第15話 シーサイドライン

 夜九時過ぎ、リガリエ・ウエディングマナーハウスの下澤から『夜分遅く申し訳ございません』と芙蓉の携帯に電話があった。

 島田沙希から今度の日曜の結婚式をキャンセルする申し込みがあったそうだ。

 事故を起こした父親喜久蔵氏は病院でも意識が回復せず、命の危険はないものの、予断を許さぬ状態であるらしい。

 下澤から、

『キャンセルの理由が大事なお父様の事故ですから、紅倉先生とのお約束は無しということで。もちろん、島田様との約束はございますから、今度の式のキャンセル料をいただくことはしませんが。紅倉先生もどうぞお気になさらないでください』

 と、気を遣ってくれたが、紅倉は

「分かった」

 と、携帯で話す芙蓉に言いながら、相当ムッとして、屈辱に感じているらしい。芙蓉が電話を切ると、

「冗談じゃないわよ!」

 と怒った声を出した。

「ええい、にっくき『恋人岬』め! 絶対にぶっつぶしてやる!」

 芙蓉はあらあらと苦笑した。ホテルに帰ってきて、レストランの出前を部屋で食べたところだ。

「でも先生、本当に『恋人たちの岬』が魔界の本体なんですか? だって…、恋人たちの岬ですよ?」

 芙蓉はネットで検索して簡単に調べてみたが、なんでも神話時代の女神様と、平安時代のお姫様の伝説のある、なかなか由緒ある岬のようで、ロマンチックな恋人たちの噂のある所だ。もしや神様がらみだと面倒そうだなあと芙蓉は思ったが。紅倉はプンプン怒ったまま

「あした行ってみれば化けの皮が剥がれるわよ」

 と、霊視には絶対の自信があるようだ。

「それなら先生、明日は往復のロングドライブになりますよ? さっさとお風呂に入って寝ましょうね。準備しますね?」

 芙蓉はいそいそとバスルームに向かい、「ちょっと狭いですけど仕方ないですよねー? やっぱりお湯に浸かった方がリラックスしていいですよねー?」と、嬉しそうに言った。紅倉は自宅の風呂でも溺れる人間なので危なくて一人で入れておけない。芙蓉が浴槽にお湯を出して戻ってくると、紅倉はベッドの上に膝を抱えて座り、じとーっと陰の中から芙蓉を見て言った。

「最近貞操の危機を感じるのよねえ〜〜」

「どうせそんなの捧げる相手なんていないでしょう? もしそんな男がいたらわたしが抹殺します」

「危ない子ねえ?」

 紅倉は笑って脚をくつろげた。

「もったいないわねえ、いい体して、その気になればいくらでも男にもてるのに」

「先生こそセクハラですよ? ま、いくらしていただいてもけっこうですが」

 どうぞ、と芙蓉は紅倉の隣に座って体をくっつけた。紅倉は肩に頭を甘えさせ、

「まだまだお嫁には出せないわね」

 と、気持ちよさそうに目を閉じた。

(とっくにお嫁入りしてきているつもりなんだけどなあ)

 と、芙蓉は紅倉の頭に頬をこすり付けた。




 翌日。

 守口と病院の駐車場で待ち合わせ、綿引は守口が家まで迎えに行っていっしょにいた。昨日の帰りも綿引は守口に任せてしまい、二人はなかなかいい感じだと芙蓉はこっそり微笑んでいた。守口は紅倉が事件解決を宣言した木曜まで有休を取っていて、芙蓉はあっさり許可される会社の景気を心配した。

