桃香の家


 車をガレージに入れながら、江木亮介は快活に笑った。


「あっはっは、楽しそうな人たちじゃん」


「楽しいのは確かにそうなんだけど、びっくりしちゃった。だって外見たら、みんなで整列して踊ってるのよ? しかも、他の患者さんたちも混じって」


 桃香は、姉を見舞った際に何気なく外を見た時の驚愕を語った。米崎空也を手本に、子供向けの曲で大勢が一斉に踊っていたというのだ。



「あの病院には長く通ってるけど、あんな光景初めて見たわよ」

「さすが、プロスポーツ講師だ」

「プロスポーツ講師を育成する、講師ね。正しくは」


 

 亮介には、蒼一がとある睡眠外来のクリニックから依頼を受けたことまでは、既に話してあった。

 彼らはそこで偶然出会った人達なのだと説明した。が、彼らの活動内容についてはやはり、秘密厳守だ。

 


「俺も見てみたかったな。動画でも撮っておいてくれればよかったのに」

「あー、思いつかなかったわ。それ」



 車から降り、狭いガレージをすり抜けて奥の玄関を開ける。すぐに亮介も追いついた。


「今日は江木くんの当番だよね。晩御飯、何?」

「ホタテのカルパッチョ。ポークソテーの玉ねぎポン酢ソースに、マッシュポテト添え。あとは、サラダ。肉焼くだけにしてあるから、すぐ出来る」


「やったぁ、美味しそう。手洗ってくる」



 桃香は脱いだ靴をなおざりに揃えると、玄関からまっすぐに洗面所へ向かった。亮介は、上がり框に置きっぱなしの桃香のバッグを取り上げ、共用のリビングダイニングへ。

 テレビ台の脇に桃香のバッグを置くと、キッチンへ入り手を洗った。

 仏壇のある奥の和室から、「チーン」とお鈴の音が響く。いつもの様に、両親にただいまの挨拶をしているのだ。少し待つと、襖を閉める音が聞こえた。



「夢バケと冷凍のご飯があるけど、どっちにする?」


 廊下の向こうへ届くように大声で聞くと、「夢バケー」と桃香の声が返ってきた。

 夢バケというのは、亮介の恋人が勤める「夢心地」というパン屋さんの「夢心地バゲット」のことだ。


 階段を駆け上がる軽快な足音を聞きながら、亮介はバゲットを切り分け、オーブントースターに入れた。冷蔵庫から豚肉を取り出し、フライパンを火にかける。フライパンにオリーブオイルを垂らすと、華やかな香りとともに薄い煙が立ち上った。





「やっぱ、江木くんのオシャレ料理は美味しいねえ。すぐにお嫁に行けるよ」

「今日のは別に、オシャレってほどでもないだろ。それにお前の『漢の大皿料理』だって美味いよ。おふくろの味的な」


 亮介が慣れた手つきで皿を洗い、桃香がそれを拭いて仕舞う。


「誰が漢の大皿料理よ。私のはお母さん直伝だからね」

「盛り付けがガサ…豪快なんだよ。おばさんの料理、旨かったもんなぁ」


 盛り付けがガサツ、と言いかけ、慌てて言い直した。桃香は気にする風でもなく、亮介は胸をなでおろす思いだ。



 夕食の後片付けを全て済ませた桃香は、いそいそとリビングへ駆け込むとテレビの前のクッションに倒れこんだ。


「ハァ~、お腹いっぱいだぁ」 

「食ってすぐ寝ると、まだらの牛になるぞ」

「ちょっと。お父さんみたいなこと言わないでよ」


 亡き父によく言われた言葉だった。何故わざわざ「まだら」の牛なのかというと、「斑」と「ダラダラ寝る」をかけている。いわゆる親父ギャグだ。



「おじさんの代理で言ってるんだ」

「もう、口うるさいなぁ……あ、壁紙直ってる」


 桃香はやおら起き上がるとリビングの隅に行き、背伸びして天井の一角を眺めた。


「わあ、綺麗にやってくれたんだ。お休みだったのに、悪いね」

「いやいや。おじさんにもおばさんにも世話になったしな。そのうえ今じゃ、格安の家賃で住まわせて貰ってるんだから、当然これぐらいはやりますよ。それに、梨花が帰ってきた時に、ボロボロの家じゃ可哀想でしょ」



