第24話 死に神
「知っていますか? 穂乃実さんのお相手の史哉さんのお父さん、お父様もお母様も子どもの頃亡くなって苦労されたという話は聞きましたでしょう? だから息子さんの結婚をすごく喜んでおられましたよね? とってもいいお父さんです。そのお父さんこそが、清一郎さんがどこの誰とも分からない夜の女に愛情も何もなく産ませた子どもなんですよ」
老婆はさすがにギョッと固まった。
「知りませんでしたか? でも、史哉さんには清一郎さんとどこか似た面差しがあると、心のどこかで思っていたんじゃありませんか?」
老婆は紅倉を睨んだ。
「どういうことだい? ……あの人が…、わたしへの復讐に孫をよこしたとでも言うのかい?」
「復讐、と思いますか? 素直に自分の果たせなかったあなたと結ばれると言う夢を、孫の代で成就させたいと願った、単純にそう思いません?
あなたがそれを復讐と考えるのは、あなたの心に清一郎さんに対する恐れと、後ろめたさがあるからです。
いいんですよ、そんなこと思わなくても。清一郎さんは大店の跡取り息子という恵まれた立場にあり、あなたと別れた後も、いくらでも幸せになれる環境にあったんです。好き合った女性と無理やり別れさせられて、周囲を恨む気持ちもあったでしょうが、妻となった女性や、遊びで作った子どもを、傷つけ不幸にする資格なんてありはしない。それは、男のエゴで、清一郎さんの罪です。地獄に落とされ、裁かれるべき罪です。正しい生き方をしてきたあなたに後ろめたく感じる必要なんてない。
本来、清一郎さんは一人で勝手に地獄に落ちて、勝手に苦しむべき身の上だった。地獄の閻魔様に捕まって、地の底でのたうちまわっていればいい魂だった。
その後の事件を起こすような力は、本来、清一郎さんの魂に備わるはずじゃなかった。
ところが、あなたの昔の恋人に対する断ち切りがたい未練が、清一郎さんの魂をこの世にとどまらせ続けた」
「そんなものは……ないよ…………」
「実はあなたも本心では清一郎さんを愛し続けていた。手紙を読まずに燃やしてしまったのは、その昔の恋心が再び燃え上がるのを恐れてのことだった」
「勝手なことを。まったく、人の話を聞かない女だねえ」
「あなたが清一郎さんと別れることを選んだのは、無理を通して結婚しても決して幸せになれないだろうという実に常識的な判断だった。それは、多分、正しかったのでしょう。その後のあなたの結婚生活がそれを証明しています。結婚とは当人同士だけのことではない、親族、環境、すべてと関係することだ。ですよね?
でも、あなたは必要以上に自由恋愛の結婚を憎む。出来ちゃった婚なんて以ての外。
それは、実は、そうした、自由、への強い憧れがあなたの心の中にあるからじゃないんですか?
あなたは自分の中にある、自分もそうしたかったという強い憧れ、つまり、清一郎さんを恋いこがれる気持ちを、無理やり否定して、押し込めようとしているんじゃないですか?」
「人の心を勝手に決め付けるんじゃないよ。あんたいったい何様さあ?」
「違います? まあいいわ。それは本題ではありません。わたしはオバケ退治屋ですからね。
清一郎さんは自分の孫と、あなたの孫を結びつけるため、邪魔な、それぞれの婚約者を呪い殺した。
幽霊なんてしょせん人の魂ですからね、死んだ人間の魂よりも、生きている人間の方がずうっと強いんです。にも関わらず、清一郎さんは二人もの生命力溢れる若者を殺すことが出来た。その背後に同じ場所で自殺した怨念どもの集まった魔界があるにしても、それはしょせんそこに近づいてきた死にたいと思っている人間に最後の決断を促し、その魂を自分たちの仲間に引き込むくらいの、いわば定位置の罠程度のもので、わざわざ出張していって若者を呪い殺すような芸当をする能力はないわ。
でも清一郎さんにはそれが出来てしまった。
その力を与えたのが、
あなたが過去に犯した、許し難い罪なのです」
紅倉はか弱い老婆を本気で怒って睨み付けた。老婆の方もブスッとした顔で睨み返す。
「なんのことやら、さっぱりだねえ」
「あなたはろくでもない穀潰しの小説家志望の若者の子どもを身ごもって逃げ帰ってきた娘淑子さんに激怒した。淑子さんがどんなに頼んでもそんなふしだら、絶対に認めなかった。……旦那さんは、その時はまだご存命でしたね? でも旦那さんもあなたの過去を知っているので、あなた同様淑子さんの味方にはならなかった。両親揃って、特に経験者のあなたが、一時の熱病に浮かされた結婚が後々どれほど不幸なことになるかとうとうと説得した。あなたにしてみれば現在の旦那さんへの義理立てもあったでしょう。何日間も説得され続けて、淑子さんがほとんど催眠状態になって駄目な恋人と別れることを決心したところで、あなたはまだ妊娠初期段階にあるお腹の中の子どもを薬で流すよう勧めた。しかし、それは淑子さんが頑として聞き入れなかった。娘の頑なさにあなたもあきらめた、かに思わせて、あなたは恐ろしいことをしました。