 九時。まだ面会時間前で、守口は史哉に電話で確認したが、穂乃実はまだ眠ったままだそうだ。紅倉は今は会っても意味無しと判断してこのまま出発することにした。

「どうします? 車二台で行きますか?」

 芙蓉の問いに、

「そちらの車の方がずっと乗り心地がいいんですけれどねえ?」

 と守口は苦笑し、

「どうします?」

 と綿引に訊いた。綿引は可愛らしくドギマギし、

「わ、わたしはどちらでも……」

 と消え入りそうな声で言い、紅倉はあほらしという顔で、

「お熱いのは遠慮します。美貴ちゃん、デートドライブするわよ」

 と、さっさと定位置の後部座席左に乗り直した。

「それでは先導お願いします」

 と芙蓉も運転席に乗り込んだ。

「了解しました」

 守口は笑顔で、参りますか?と綿引を促した。綿引は

「はい」

 と小さく返事し、芙蓉は綿引の人生初の春ではないかと失礼ながらかなり確信を持って思った。



 天気は昨日より雲が高く、青空が覗き、日差しが強かった。市街地を抜け海岸沿いの国道を走ると深い陰をたたえて果てしなく平らに広がる日本海が美しい。芙蓉は窓を開け、風を受けて走った。反射避けにサングラスを掛けている。ルームミラーを見ると、横を向いて海を眺めている紅倉のセミショートの銀色の髪が舞って綺麗だ。

 目的の清浦崎へ、まず柏崎を目指す。新潟市から西方、富山県方面だ。まず八〇キロ。更に二〇キロほど。

 先行する守口にはこまめに休憩を取るように言ってある。海水浴場の駐車場に入り、シーズン前で浜茶屋(海の家)は閉まっていて、自動販売機で美也子お勧めの爽健美茶を買って飲んだ。実は芙蓉も愛飲している。

 芙蓉は守口と綿引がどんな会話をしているのか訊いた。海を見ながらなので学生時代友だちと海水浴に来て遊んだことなど話したそうだ。綿引は地元の人間だが、守口は群馬県出身でこちらへは大学進学でやってきて、子どもの頃は海水浴なんて夏休みの一大イベントだったそうだ。その時も家族や、中学に上がってからは友だちと電車で柏崎に来たそうだ。

 ところで守口もそうだが綿引も仕事は大丈夫なのかと訊くと、

「わたし、レギュラーは『本怖ファイル』だけですから。『本怖ファイル』は紅倉先生といっしょならわたしも有給扱いしてもらえます」

 ということで、紅倉美姫先生は番組のドル箱スターだし、ディレクターの三津木や等々力にとっては美味しいネタ元だ。

 目的地はまだまだ先だ。


 休み休み進みながらも、お昼前に柏崎に着いた。

 守口に教えられ、芙蓉も昨日ネットで調べて見つけていたが、この柏崎にも「恋人岬」がある。と言うより、地元ではこっちの方が有名で、恋人たちのメジャーな観光スポットになっているようだ。

 レストランで早めの昼食を取り、少し歩いて行ってみた。道も整備され、岬はしっかりした木製の手すりで囲まれている。ここが恋人たちに人気のスポットだというのはその手すりにびっしり二人の名前が書かれたハート型のプレートや南京錠の付いた鎖が掛けられているので分かる。神社に願掛けする絵馬みたいなものだろうが、公式ホームページにいわく、


「 恋人たちの聖地。

   岬の柵にふたりでカギをかけると幸せになれる。

   沈む夕日をみながら愛を誓い合い、

    ふたりの幸せを永遠のものにしてください。 」


 とのことである。ちなみに、全国的に「恋人岬」と言えば「愛の鐘」のある静岡県伊豆市と、海外だが新婚旅行のメッカ、グアム島が有名だが、ここ柏崎の「恋人岬」はグアム島の「恋人岬」と姉妹提携している。

 眼下に岩の島がカーブして連なり、高くなった日に青黒く濃い影を海面に落としている。小山の連なるこの先の海岸線と合わせて、なかなかの景勝だ。

「どうです先生? 御利益はありますか?」

 芙蓉が訊くと紅倉は左手を開いてかざし、「ムムムムム」と、パワーを計測した。

「うん。ま、いいんじゃないの?」

 表情からしてまずまず合格というところらしい。

「これ、鎖とカギじゃなくちゃ駄目なのかしら?」

 近くに売店があって「恋人岬グッズ」を売っているらしいが、残念ながらオフシーズンは週末だけの営業らしい。

「携帯ストラップでもぶら下げてやろうかしら」

 芙蓉は携帯電話に万が一に備えて防犯ブザー付きのストラップを付けている。そんな物をぶら下げて何かの拍子にブザーが鳴ったら大迷惑だ。真剣な目つきの芙蓉を見て守口が笑った。

