第22話 赤い花嫁の真相
「それだけですか?」
紅倉は彼女の古傷をえぐり出し、更なる真実に言及する。
「あなたが穂乃実さんに言うべきことは、彼女にしたことは、それだけですか?」
母親は、再び自分を守る殻を被ろうとする。
「それだけです。穂乃実は、お見合いをして、わたしの体のことも承知の上で結婚を申し込んでくださった夫と結婚し、夫の娘として産みました。だから、穂乃実は夫の子なんです。それが真実です。夫は立派な人です。娘の父親として誇れる人です。それで十分じゃないですか?」
「あなたは、自分を誤魔化していますね?」
「誤魔化してなんていません!」
「あなたは本当に自分の意志で恋人を見限ったんですか?」
「そうですよお。だって、あの人は、ああいう人だったから」
「恋人の才能を信じて、ずうっと自分が支えていってあげようと、そう誓っていたんじゃなかったんですか?」
「そんな子供じみた誓い、現実の厳しさに目が覚めたんです」
「あなたの愛が、彼が小説を書き続ける原動力じゃなかったんですか?」
「そんなの、だから、子どもの夢よ!」
「お腹に子どもができて、強い母親にならなければならなかった?」
「そうよ! いつまでも子どもみたいにくだらない夢になんてしがみついていられないのよっ!」
「あーら、くだらない?、そこまで言いますか?」
「あの人は駄目な人よ。あのままあの人と心中すれば良かったって言うの?」
「二人では生きられなかった?」
「・・あなたも、現実を見て物を言ったらどう?」
「ま、確かに。わたしも保護者なしでは三日だって生きていられない駄目人間ですけどお〜。あなただって、誰かに頼ればよかったじゃないですか? 誰か助けてくれる人はいなかったんですか?」
「だからそれは母が・・」
「そう。彼の子を妊娠したあなたは母親に頼った。自分のお母さんですものね?なんだかんだ言っても助けてくれると、あなたは思った。
彼を、
駄目な、世の中で生きていくことの出来ない、クズ男だと、
あなたに思い込ませたのは、あなたのお母さんでしょう?」
「…そうよ。でも、それをわたしも納得して……」
「納得するまで、家に閉じこめられて、出してもらえなかったのでしょう? その間にあなたのお母さんは恋人の方にも手を回して、彼があなたといっしょにいることがどれほどあなたを不幸にしているか、懇切丁寧に説得した。まして子どもなんか出来たら、あなたの執筆生活にも差し障るでしょう?と。今ならこちらでなんとか出来る、今しか、お互いが幸福な形で別れる機会はない、と、まあそんな風に説得したんでしょうね。彼からの手紙を読んで、あなたは、彼を見限ることを、納得した」
「・・・・・・・」
「お母さんがあなたにしたことは、それだけですか?」
「それだけです……。もう、十分じゃないですか?」
「いいえ。あなたのお母さんの目には、最大の障害が映っていたじゃないですか? あなたのお腹の中に、出来てしまった、あの駄目男の子どもです」
「・・・・・・・」
「あなたは薬を飲んで子どもを流すよう言われたでしょう?」
「わたしは…………、拒否したわ。それだけは、と。お腹の子どもにはなんの罪もないと」
「罪、ねえ? ずいぶんとへりくだったものねえ? でも、けっきょく流しちゃったでしょう?」
「なにを・・・・・」
「子どもが流れて、これできれいになったと、あなたのお母さんは安心した。ところが、流れたのは一人だけ。お腹の中にいた子どもは、双子だったのよ。再び大きくなってきたあなたのお腹を見て、お母さんは驚いて、そのもう一人も流そうとした。でも、母胎の負担が大きすぎて、あなたが死んでしまう危険があった。さすがに娘を殺すのは忍びなく、仕方なく、・・・・・
大急ぎでその子どもの父親をあてがった。
あなたはなかなか美人ですから、お見合いで、お腹の大きいあなたをそれでもいいと受け入れてくれた心の広いお相手が、結婚した旦那さんです。
そういうことで、間違いないですよね?」
「どうして………」
母親は涙に濡れた目で恨みがましく紅倉を睨んだ。
「どうしてそこまで暴く必要があります? そこまで言って、過去の不幸を甦らせる必要がどこにあります? この、悪魔!」
「はいはい、よく言われます」
「わたしが傷ついていないとでも思っているのっ!? 傷ついたわよ、ぼろぼろに! 恨んだわよ、鬼のような母を! それでも、それでも・・・・・・」
「母親は母親。それに、穂乃実さんだけはどうしても守りたかった」
「・・そうよ……………」
「何故?」
「何故?」
「穂乃実さんを産みたかったのは、父親である彼を、まだ愛していたからではありませんか?」
「違うわよ。わたしの子だからよ。母親だもの、子どもを守ろうとするのは当然じゃない」
「ふうん…。ま、それを論評する資格はわたしにはありませんね。あなたがそうおっしゃるんなら、そうなのでしょう。だそうですよ? 解りましたか?」
紅倉が話を向けたが、穂乃実はじいっと母親を見つめたまま微動だにしなかった。母親は娘のその目に怯えた。