あなたは、そういうこと専門の女の祈祷師に依頼して、お腹の中の子どもを呪い殺させたのです。
呪いは成就し、娘さんのお腹の中で死んだ赤子は、外へ吐き出されました。
娘さんは泣きましたが、あなたはこれでよかったのだ、これが神様仏様のお導きなのだよと慰めました。とんだ神様仏様でしたね? あなたは、娘の赤ん坊を殺した、鬼婆あです。
全ては娘のため。そうして安心していたあなたでしたが、とんだ落とし穴がありました。娘さんが妊娠していたのは双子だったんです。姉は無事呪い殺すことが出来ましたが、妹の方は、気づくのが遅くて、堕ろさせるには母体が危険な段階になってしまった。まして一度無理に流させていますからね、本当に娘さんを殺しかねなかった。さすがのあなたもそこで観念し、赤ん坊を産ませる代わりに、きちんとした父親をあてがった。
ハアッ、ムカつく話だわ」
「うるさいよ」
「あなたが穂乃実さんを毛嫌いするのは、死者の片割れ、呪いから生き残った、バケモノのような娘だったからよ。フン、どっちが呪われたバケモノだか」
「・・・・・・・」
「あんたみたいな年寄りに睨まれたって怖くもなんともないわよ。醜い老いぼれめ。
祈祷師に、赤ん坊を呪い殺すため、あなたは自分の髪の毛を提供した。赤ん坊の首をくくる道具としてよ。
その呪い道具の髪の毛が、魔界の清一郎さんと結びついた。髪の毛、特に女の髪の毛は、そういう力が強いのよ。髪は女の命って言うのものねえ? ほいほい呪い道具に提供したりするものじゃないわね。
清一郎さんに人を呪い殺す力を与えたのは、あなたの髪の毛、いいえ、
祈祷師に娘の赤ん坊を殺させた、あなたの鬼の心よ。
娘さんの恋人は失意の内に海に身を投げて死んだ。同じ閂岩の。呼ばれたのよ、魔界に。
不幸にもそこを訪れてしまった孫たち。昔の恋を成就させるため、本来の運命の二人をめあわせるため、邪魔な恋人たちを呪い殺した。
死、死、死、死、死。みんなあなたの周りよ。
あなたは死に祟られている。恋人清一郎さんの死に祟られたあなたが、いっしょに死に神になっているのよ。
あなたが一連の不幸の元凶、
あなたが、 死に神、 なのよ!」
老婆は。
「わたしは……、誰も呪ってなんぞおらん………。誰の不幸も望んでなんぞ、おらん………………」
紅倉は冷たく突き放した。
「それでもあなたが不幸の源なのよ。あなたの断ち切れない恋人への思いが、罪なのよ」
「知らん。わたしはそんなもの、もう、とっくに、なんとも思っておらんわい」
「ああ、そうですか」
紅倉は老婆の頑固さに呆れ返ったように白けた顔をした。椅子から立ち上がる。
「そうやっていつまでも頑なでいればいいわ。それがあなたを不幸にしているのだから」
紅倉が出ていこうとドアを向くと、安全のための大きなガラス窓から覗いていた綿引と守口が慌てて顔を引っ込めた。
「行きましょう、美貴ちゃん。こんな人、もういいわ」
紅倉はスタスタ歩き出した。芙蓉は追い、振り返った。小さな老婆は背を丸め、大きく見開いたガラスのような目玉で、じいっと、テーブルの下を見ていた。
廊下に出ると、
「行くわよ」
紅倉はプンプン怒ったまま大股で歩き出した。芙蓉が追い、綿引と守口が追い、
「一人で残して来ちゃって大丈夫かなあ?」
と心配した。芙蓉も気になって振り返った。
誰か男性が入っていった。
ほんの一瞬で、いつの間にいたのか、どんな服装だったか、若かったか、中年だったか、分からない。
芙蓉は立ち止まり、ひどく胸騒ぎを覚えた。
「先生!」
鋭く呼びかけると、紅倉の背中が立ち止まった。
「いいんですか!? このままにして!?」
立ち止まって振り返ろうとしない紅倉は、ゾッとする声で、
「いいのよ。放っておけば」
と言った。
芙蓉は走って戻り、部屋に入ると、すぐに顔を出し、
「医者を呼んで! 大急ぎで!」
と叫んだ。
待合室にいるのは老婆、本図タツ一人きりで、彼女はテーブルにうつぶせになって白目を剥いていた。
医者が駆けつけ、処置室へ運ばれたが、死亡が確認された。心臓発作だった。
芙蓉は暗い瞳でなじるように紅倉を見たが、紅倉もふてくされた顔で、
「だって、仕方ないじゃない」
と言った。
母親の死を確認させられた娘淑子は、その前に長々と話していたという紅倉を恨みのこもった赤い目で睨んだ。それに対しても紅倉はふてくされて何も言わなかった。
あの待合室に入っていった男性が何者であったのか? ……彼は紅倉が招いたのだろうか?穂乃実の幸せのための障害にしかならない祖母を連れていってもらうために。
本図タツの生涯がいかなるものだったのか。幸せなものだったのか? 死に際して後悔するところはなかったのか? まだ若く、本図タツではない芙蓉の知るところではないが、こういう生き方は自分にはとても我慢できないと思った。そう、我慢。それが本図タツの生涯を表す言葉だろうと、芙蓉は思った。
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