「芙蓉さん、誰か意中の人がいるんですか? そりゃスクープだなあ」

 綿引が守口の肩を指でつつき、呆れた顔で紅倉を指さした。

「芙蓉さんは先生一筋だから」

「えっ、そういう関係なの?」

 守口は驚いて二人を眺め、紅倉はすました顔で

「美貴ちゃん、案外浮気性なのよ」

 と言った。芙蓉は携帯ストラップをぶら下げるのは諦めたようだが、守口の驚きの視線にも

(それが何か?)

 と、超然としている。自らのアイデンティティーにまったく迷うところのない芙蓉を綿引は羨ましく思った。こういう特別な人にやはりスターの素質があるのだろう。

「お二人はどうします?」

 芙蓉に訊かれて綿引は(ええーっ!?)と思わず守口の顔を見て、守口は芙蓉のからかいに悪戯っぽく笑うと、すっとすまして、

「穂乃実さんが目を覚ますまでは不謹慎でしょう。それに、二人の行った『恋人たちの岬』に行ってみないと、ね?」

 綿引に同意を求め、

「え、え、いえ、あの、」

 と、綿引は慌てまくった。ああ、女優なのに、わたしったら、と綿引は情けなく思いながら真っ赤になった。芙蓉は綿引の様子を見て悪戯の成果に満足したが、ふと紅倉を見ると、「ふーーん…」と、なんとも気の抜けた顔をして柵越しに海を眺めていた。柵は十分な高さがあるが、万が一を考えて芙蓉は紅倉をブロック床の中央に立たせている。キラッキラッと波が銀色に細かく輝く沖に、青い陸の影が長々寝そべっている。

「あれ、佐渡島ですよねえ?」

「そうですよ」

「ずいぶん大きい物ですね? 半島みたい」

「そうですね。ええと、こっちから見ると、横四〇キロくらいあるのかな? 日本地図を見てもパッと目に付きますからね、改めて見てみると、大きいですよね?」

 守口は綿引を見て、

「僕、まだ行ったことないんですよ。綿引さんは?」

「わたしは、子どもの時家族で三回行ったかな? その後はずっと行ってませんねえ」

「じゃあ今度いっしょに行ってみますか?」

「ええっ!?」

 と、守口は綿引になかなか積極的だ。

 と、漫才まがいのラブコメ展開は置いといて、

「どうしました、浮かない顔して?」

 と芙蓉は「うーーーん…」と体が斜めになっている紅倉に訊いた。

「いやあ〜〜…、別にいいんだけどね〜〜、害はないから。むしろ喜ばれているみたいだし」

「なんのことです?」

「ここ、ただの観光地でしょう?」

 芙蓉はうん?とよく分からず紅倉の真似をして首をかしげたが、これには詳しいらしい綿引が照れ隠しに張り切って説明した。

「紅倉先生がおっしゃっているのは『佐渡情話』のことでしょう?」

 紅倉は、

「さあ? そうなの?」

 とよく分かっていないが。

「ここが恋人たちの聖地であるいわれの伝説です。


 あの佐渡島に一人の娘がいて、こちらから渡って仕事をしていた船大工の若者と恋仲になった。

 けれど若者は仕事が済んでこちらに帰ってきてしまい、佐渡に残された娘は悲嘆に暮れた。

 ある夜、娘は闇の中に明かりが灯っているのを見つけ、船大工の若者に夜の海を行く船の道しるべになるように岬の先にかがり火を焚いているのだと教えられたことを思いだした。

