えみりちゃん覚醒大作戦


 眠ったままの娘を目覚めさせるためのプロジェクト、その初期の頃のこと。

 初めて娘のムーグゥに入った妻は、目覚めると泣き崩れた。もう一度、私をあそこへ戻して。夢の中でいいから、もう一度娘を抱きしめたい、と。


 娘に目覚めるよう精一杯語りかけることと、時間になったら戻ることを強く言い聞かせ、妻をまた娘のムーグゥへ送った。だが、妻はそれきり戻らなかった。

 こちらからの呼びかけに一切反応せず、どうしたものか、装置の強制終了の能力をダウンさせてまで、そこに留まった。



 そんな妻を連れ戻すべく、彼らメンバーは娘の不安定なムーグゥに入り、そして失敗した。

 彼女の夢に先に入り込んでいた妻は、すでに夢に取り込まれてしまっていたのだ。いや、彼女が進んで取り込まれたという方が正しいのかもしれない。


 彼らの報告によれば、妻の身体はぶよぶよと柔らかい大きなソファの様な形に変化を遂げ、慈愛の表情を浮かべて生まれたばかりの赤子を抱き、優しく揺すっていたのだと言う。


 幼くして眠りについた娘の夢世界は、今までの患者のものとは全く異なっていた。

 それはおそらく、言語も環境認識も朧げなまま夢の世界を構築していたためだろう。空間が非常に脆く不安定で、絶えず収縮を繰り返し上下は反転、内と外の区切りも曖昧で混沌とし、物の形も覚束ないというのだ。

 もちろん、夢の場を安定させるためのカウンセリングも効かない。カウンセリングをするにもまだ幼すぎるし、そもそもずっと眠ったままなのだ。

 それはつまり、ということだ。


 彼らは不安定な夢の中に入ると同時に異物と見做され、攻撃された。いや、攻撃というより、彼女の夢に飲み込まれかけたのだ。

 危険を察知したもっちが、ジョーに子守唄を奏でさせて音楽に興味を向かせた隙に、夢に絡め取られかけていた彼らを力ずくでシェルの中へ収容し、最後にジョーもろとも転がり込んで強制離脱した。


 幾度も改良を重ねながら築いてきたこのシステムにとって、それは、初めての危機だった。

 大人の常識を知らない彼女の夢は、その分自由で、ある意味強固だったのだ。


 その後、妻の方のムーグゥに入ることも試みた。が、彼女のムーグゥは当初の設定からかなり変貌しており、柔らかな白い光に満たされたがらんどうで、時折遠くから子守唄が聞こえてくるのみだった。




「現在のムーグゥのシステムでは、娘さんの夢には危険過ぎて入れず、奥さんの夢には入れても干渉の手段がない。でも、ミルカの……いや、そうちゃんの能力なら、奥様をそうちゃんの夢に連れてくることが出来る。眠りの森の中で奥様を説得した後に、改めてみんなで奥様のムーグゥに入る、と」


「そういうことです」

「で、奥様のムーグゥの中で遮断した強制終了機能を復活させ、現実に戻ってくる」


「……出来れば、自発的に戻ってくれると良いのですが」


「んで、戻って来た奥さんはもう一度娘さんのムーグゥの中に入り、娘さんを実年齢に近く成長させ、その夢世界を徐々に安定させて、最終的に娘さんを覚醒させる……」




 皆、口を噤み黙り込んでしまう。一様に眉をひそめた大人たちの顔には、似たような表情が浮かんでいる。


 ……そんなにうまくいくのか? と。



「あの、よくわかんないんだけど」


 蒼一が無邪気に声をあげた。注目が集まる中、蒼一は塚田所長を見上げた。


「ぼくが、娘さん……名前、何ていうの? えみりちゃんを、ぼくの森に連れてきちゃ、ダメなの? 起きたら楽しい事いっぱいあるよ、美味しいもの食べれるよって言ったら……」


 塚田所長の顔が悲しげに曇るのを見て、蒼一の声は萎んでしまった。


「えみりはね、今、夢の中でうんと赤ちゃんの頃に戻ってしまってるんだ。お母さんに抱っこされて、赤ちゃんに戻って、満ち足りて眠っている。だからきっと、そうちゃんの眠りの森に入っても、赤ちゃんのままだ。私は……そう、推測しています」


 最後だけ、全員に向けた言葉だった。



 彼らは皆、視線を上げられなかった。各々、前回の夢の中のことを思い返しているのだろうか。互いに目を見交わすこともしない。


 ただ一人、蒼一を除いては。



「そっか。えみりちゃん、早く起こしてあげたいね。せっかく生きてるのに、お父さんもお母さんもちゃんといるのに、寝たままなのは可哀想。起こさなきゃダメだよ。心臓が、動いてるんだから」




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 桃香から報告を受けた亀山院長は、しみじみとため息をついた。


「そうですか……強く、なりましたね」


 ええ、と桃香も同意する。


「私、てっきり思っちゃったんです。『お母さんに抱っこされて幸せに眠っているなら、そのままでもいいじゃないか』って言うのかな、って。でも」


 指先で、滲んだ涙をそっと拭う。


「子供って、そうは考えないんですね。強いわ。私なんかより、ずっと」



 亀山はベッドを覗き込み、穏やかな寝息を立てている蒼一の頭を優しく撫でた。


「この子なら、きっと上手くやれる。塚田の娘も奥さんも、自分自身のことも」



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