第14話 赤い花嫁の呪い
史哉は新しい病院の清潔な白とパステルカラーの内装にしっくり落ち着く淡い水色のゆったりめのシャツを着ていた。見舞客と言うより自分が患者に見えてしまう。
芙蓉が立ち上がり、自分たちの向かいを指して「どうぞ」と勧めた。失礼します、と紅倉の前に腰かけた史哉は、紅倉が話し掛ける前に自分から苦悩の表情で耐えられないように口走った。
「穂乃実の魂を捕まえているのは瑤子なんじゃないですか? もしそうなら、僕が説得しなくちゃいけません。どうなんです? 穂乃実の魂は、どこにいるんです!?」
史哉のこの様子では残された病室で守口と綿引は彼からいろいろ質問攻めにされたのではないだろうかと芙蓉は思った。紅倉は、
「ああ、そうだったっけ。あなたにも死んだ婚約者がいたんだっけ?」
と、まるでついでのおまけ程度の気楽さで訊いた。勢い込んだ史哉は一瞬毒気を抜かれたものの、すぐにイラッとした怒りをこめかみに浮かべて紅倉を睨んだ。
「だって、穂乃実はウエディングドレスが真っ赤に染まって、気を失ってしまったんですよ? 僕は彼女が死んでしまってから初めて見せられたが、瑤子は自分で作った真っ赤なウエディングドレスを着て僕と結婚するのを楽しみにしていたんですよ? ……やっぱり、穂乃実が倒れたのは、瑤子の呪いじゃないですか?」
「ああ…」
紅倉は何か気づいてパチンと手を打った。
「そうか、そっちの方かも知れないわねえー……。
あのね、史哉さん。ああ、美貴ちゃんも」
紅倉は不信の顔の史哉と、芙蓉を見て、訊いた。
「わたし見えないから訊くけど、赤く染まった穂乃実さんのウエディングドレスって、どうなの?」
「どう、とは?」
芙蓉も史哉も紅倉が何を訊きたいのか計りかねて尋ねた。
「染め具合。例えば、返り血を浴びたみたいにまだらに、所々黒くなって、おどろおどろしい感じなのか、それとも……、どうなの?」
紅倉は丸い目をパチパチさせて二人を交互に見た。芙蓉は。
「そうですね、わたしはビデオの映像を見ただけですから生の印象じゃありませんけれど、まるで手品みたいに鮮やかな物でしたね」
言ってから、美也子の感想と同じだなと気づいてちょっと自己嫌悪を感じた。史哉は、
「いや、そんな汚らしい感じでは、なかったですが……」
驚きと、新妻の倒れた衝撃と、何故だ!?、という思いばかりで、そういう風には考えもしなかったので戸惑った風に言った。
「言われてみれば……、全身一様に、綺麗な染め上がりでした…………」
史哉も紅倉が何を言いたいのか気づいて、怒りも消えて、まじまじと見つめた。
「もしかして…、あれは悪意ある物ではなかったんですか?…………」
紅倉は目をパチパチさせて、首をかしげた。
「さあ? ま、正直言っちゃうとね、わたし、今回の事件に真面目に働こうって気が全然なかったのよ」
芙蓉はそれはまたずいぶんぶっちゃけたものだと呆れたが。
「だってねえ」
紅倉は悪びれもしないで肩をすくめた。
「見せられたビデオからはあんまり大した悪意も感じられなかったから。現象は不思議かも知れないけど、ああ、これはどちらかって言うと倒れた花嫁さんの心の問題だろうなあ、って思ったわけ」
「心の問題……」
史哉はそれはそれで深刻なようで、改めて落ち込んだ。
「ねえ」
紅倉が訊く。
「あなたたち、結婚を決める前にお互いの過去のことはちゃんと話し合ったんでしょう?」
「もちろんです」
史哉は顔を上げ、きっぱり言った。
「僕たちは出会ったときからお互い傷ついた心の者同士だって分かりましたから。付き合っていく中で、過去の相手のことを、告白し合いました」
「ふうん…。それでお互い理解し合って、この人となら、辛い過去を乗り越えて幸せになれるって思って、結婚を決心したわけね?」
「そうです」
力強くうなずいた史哉だが。
「で? 本当に思い切れてる?」
紅倉に突き放すように問われ、史哉は目の下に苦悶を走らせた。
「その……つもりです…………」
「死んだ瑤子さんに対して、自分が結婚して幸せになることに後ろめたさはない?」
「瑤子のことを忘れるつもりはありません。ただ、過去に捕らわれていても、瑤子は喜ばないだろうと思います。彼女は、常に前向きの、明るい子でしたから……」
言いながら、史哉は段々自信がぐらついていくようだった。視線が泳ぎ、腿の上の手を握り合わせ、痙攣するように眉間に深くしわを寄せた。紅倉に問いかけるように心細い視線を向けた。
「瑤子は……、僕の結婚のことを、穂乃実のことを、どう思っているんでしょう?……」
紅倉は表情の薄い、赤い瞳で史哉を見つめ、言った。
「瑤子さんは、明るく前向きな人だったのね?」