 若者が恋しくて居ても立ってもいられない娘は明かりを頼りに夜の海にたらい舟をこぎ出し、浜に着くと、若者を訪ね、密かな逢瀬を楽しんだ。

 娘は朝が来る前に佐渡へ帰っていき、それから日を空けずそうした通いの逢瀬を楽しんだ。

 ところが若者は真っ暗な海を渡ってくる娘の気持ちの激しさに恐れを抱くようになった。実は若者には既に妻があったのだ。

 ある夜、娘が怖くなった若者は、娘が通ってこられないように目印のかがり火を消してしまった。

 その夜娘は通ってこなかったが、翌朝、浜に死体となって流れ着いた。

 娘を死なせてしまった罪を悔いた若者は、自分も岬から身を投げて娘の後を追った。


 …というお話です。

 なんて、実は等々力さんの受け売りです。わたしがこちらの出身だって聞いて、この話は知ってるか?って、怪談調に」

 綿引は苦笑した。等々力は根っからの好き者である。綿引の注釈。

「娘を死なせた若者のその後は、後追い自殺をしたとも、仏門に入って娘の御霊を弔ったとも言われているようです」

 芙蓉が沖の陸影を眺めて訊いた。

「ここから佐渡って、どれくらいの距離があるんです?」

 えーと…とおぼつかない綿引に代わって、

「やっぱり五〇キロはあると思いますよ?」

 と守口が答えた。芙蓉はため息混じりに想像した。この広い海原を、真っ暗な中、それだけの距離をたった一人頼りなさそうなたらい舟で漕ぎ渡ってくる娘の姿は、恋される男の身でなくても鬼気迫るものを感じる。

 それほどの男だったのかしら……、と、芙蓉はつい思ってしまう。

「ところが、」

 と綿引、偉そうに。

「その話、実は番神(ばんじん)岬っていうところのお話で、ここは鴎ヶ鼻(かもめがはな)って場所なんです。番神岬は、えっと、あれかな? さっき通ってきた、あのおっきいホテルの建っている所です。ふもとに確か日蓮上人ゆかりのお堂があるんじゃなかったかな? はい、言うのを忘れていて寄り損ねちゃいましたけど」

 綿引は自分で頭を叩いて、ようやくこの仲間の中にいるのにリラックスできるようになったようだ。綿引の指さす番神岬は湾を挟んだお隣さんで、断崖に白亜の高層ホテルが建っているが、そもそもこの辺りは


「米山福浦八景」


 と呼ばれ、


「 番神岬から聖が鼻までの約12キロメートルの海岸は、日本海の荒波にさらされて浸蝕した海岸が続いています。 」(by柏崎市ホームページ。今芙蓉が携帯電話で調べた)


 とのことである。海岸に迫る山が海に落ち込み、崖となり、こうした荒々しくも美しい景観を作り出しているわけだ。

 本家の番神岬をホテルに占有されて、お隣のこちら鴎ヶ鼻を伝説に則って「恋人岬」に仕立てたわけだ。まあ同じ海を共有しているわけで、恋人たちの守り神も笑って許してくれる?だろう。

「ああなるほどね。そういうことだったんだ」

 綿引の説明に紅倉は見えない目で番神岬を眺めて納得した。

「いえね、ここ、あんまりポジティブなエネルギーばっかり感じるから、おかしいなあ……って思ったのよ」

「いけないんですか?」

 と、今度改めて守口と二人で来ようと思っている?綿引が心配そうに訊いた。紅倉は指を立て。

「自然の元々のパワーっていうのがあるのよね。プラス、多くの人がポジティブな思いで訪れて、願えば、その土地にどんどんいいパワーが溜まっていくものよ。だから、いいんじゃないの?」

 要するに「佐渡情話」の伝説はあんまり関係ないということか。悲恋の物語であるし、むしろ暗い海で男を思いながら亡くなった娘の魂を慰めるためにもいいのではないかと思った。そもそも男の方は不倫だったわけだし、美談ではない。

 ともかく、

 ここは穂乃実と史哉の思い出の「恋人たちの岬」ではないのだ。

 その岬は、まだこの先にあるはずである。

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