「ごめんなさいね、穂乃実。そういう事情だったのよ。あなたを嫌ってなんかいなかった。ちゃんと愛していたわ。でも、思いが複雑で、なかなかきちんと伝えてあげられなかったの。本当にごめんなさいね」
母親は頭を下げ、顔を上げても、娘は変わらぬ表情で母親を見つめ続けていた。
「穂乃実?……」
他の者も穂乃実が実はまだはっきり目覚めていないのではないかと心配した。悪魔紅倉が妖術か何かで体を人形のように見えない糸で操っているだけなのではないかと…。
ハッと、まんまと策略にはまってしまったと思い至った母親はカアッと怒りに燃え上がった目で紅倉を睨んだ。紅倉はその視線を迷惑そうに受け流し、穂乃実に向かって言った。
「困ったわねえ、なんだかすっかりわたしが悪者にされているわ。じゃあ、教えてくださいな、あなたは、誰ですか?」
穂乃実はちらりと紅倉を見て、またじっと母親を見つめた。目覚めたのは本当に自分の娘なのか? 母親は疑いながら娘の表情を窺った。穂乃実の口が言った。
「わたしは、穂乃実の姉よ」
母親は張り裂けんばかりに目を見開き、
「ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・・・」
と息を飲み、ひっくり返りそうになって芙蓉に押さえられた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あわあわあわ……」
面白いように震えてわめき、
「ひいいいーーーーーーーっ」
と悲鳴を上げて頭を抱え込んだ。
「あああ、嫌っ、嫌っ、許して、許してちょうだい、ひいいいいーーーーーっ・・・・」
母親の人格が壊れてしまいそうで、紅倉が言った。
「別にね、お姉さんはお母さんを憎んでいるわけではないのよ? ただ、怒っているのよ」
「怒って?……」
母親はこわごわ顔を上げ、娘の視線から逃げるように紅倉を見た。
「そうですよ。お母さんのくせに、妹に対する冷たい態度。憎ったらしいクソ婆あに対する負け犬みたいにへりくだった態度にね」
「ご……」
母親は娘を見て、
「ごめんなさい………………………」
また耐えられないように顔を伏せてしまった。
紅倉はうんざりしたようなため息をつき、穂乃実の姉に言った。
「聴きたいんだけど、穂乃実さんのウエディングドレスを赤く染めたのはあなた?」
穂乃実の体に宿った姉の魂は、少し迷うように顔をしかめ、うなずいた。
「そう。でも、ああなるとは……、つまり、あんなに真っ赤になるとは思わなかった? あなたの予定では、それは祝福の花びらのつもりだった。羨ましさもあって、ほんのり桜色に染めてやるくらいのつもりだった。なにしろあなたは……自分が真っ赤だから…………」
母親が目を上げると、穂乃実の顔は真っ赤な血の色に染まって、母親は恐怖に歪んだ。紅倉は面倒なので話を進める。
「ところがあなたも別の何か、強い力に捕まってしまって、思いがけずあんなことを、してしまった」
穂乃実の姉は申し訳なさそうにうなずいた。紅倉もうなずく。
「そのあなたにそんなことをさせた相手が、男か、女か、分かる?」
「若い女の人だったわ」
紅倉は、ああ、と聞きたくなかった答えに目を閉じ、眉間にしわを寄せた。
「ありがとう。もういいわ。穂乃実さんはじきに目覚めさせてあげるから安心して。あなたも、穂乃実さんの幸せを見届けたら穂乃実さんから離れて成仏するのよ? 生まれ変わって自分の人生を生きられるようにね」
紅倉が送り出すように手を振り、母親が慌てて呼びかけた。
「あなた!………… あなたはね、実花っていうのよ?」
穂乃実の姉は母親を見つめ、
「おかあさん」
ふっと目を閉じ、穂乃実はぐったり夫の腕に倒れ込んだ。
おおおおお、と、母親の嗚咽が響いた。
穂乃実を再びベッドに寝かせた史哉を紅倉は手招き、友人たちも部屋の隅に集めた。
「残念なことが分かってしまいました。穂乃実さんを呪ってドレスを真っ赤に染めたのはやはり瑤子さんでした」
「瑤子が……」
史哉は悲痛に顔を歪め、守口も思わず重いため息をついた。
「でもね、瑤子さんは穂乃実さんを憎んでということではなく、自分が、史哉さんの花嫁になりたかったのね。そのまま穂乃実さんの体に取り憑きたかったんだけど、それは、姉の実花さんの魂に引き留められて、穂乃実さんの魂だけが肉体をさまよい出てしまった、というわけね。はあー…、ほんと、いろいろ付きまとって、たいへんね」
やれやれと紅倉は頭を振った。
「わたしの見立ても二転三転。ほんと、今回はかっこわるいったらないわ。瑤子さんの魂も成仏できていない。ほんとみっともないけれど、あの魔界の中に居て見逃してしまったのね」
紅倉の目つきが変わった。
「わたしにこれだけ恥をかかせて、黒幕は絶対許さない。罪を、償わせてやる」
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