一が何気なく言った一言に、空也の動きが止まった。蒼一の隣で、素子が「あは」と短く笑う。
「上条さんの演奏に合わせて、踊るの」
「いいじゃない、それ。よねっち、振り付け当ててよ。あたしも踊るよ、向こうではムッキムキだけど」
「それは、あの……私も、でしょうか」
「自由参加で」
「さんせーい。俺も踊る。かわいい振り付け考えてよぉ」
竹内が高く手を挙げ賛成の意を示し、上半身のみで奇妙な動きの踊りを始めた。それを見た沙織は、一気に心細げな声になる。
「米崎さん、なるべく覚えやすいのでお願いします。私、あまり自信が……」
思いつめた表情で迫る沙織を、空也は手をかざして制した。
「待て待て待て。俺はまだ、やるとは」
おかまいなしに、竹内がスマホを操作して曲をかけ始める。
「こういうの、どう? はい、みーぎ、ひだり、ワンツー・パッ」
「えっ、早い。ちょっと待ってください」
慌てて沙織が立ち上がり、竹内の動きを真似る。
「違うって、さおりん。こうよ、こう」
素子も立って踊り出す。
「夢の中じゃビルのてっぺんまで駆け登れるこの俺が……驚異の飛距離を誇るジャンプが自慢のこの俺が……踊る、かぁ」
ブツブツ呟きながら、いかにも仕方なさそうに空也が立ち上がる。
「ここはもっと、こう動いた方が子供の視線を」
「おー、なるほど。さすがはプロ」
皆が立ち上がり、ああでもないこうでもないと言いながら踊り始めたところで、病室の扉が開き怖い顔をしたベテラン看護師が現れた。
「あなたたち、他の患者さんの迷惑です。外でやりなさい」
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