 ……そうだね。実家ももう無いし、帰ってきたのが知らないおうちな上に、おんぼろハウスじゃ、あんまりだよね。

 

 少ししんみりした気持ちになり、キッチンでまだゴソゴソしている亮介に、桃香は改まって頭を下げた。


「うん。本当に助かる。ありがとう」

「なんだよ今更。別にこっちは本職ですし、ささっと出来ちゃうから」


「空間プロデューサーって、壁紙張りまでやるの?」

「普通やらないだろうけどさ。ちょこちょこ手伝ったりするうちに、色々覚えるね。俺、手先器用だし、お客さんも喜んでくれるから」


「かっこいい仕事かと思ったら、案外大変なんだね」

「頑張らないと家賃払えないんっすよ、大家さん」

「では頑張ってくれたまえ、店子さん」



 キッチンに入り、亮介の様子を覗き見る。


「何してるの? コーヒーでも飲む?」


「お、いいね。飲みたい。これは、明日の朝のぶんだよ。朝一で宇都宮に出張入ったから、1時間早く出るんだ」


「宇都宮かぁ。いいねえ」

「別によかねーよ。晩飯は済まして帰るから」

「了解。餃子買ってきてね」


 亮介は手を止め、コーヒーフィルターをセットしている桃香をまじまじと眺めた。


「……満腹の状態で、よく餃子とか出てくるな」

「食いしん坊で悪かったわね」


 ……まぁ、今に始まったことじゃないか。亮介は口の端で微笑んだが、何も言わずに流すことにした。

 簡単なサンドイッチをいくつか、きっちりとラップで巻いたものを2セット。皿に乗せて冷蔵庫へ入れる。


「これ、ついでにお前の分も作っといたから」

「え、やったぁ。ありがとうございます!」

「パン余ってたし、ついでだから」


 ふぅ、と息を吐き、亮介は腰に手を当ててドンドンと叩いた。頭を軽く反らせ、小さく呻きながら伸びをする。


「あ。腰、痛いって言ってたね」

「ああ。デスクワークが続くと、どうしてもね」


 桃香が電気ポットから器用にお湯を注ぎ入れ、新鮮なコーヒーの香りが立ちのぼる。

 わざわざお湯を沸かし直すぐらいなら、電気ポットから出るお湯の量を上手く調節する技術を身につけてしまう。そういう横着なところが実に桃香らしく、真面目で几帳面な亮介は少し歯痒く思う反面、羨ましくもある。


「さっき話した人達の中に鍼灸師さんが居てね、江木くんのこと話したら、うちにおいでって。お友達割引きで診てくれるって言ってたよ」

「おお……でも、鍼か。怖いなあ。その人、腕いいの?」


 チョロチョロと音を立て、サーバーにコーヒーが溜まっていく。サンドイッチの残り香とコーヒーの香りが混じり合い、なんとも香ばしい。


「いや、知らないけど。なんかわりとファンキーな感じの人」

「ファンキー鍼灸師ぃ? どんなだよ。やっぱ怖いな」

「あ、江木くん。牛乳取ってくれる?」

「はいよ」


 冷蔵庫から牛乳を取り出し、少しだけカップに注ぐ。桃香の好みは把握していた。亮介自身は、ブラックで飲むのが好みだ。


「梨花のマッサージしてくれたの。上手いかどうかはわからないけど、仕事は丁寧だったと思う」

「そうか、行ってみるかな」


 コーヒーを注ぎ分けた桃香がブラックのマグを差し出し、亮介は湯気の昇るそれを受け取った。


「しかもね、いつも何かしらのバンドのツアーTシャツ着てる」

「それはいいだろ、別に」



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