「はい」
「じゃあ、問題は、あなたの中の瑤子さんよ」
「え?」
史哉は分からず、苦悩した。
「瑤子さん自身は、残念!、と思いながら、とっくに成仏しているわよ。事故に気に入らないところはあるけれど、そこにしがみつくことがあなたを苦しめることになるって分かっているから、きれいさっぱり、思い切って、自分から成仏を受け入れているわ。瑤子さんが恨んでいるんじゃないかっていじいじ考えているのは、あなたの瑤子さんへの後ろめたさと、未練よ。それを、穂乃実さんは心のどこかで疑っていたんでしょうねえ」
「そうなんですか……」
叱られて史哉はがっくり落ち込んだ。紅倉は冷たい顔で眺めていたが、
「ああ、そうか。じゃあやっぱり瑤子さんじゃなかったのか。ヒントにしたのね」
と、自分だけが分かっている事情に自分だけ納得してうなずいた。芙蓉は後でとっちめてやろうと思った。紅倉は一つ謎が解けたように機嫌が良くなり、史哉をいたわるように言った。
「あなたのせいばかりじゃないわよ。つまり、穂乃実さん自身に同じ迷いがあったってことよ。お互い忘れられることじゃないものね、これから二人の生活の中で、いっしょに新しい、より深い関係を築いていかなければならないのよ」
史哉は視線を下に向けたまま神妙にうなずき、紅倉はまたいつものおどけた調子に戻って言った。
「じゃ、怠け者の花嫁さんを起こさなくちゃね。と言ってもこれがまだまだ面倒なんだけどなあー…。
さて、大事なことを訊くわよ?」
声のトーンが変わり、史哉は紅倉を見て決意したようにしっかりうなずいた。
「今回の事件はちょっと変なのよ。穂乃実さんを襲った事件に特別強い悪意はない。どちらかと言えば穂乃実さん自身の心の問題であるところが大きい。にも関わらず、背後には底なしのブラックホールのような闇があって、こっちはかなり強力な悪意を孕んでいる。こいつの正体を探らなくてはならないわ。こいつを招いてしまったのはやっぱり穂乃実さんなのね。これはたまたま偶然波長が合ってしまった、ということではない、以前から関係があったのよ。それが、今回こういう事が起こって、本格的に呼び寄せてしまったのだと思うわ。以前からの関係、とは言っても、これもやっぱり二人の結婚に関係があると思うのよ。そこで、あなたと穂乃実さんの出会いを詳しく教えてほしいの」
「分かりました。……………
僕が穂乃実と出会ったのは去年の八月の末のことです。日曜日に、そろそろシーズンの終わった海岸沿いを一人でドライブしていて、ドライブインに車を止めて、海岸へ歩いていきました。そこで、穂乃実に出会ったんです。
そこは『恋人たちの岬』として有名な所で、恋人同士が二人で夕陽の沈む瞬間を見て、愛を誓い合うと成就する、と言う噂があって、僕と瑤子もデートして、夕陽の沈むのを二人で見ました……。
『恋人たちの岬』ですから、若い女性が一人で来ているっていうのも珍しく思って、ちょうど夕陽が沈んで行くところでしたから、なんとなく、近くでいっしょに海を見ていたんです。彼女が僕に気づいたので、『お一人ですか?』って訊いたんです。彼女が『ええ』と答えたので、『僕もです』と答えたら、彼女は笑いました。ナンパ……と思われたかと思いましたが、そうじゃないなと感じました。多分、僕と同じ、ここに悲しい思い出のある人なんだと感じました。彼女も、僕を同じように思ったんでしょう。
ちょうどいい季節ですから、そう広くもない所に恋人たちが五、六組も来ていて、彼女は寂しそうに笑って、『それじゃ』とそこを離れようとしました。僕も彼女を追って、ドライブインに戻りました。彼女も自分の車で来ていて、軽く挨拶して、彼女が先に車を出しましたが、僕も同じ方向で、なんだかずうっと後を付けているように新潟市内までいっしょに走って、別れました。帰りはすっかり夜になっていましたが、彼女が右折して道を別れていくとき、ウインカーを断続的に点滅させたので、ああ、気づいているなと思いました。僕はまっすぐ走っていって、その時はそれきりで。
ところが後日、中心街の飲食店でたまたま再会して、職場が近いことが分かったんです。それからそんな偶然が数回続いて、話をするようになって、おつき合いするようになったんです」
「それ」
史哉の話が一区切り付いたところで紅倉が人差し指で指摘した。
「その『恋人たちの岬』が魔界の本体よ。美貴ちゃん、場所のメモ」
芙蓉が史哉に訊いた。
「どこです?」
「清浦崎(きようらざき)です。柏崎と上越のちょうど中間辺りです」
ビンゴ、と芙蓉も思った。
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